断片日記

断片と告知

「本のあるところ」入谷コピー文庫

堀内恭さんが発行している『入谷コピー文庫』にときどきよばれて文章を書いている。毎回、テーマもまちまち、書く人もまちまち、堀内さんが声をかけた人たちの文章がコピーされ綴じられる、たった20部だけ作られる小さな同人誌だ。ブログへの転載は問題ありません、とのことなので、ときどき『入谷コピー文庫』に書いた文章をこちらに載せようと思う。今回のテーマは、大滝秀治人間劇場シリーズ第4回『お世話になりました』。

 

「本のあるところ」

小学校は家の目の前の公立だったが、中学からは私立の女子校に通った。通ったというか、わたしの粗雑な性格をどうにかしようとした母に放り込まれた。うちから山手線で一駅目にある学校だった。

朝、明治通り池袋駅に向かって歩くと、同じ小学校に通っていた彼らとすれ違う。ひとり違う制服が通学路から浮いていて、おはよー、元気ー、そんなことばさえ彼らの固まりに投げられない。でもそんなことはちっとも気にしていませんよ、とちっぽけな見栄を貼り付けた顔で駅まで歩く。

中学に入学してすぐのころは、公立に行った彼らの遊びに混ぜてもらっていたが、彼らの口から出る知らない固有名詞についていけなくてやめた。女子校で話す人は出来たが駅や電車で別れてしまえば、放課後、家の近所で気軽に遊ぶ人もいない。

学校が終わると、池袋駅の改札を抜け、西武百貨店を抜けて雑司ヶ谷の家まで帰る。百貨店の雑司ヶ谷よりのどん突きにはあのころ新刊本屋のリブロがあった。まっすぐ家に帰ってもすることがないから、仕方がないからリブロに寄る。

日々顔の変わる雑誌の棚は、毎日立ち読みしても飽きない。読めもしないのに人文書の棚や洋書の棚を眺め、気になる背表紙を引っぱり出してはまた戻す。詩集を扱うぽえむ・ぱろうるでは、詩集だけじゃなくガロ系の漫画も立ち読みできる。美術書を扱うアール・ヴィヴァンには、見たことのない画集や現代美術の本が宝石みたいに並べられている。真っ赤なアール・ヴィヴァンの棚から先、洞窟のようにのびた黒い棚は、現代音楽、演劇、映画へと続いて迷路のようだ。

ひとりぼっちで金もないので、休日も本屋しか行くところがない。リブロの棚に飽きると、池袋東口の新栄堂書店、雑司ヶ谷の高田書店、目白駅前の野上書店と、家から歩ける本屋から本屋へ、サンダルをつっかけて回る。歩き疲れると図書館で休む。本のあるところはひとりが目立たなくていい。

アール・ヴィヴァンで芸術は格好いいと、親鳥を追うヒヨコのように刷り込まれたので絵を描きはじめた。ハタチから通った絵の学校は曙橋にあったので、学費を稼ぐために新宿でアルバイトをはじめた。本のあるところには馴染みがあったので、選んだ先は本屋だった。

新宿駅の西口、小滝橋通り沿い、夫婦ふたりとアルバイトがふたりの小さな新刊本屋だ。主な仕事はレジ打ちと近くの店への雑誌の配達。美容院へ持っていく女性誌は重く、喫茶店や銀行へ持っていく週刊誌は軽い。雑居ビルのなかの増毛カツラ屋にも雑誌の配達なら入り込める。2年くらい続けたが、近くにチェーンの本屋が出来て潰れて辞めた。チェーンの本屋もそのうち潰れてドラッグストアになった。

 新宿の百貨店のアルバイトで知り合った人から、新しく出来た新刊本屋で働かないかと誘われた。池袋のリブロの向かいに出来たジュンク堂書店だ。面接に行くとあっさり受かり、散々通ったリブロの向かいで働きはじめた。

はじめは児童書の棚だったが、すぐに医学と福祉の棚に移動になった。医学書院、医歯薬出版、文光堂、今日の治療薬、DMS−Ⅳ。なんのこっちゃかわからないがお祭りみたいによく売れた。潰れた本屋からよく売れる本屋へ、よく売れる棚へ、自分の手柄でもないのに自分の手柄みたいな顔をして6〜7年働いた。

描き続けた絵ではじめて本の仕事をしたのもそのころだ。林真理子の『白蓮れんれん』の文庫本の装画、青い花の絵だ。自分の絵が、本のあるところに、文庫の棚に平積みされている。何度も何度も見に行った。

ジュンク堂を辞めるころ、今度は古本屋と知り合った。不忍の一箱古本市がはじまり、古書往来座外市がはじまり、やがてみちくさ市になり、一緒に古本のイベントをするうちに、早稲田や池袋の古本屋と飲み歩くようになった。本の扱いには慣れてるからと、ときどき古書会館での催事のアルバイトにも誘われる。

その日、五反田の古書会館でのアルバイトを頼まれた。ほかの催事とかぶった古書赤いドリルさんの代わりに、クロークをやったり帳場に入ったり。古書会館の1階は安い本が並ぶ均一棚で、金を扱う人、本を包む人と、必ず二人一組で帳場に入る。月の輪書林さんが金を扱い、わたしが本を包んでいく。帳場のちょうど目の前は、古書赤いドリルの均一棚だ。

一日目はそこそこ売れたが二日目になるとなかなか本が動かない。今回のドリちゃんの均一本はあちこちの催事を回ってきた本だから、今日終わったらもう廃棄だからね、売れなくても仕方がないね、と月の輪さん。

それでも雇われたからにはと未連たらしく棚をいじると、月の輪さんも一緒になって棚を見はじめる。ふと小さく、わたしの横で何かをつぶやいたかと思うと、あれ、まだこんないい本あるじゃない、と棚から薄っぺらい本を引っぱり出した。『関口良雄さんを憶う』。これください、と帳場のわたしに笑ってみせた。それから、赤いドリルの棚が動きはじめた。

あのとき何て言ったんですか。なんかをアケルとか、ヒラクとか、ヒラケゴマみたいなこと棚に向かってつぶやきましたよね。しばらくしてから月の輪さんに尋ねると、俺そんな格好いいことやったっけ、と素知らぬ顔をされる。

でも、そう言えば、ななちゃんもよくそんなことを言ってたなぁ。聞きに行くことは出来ないけどね。

ななちゃんこと、なないろ文庫ふしぎ堂の田村さんは、古本屋で、『彷書月刊』の編集長で、月の輪さんの友だちで、2011年に亡くなっている。

 ななちゃんが言いそうなことを、田村さんと月の輪さんの友だちの石神井書林さんに尋ねると、あぁ、ななちゃんはそういうこと言うね、そういうこと言うんだよ、とうなずきながら考えはじめる。

「小さい窓でも開けようか。」

かなぁ。ななちゃん、そういうことする人なんだよ。

五反田の催事は二日目が終わると撤収作業に入る。次の催事でも使える本は縛ってよけて、使えない本はすべて廃棄だ。均一棚のすぐ前に横付けされたトラックの荷台に、古本屋たちが廃棄の本を放り込んでいく。運動会の玉入れみたいに、色とりどりの本たちが、宙を舞って荷台に落ちる。回収業者が溜まっていく本を踏みながら、荷台の上をならしていく。わたしも売れ残りの本たちを荷台に向かって投げていく。小さい窓から出て行けなかった本たちを。

「古本屋はみんな、死んだら地獄におちるよ。」

踏みつけられた本に向かって月の輪さんがことばを投げる。

ひとりぼっちの放課後から、死んだ後まで決めてもらって、今後とも、どうぞよろしくお願いします。

『銭湯断片日記』が出来るまで

2016年3月、龜鳴屋の勝井さんからメールが届いた。金沢の室生犀星記念館から出される冊子『をみなごのための室生家の料理集』への挿絵の依頼だった。仕事の依頼です、と書かれたメールのすみっこにあった、こんなことばがはじまりだった。

「なんで落武者、いや近藤勇、いや武藤さんに、といえば、前から、武藤さんの絵はいいなあと思っていたからで、(文章はさらにいいなあ、と。特に一連の銭湯遍路は、どこも出さないなら、ウチが手を上げようかと思ったりも)それに食べ物の絵のお仕事も多いですし、何か機会があったらお願いしようと思っておりました。」

わたしのSNSでのアカウント名から、顔が近藤勇に似ていると一部の友人から言われていることまで知っているこの人はなにものなのか。龜鳴屋の名前や本は岡崎武志さんのブログで読んで知ってはいたが、どんな人かまではわからなかった。わからなかったが、最初から最後までの勝井節に笑ってしまった。挿絵の依頼はもちろん引き受け、銭湯の本もお願いしますとメールを返した。
『をみなごのための室生家の料理集』は5月の連休に合わせて無事に出来上がり、次は銭湯の本ですね、とそこまではするする進んだ。
9月のある日、またメールが届いた。
「前に手を上げた『銭湯遍路』出版の件。とりあえずブログに上がっている全文、勝手に組んでみました。本の判型は、手持ちのいいサイズでと思い、文庫より一回り大きい116ミリ×158ミリにしたら、450ページ以上になっちまいましたが、まずは、これを土台に考えて行こうと思っています。ちなみに、仮ですがタイトルは『銭湯無頼日記』とし、日記風の構成にしました。もう、組んじゃったからには、明日、一方的に分厚いゲラを発送しようと思いますので、その予告まで。」
予告通りに分厚く重いゲラが届いた。仕事で人のゲラを読むことはあったが、自分のゲラを読むのははじめてだった。自分の文章が本になる。文字通り喜び勇んで数十ページ読み進めたが、やがて手が止まった。2007年からはじまる日記の、たかだか10年前の自分の行動が、得意げな文章が鼻につき、どうにも読んでいられなかった。
そのまま1年以上、ゲラを放った。その間、勝井さんにメールのひとつも返さなかった。勝井さんからの督促も一切なかった。
2017年の春には出しましょうと言われていたゲラを、再び引っぱり出したのは2017年の秋だった。恥ずかしさから逃げていたことに恥ずかしくなり、どうにか最後までゲラを読んだが、あっちを削り、こっちを削り、恥ずかしさを最小限にすることばかりに気を取られ、「校正」がなんだかもわかっていなかった。そのくせ、無頼じゃないから『銭湯無頼日記』のタイトルは嫌だ、巻末に銭湯のリストを載せたい、と要望だけはいっちょまえに返し、恥ずかしさと向き合えなかったと言い訳ばかりの手紙をつけ、勝井さんにゲラを返したのは2017年の暮れだった。
それから3ヶ月間、勝井さんから何の音沙汰もなかった。馬鹿なことをした迷惑をかけたとあきらめかけた春、何もなかったかのように二校が届いた。初校を放っておいた間に、ブログに書いた銭湯に行った日々と銭湯リストが足され、初校453ページだったゲラは461ページに増え、タイトルは『今日も銭湯日和 町々銭湯巡礼』と変えてあった。
二校とともに次の仕事の依頼があった。室生犀星記念館から出される二冊目の冊子『犀星スタイル』の挿絵だ。せっかくなのでお詫びと打ち合せも兼ねて、金沢へ行くことにした。室生犀星記念館で犀星の孫・室生洲々子さんにたくさんの資料を見せていただき、館内を見学し、夜は龜鳴屋に泊まらせてもらった。ミステリーファンだという勝井さんの蔵書、ハヤカワのポケミスが並ぶ畳の部屋だった。ポケミスの棚に、新聞だか雑誌だかの小さな切抜きが額装されて飾られていた。なんの記事ですかと尋ねると、種村季弘が金沢を訪ねた際、脳梗塞で倒れたときのものだと言う。
「種村さん浅野川で倒れたって自分で書いてるんだけど、ほんとは犀川の土手なんだよね。いやその時一緒にいたからさ。」
種村季弘中島らも西村賢太と、勝井さんが金沢で触れ合いつかみ合った作家たちの話はどれもはじめて聞く話ばかりだ。もったいない、ちゃんとどっかに書いて残してくださいよ、後々調べる人たちのためにも、と頼めば、だって文才ないもん、と逃げられる。
わたしだって文才ないもん。生きてる間に日記を出版した人たちはどうしていたのか。恥ずかしくはなかったのか。あまり削り過ぎても日記としてどうなのか。やっぱりここは戻してください、いややっぱり削ってください、と恥ずかしさで二転三転していると、勝井さんがこんなことを言う。
「解りづらいところを整えるのはいいけれど、後から直してはじめより面白くなった文章なんてないですよ。井伏鱒二だって晩年『山椒魚』をあんなにしちゃって。」
晩年の『山椒魚』は知らないが、その通りだと思いつつ、自分のこととなると、ではこのままで、とはなかなか出来ない。
「別に名前の表記だって、数字の表記だって、日によって違ってもいいんですよ。だってその日はそういう気分だったんでしょ。日記なんだから、全部揃える必要なんかないですよ。」
それでもどうにか整え、やっと「校正」らしきことをしはじめたのは三校あたりからか。タイトルも『銭湯断片日記』と落ち着いた。
校正が戻ってくるたびに、その間に行った銭湯のブログが足され、あとがきも足され、六校までいったゲラは初校から50ページ以上も増え、結果本文512ページとなった。
 念校と書かれた五校を読んでいたころ、石神井書林の内堀さんと会う機会があった。いま五校を読んでいるという話をすると驚かれ、戻ってくるたびにページが増えていると話すと、増えて戻ってきたら校正にならないじゃない、とまた驚かれた。
普通は著者がはじめに原稿を作って、それから校正をするからねぇ、ムトーの場合は勝井さんが先にゲラを作ったからね、と先日のトークショーでナンダロウさんに言われたが、原稿とゲラの違いもそのときまで知らなかった。
校正の他に、本文の活字、装画、描き文字、使う用紙、スピン、検印紙の絵と、決めなければならないことがたくさんあった。校正もデザインもプロにお願いしたらもっと楽に、もっといいものが出来上がるとわかっていたが、龜鳴屋がふだんそうした所に頼まないなら、わたしもそれに習おうと、ひとつひとつ勝井さんに相談しながら決めていった。
年ごとの章扉にその年に描いていた絵を使いたい、と言いだしたのはわたしだが、カラーページの印刷は金がかかるから、いっそのことこんなのはどお?と扉ごとの小さな絵の貼り込みを提案してきたのは勝井さんだ。9年分9枚、検印紙を合わせると1冊で10枚貼り込むことになる。500冊で5000枚だけど貼るの?貼れるの?と驚くと、いや一度に貼るわけじゃないから、注文がきたごとに貼れば大丈夫でしょう、と涼しい顔をする。
見本が龜鳴屋に届いた朝には電話があった。
「紙が思ってたより白過ぎるんだけど。毛の色も思ったより薄いような。どうする?ムトーさん、一冊ずつ上からなんか描いたり削ったりして汚す?」
言われて思い出したのは、以前勝井さんが話していたこんなことばだ。
「うちの本は本屋に置かないし、何冊も同時に並ぶ本じゃないから。1冊ずつ全部違っててもいいんですよ。誰にもわからないんだから。」
勝井さんになにか言われるたびにこれが龜鳴屋かとドキリとし、本来もっと自由なはずの本作りに勝手に枠をはめていた、自分の頭の固さにもドキリとした。
送ってもらった見本を見ると、いや紙の白さはこんなもんだし、銭湯っぽくていいんじゃない、下手に手を加えるよりはと、結局この話はここで終いになった。
2019年4月末。発売記念イベントに間に合うよう、貼り込み作業をしに金沢に行った。龜鳴屋のテーブルの上に年代順に小さな絵を並べ、ページに挟み、勝井さんが用意してくれたスティックのりで貼っていく。座ると腰が痛くなるからと、勝井さんは立ったまま作業する。2日間4人でやって出来上がったのは140冊。
5月末、貼り込み作業と署名を入れにまた金沢に行った。今度は勝井さんと2人で作業して30冊。前よりだいぶ早くなったと勝井さんが自慢げだ。
勝井さんが積まれた『銭湯断片日記』を眺めている。
「積み重ねたときのこの分厚い背表紙が好きなんですよ。毛の部分には2回ニスをかけていて。それが夜中に見ると光って見える。どうせ誰も気が付かないだろうけどね。」
 

『銭湯断片日記』取り扱い店

5月10日現在、わたしが把握している『銭湯断片日記』の取り扱い店です。店頭在庫は各店舗へお問い合せください。

もちろん、龜鳴屋のサイトからも通販できます。龜鳴屋は5千円以上の注文で送料無料になります。

書籍編集発行所「 龜鳴屋」

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火星の庭(仙台)

book cafe 火星の庭

■ボタン(仙台)

ボタン (@button_sendai) | Twitter

古書往来座(南池袋)古書往来座のみ、検印紙の文字が「現物支給」です。

往来座地下

■ブックギャラリーポポタム(西池袋)

ブックギャラリーポポタム|東京目白にある本とギャラリーのお店 | 東京目白にある本とギャラリーのお店「ポポタム」のWebサイト。

■青聲社(目白台

■古書ますく堂(池袋)

古書ますく堂のなまけもの日記

■Title(荻窪

Title(タイトル) (@Title_books) | Twitter

■casimasi(兵庫県宝塚市

casimasi (@casimasi1) | Twitter

■市場の古本屋ウララ(沖縄)

市場の古本屋ウララ

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銭湯断片日記は送料が高い

『銭湯断片日記』、龜鳴屋のサイトでの通販がはじまりました。『銭湯断片日記』は本の厚さが3センチを超えるため、1冊送るのに400円から510円配送代がかかります。それならば、いっそのこと龜鳴屋の既刊本を一緒に注文するのはどうでしょうか。『銭湯断片日記』の横に並べて梱包し厚みが同じくらいまでなら、1冊分の配送代で既刊本分の配送代までまかなえます。さらに5千円以上まとめてご注文の方には配送代がサービスになります。この機会に、龜鳴屋の本に触れてもらえたらうれしいです。

ご注文は龜鳴屋のサイトからどうぞ。

kamenakuya.main.jp

『市場界隈』『漱石全集を買った日』『銭湯断片日記』

飲み友達でもあり、『銭湯断片日記』のなかにたびたび登場する、はっちこと橋本くんの新刊『市場界隈』が今月5月末に発売されます。発売に合わせ、千駄木往来堂書店でトークショーが開かれます。橋本くんにお誘いいただき一緒に話すことになりました。

橋本くんの話題の本『ドライブイン探訪』そして新しく出る『市場界隈』のどちらも、現地に何度も足を運び、資料を探し、粘り強く話を聞く橋本くんにしか書けない本です。

ドライブイン牧志公設市場、銭湯という同じ消えていく景色を見つめながら、丹念に取材を重ねる橋本くんと、ただ風呂に入り酒を飲み歩くをひたすら繰り返し描写するわたしと、どういうトークになるのか、とても楽しみです。

京都の古本屋・善行堂の山本善行さんと清水裕也さんの古本対談集『漱石全集を買った日』の装画にわたしの絵を使っていただきました。この絵は京都での個展「沼日」で発表した絵のひとつです。『漱石全集を買った日』は、善行堂さんはじめ各地の古本屋、新刊本屋で取り扱いがあります。うれしいです。

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漱石全集を買った日』夏葉社刊

5月4日現在、『銭湯断片日記』は001から526までの限定部数入り検印紙のものはブックギャラリーポポタム(西池袋)と火星の庭(仙台)で、現物支給の文字入り検印紙のものは古書往来座(南池袋)で取り扱いがあります。ポポタムでは通販も可能です。

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『銭湯断片日記』龜鳴屋刊

 

 

www.ohraido.com

『銭湯断片日記』できあがりました。

4月21、22日の2日間、金沢の龜鳴屋さんを訪ねました。わたしの本『銭湯断片日記』の本体が出来上がり、残りの貼り込み作業をするためです。

各章扉にはその年に描いた絵を9年分の9枚貼り、奥付には検印紙を1枚貼り、そして付録の冊子を1枚ずつ差し込んでいきます。

1日目は4人で、2日目は3人で作業をし、出来上がったのは140冊。思った以上に時間のかかる作業でした。

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『銭湯断片日記』の本体と、各扉に貼る小さな絵。

 

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龜鳴屋での作業風景

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章扉

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スピンは銭湯ではお馴染みのケロリン桶の色、明るい黄色。

 

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奥付の検印紙は、銭湯に行くたびに飲んでいるビール、の栓抜きのデザイン。数字は1冊ずつ手描きです。

 

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付録の冊子。谷根千ウロウロさん撮影、谷中「世界湯」の写真。

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付録の冊子。石神井書林内堀弘さんの書く「武藤さんの字」。


こうして『銭湯断片日記』出来上がりました。本文512ページ、分厚いので自立します。

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武藤良子著『銭湯断片日記』龜鳴屋

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 初売りは、トークショーに合わせて4月25日ブックギャラリーポポタムにて。

ふだん本屋には並ばない龜鳴屋の既刊本も合わせて展示販売いたします。この機会をお見逃しなく。
popotame.com

夕方のチャーハン

大学の食堂で夕方4時間アルバイトをしている。絵だけでは食えず、金に困ってはじめた仕事だが、腹を減らして駆け込んでくる学生たちにカレーをよそい、ラーメンを茹でながら、使われた食器を洗いかたしていく作業は性に合っていたようで、気づけば4年経っていた。

日替わり定食などメニューは多いが、カレーやラーメンなどの定番もの以外、夕方にはほとんど売り切れとなる。遅い時間に食堂に来る学生のために、夕方独自のメニューがあればと声があがり、おしるこ、かき氷、ローストビーフ丼など、甘いものからご飯ものまで試した結果、評判がよかったのがチャーハンだった。

夕方4時近くになると、店長がチャーハンを作りはじめる。白飯、ネギ、卵、チャーシューの切れっ端を大きな鍋でぐわっと炒める。油と醤油の焦げる匂いがして、黒胡椒をきかせたチャーハンがあっという間に出来上がる。出来上がったチャーハンをパットに入れ、ラップをかけて温蔵庫で保存する。準備が出来たらショーケースに見本を出す。チャーハン200円、大盛りは50円増し。お好みで紅しょうがもつける。

はじめにショーケースのチャーハンに気づいたのは、よく食堂に来る、常連の学生たちだった。

このチャーハンってどの食券買えばいいの?

200円分の食券ならなんでもいいよ。

急ごしらえの食券を受け取り、温蔵庫から出したチャーハンを丸い型にはめ、中華模様のプラスティックの皿にかぽっと出す。スープもサラダもつかないが、200円という安さと、居酒屋の厨房仕込みだという濃い味付けは学生に受け、よそう手間の少なさと洗いものの楽さでアルバイトからは受けた。

夕方のチャーハンは常連たちの口から広まり、しばらくすると、まだかまだかと学生たちが、夕方の食堂をのぞくようになった。

200円券と50円券1枚は当たり前、50円券2枚で超大盛りにして、と言う男子学生たち。

ダイエットをしているのでご飯は少なめにと言う女子学生たちも、チャーハンだけは何も言わずにきっちり一人前食べる。

食堂のカウンターに200円の食券の列が出来る。大きなパットいっぱいのチャーハンは、1時間もしないうちにたいてい売り切れになる。間に合わなかった学生たちが、もうチャーハンないのかよー、と嘆きの声をあげる。

来年度、春からこの大学の仕組みが変わるから、食堂もどうなるかわからないよ、とだいぶ前から言われていたが、年明けあっけなく、夕方の営業は来週で最後だからと、4年間の終わりを告げられた。

毎日のように来ていた彼らに、夕方の食堂と、チャーハンの終わりを告げたいが、年明けの大学はまだ学生の姿も少なく、彼らの顔もあまり見ない。それでもチャーハンだけは、いつの間にか空になる。

終りを告げられないままの最後の日。食べそびれた学生がいないよう、せめていつもの倍作りましょうよ。店長にそう提案すると、いつもより大きな鍋で、いつもの倍のチャーハンを作ってくれる。これだけあれば間に合うね、と言い合いながら。

いつも通り、夕方4時にチャーハンの見本をショーケースに出す。200円の食券の列を待ちわびる。

大学の授業の関係か、最後の日、チャーハンを食べに来たのはたった3人だけだった。