断片日記

断片と告知

枕詞

金沢でちょっと遠いところ、第7ギョーザとか、レモン湯とか、へ行こうと思うと、勝井さんが車を出してくれる。乗っているあいだ黙ったままでも構わないけど、ちょっと遠いので車のなかでなんか話す。何度も車に乗るうちに、話したことを忘れて同じ話をまた話す。面白い話ばかりなので、同じ話でも気にしない。気にしないけど何回目かで、あ、その話、前にも聞いた、と申告する。最近では、この話前にもしたかもしれないけれど、と枕詞を保険につける。

学生食堂のアルバイトをはじめて4年が過ぎた。新しく入ってきたアルバイトに仕事のやり方を伝えるのも仕事になった。開店準備は早番の人たちが、開店から閉店作業までが遅番のわたしの仕事だ。戻ってきた大量の皿の洗い方、乾燥機への仕舞い方、どうやったら早く楽にできるかを4月から伝えているが、伝わらない人には今年が終わるいまになっても伝わらない。これこないだも言ったよね、覚えてね。

同じようなことばなのに、したかもしれない枕詞はいつでも明るく、したよねの枕詞は言うたび沈む。

これ前にも言ったと思うんだけど。言ってもらえるだけありがたいと思わなきゃね、ねぇねぇ、武藤さん、こないだの即位のパレード、テレビで見ました?彼女は沈むことさえ許してくれない。どこまでも足のつかないプールみたい、彼女の前でわたしはいつも浮いたまま。

福神漬け

学生がカレーの食券を持ってやってくる。券を受け取り、長方形のカレー皿に飯を半分、カレールーを半分よそう。炊飯器の横には福神漬けの入ったポッドが置かれている。トングで福神漬けをつまみながら、福神漬けはつけますか?と注文が入るたびに聞く。答えが、つけます、つけません、なら簡単だが、一番多い答えは、大丈夫です、だ。つけますか?と聞き、大丈夫です、と言われたら、わたしは福神漬けをつけない。

つけないままでカレー皿を差し出すと、学生が、いえ、大丈夫なんですけど、と不思議そうな顔をする。福神漬けをつけて大丈夫です。最近の使い方はそうなのかと、それならそれでと福神漬けをつけると、いえ、大丈夫なんですけど、とまた不思議そうな顔をされる。

大丈夫です、の、いるいらないは人それぞれらしい。聞き方を変えてみたらとほかも試す。福神漬けはいりますか?福神漬けはどうします?福神漬けは?どう聞いても返ってくる、大丈夫です、の守備範囲が広すぎて、打った打球が向こうへ飛ばない。

近くて遠い金沢と

いつもはひとりでビジネスホテル泊まりだが、今回の金沢行きは友人が一棟貸しの宿を探してくれた。東山茶屋街のそばの、古い長屋を改装した宿だ。1階には、みなで食事ができる大きなテーブルと椅子、小さいが煮炊きのできる台所、洗濯機乾燥機がついた風呂場、奥の部屋にはベッドがふたつ、2階にもベッドが4つと、一通りのものが揃っていて旅先でも「生活」ができる。沖縄からひとり、東京から4人、合わせて5人、この宿で4日間を過ごす。先に荷物を降ろして東山を散策してから戻ると、沖縄から着いた宇田さんが、おかえりなさい、と玄関の戸を開けてくれた。

宿から一番近い銭湯は浅野川大橋のたもとにある「くわな湯」だ。川沿いと路地からと入り口がふたつある。ガラスの引き戸を開けると玄関があり、入浴券の販売機を正面に、右手が男湯、左手に女湯の暖簾がさがる。暖簾をくぐると右手に番台、販売機が壊れていたので420円を払う。入るとまず正面の大きな本棚が目に入る。左手のアイスが入った冷凍庫の横にも本棚がある。並んでいるのは、石田衣良恩田陸伊坂幸太郎村上春樹スラムダンク宇宙兄弟など、人気作家の新しめの本がきれいな背表紙を見せている。ノートが1冊本棚に置かれ、めくってみると、書名、日付、名前、が書かれ、どうやら貸本ノートのようだ。本棚が置いてある銭湯はまま見るが、たいていよれた雑誌か、抜けた巻の漫画が並ぶかで、こうした生きた大きな本棚がふたつも、しかも貸し出ししているのははじめて見た。

洗い場は、島カランが真ん中に一列。左手の壁沿いにサウナと水風呂、とカランが奥の壁まで続く。右手の男湯との境の壁に奥から、座ジェット、泡、薬湯、と湯船が三つくっついている。奥にいくほど湯は熱くなる。サウナの入り口の上に、洗い場に向かってテレビが一台置かれている。音は出ているのかいないのか、風呂につかってぼやけた映像を眺める。洗い場入ってすぐ右手に男湯と行き来のできる戸があるが、その上に固定シャワーがふたつ並んでついている。ひとつが水、もうひとつはお湯が出る。その横には円筒形のシャワーブース。中に入って蛇口を開くと360度から湯が噴き出る仕組みだが、壊れてまともに湯が出ない。この円筒シャワーはよそでも見るが、どこもきちんと湯が出たためしがない。

体をふいて脱衣所へ。本棚の裏にくっついて島ロッカー、その上に「くわな湯」の模型がどーんとのっている。湯上がりには冷えたビールをぐっとやりたいが、冷蔵庫はあっても缶ビールは売っていない。昨年からの金沢通いで行った銭湯、あわづ湯、れもん湯、石引温泉亀の湯、みろく温泉元湯、松の湯、瓢箪湯、梅の湯、こぼし湯、どの銭湯でも缶ビールも缶酎ハイも見なかった。駐車場のある銭湯が多く、車で来る人が多いからかもしれない。ホテルの上にある「天空の湯」だけは、ロビーの端に缶ビールの自販機が置いてあったが、故障中と書かれた紙が貼られていた。

人よりよぶんに酒を飲むくせに便所も近いので、わたしだけ便所に近い1階のベッドで寝る。2回か3回、尿意で起きる。朝は誰かが2階から降りてくる音で目が覚める。

11月30日トークショーの朝、昨晩エムザのアンデルセンで買ったパンを食い、宇田さんと先に宿を出る。浅野川大橋を越えてまっすぐ、味噌蔵町をくいくいと曲がり、金沢城兼六園の間を抜けていく。信号の横についた道路標識を見て、縦書きですね、と宇田さんが言う。言われてみれば、縦長紺地の標識に白抜きの文字で味噌蔵町とある。沖縄は横書き、東京はどうだったか。

21世紀美術館横の用水沿いを歩き、片町のほうまで。金沢の街はいたるところに用水が流れ、家の前にも流れているので、私有橋と呼ばれる小さな橋が、家と道とをつないでいる。植木鉢がのっていたり、駐車場を兼ねていたり、形も素材もまちまちなので見飽きない。宇田さんが私有橋の写真を撮る。宇田さんは昨晩も、近江町市場にかかるアーケードを何枚も何枚も撮っていた。沖縄の宇田さんの店の前、牧志第一公設市場の建て替えとともに、店と市場にかかるアーケードも建て替えになる。宇田さんのカメラは城とか紅葉とかには向かない。宇田さんのカメラが、わたしが見せたかった小さな橋に向かう。

犀川大橋を越え、交番を右折、すぐに犀星が子どものころ住んでいた寺・雨宝院がある。ここから、犀星の生家のあとに建てられた室生犀星記念館は、目と鼻の先だ。『杏っ子』を読んだあとに金沢を歩くと、寺と生家があまりにも近いことに驚く。犀星の容赦のない描写で知る育ての母の行いと、産みの母の生きる場所が、せめてもう少しだけ離れていて欲しかった。

室生犀星記念館で室生洲々子さんとトークの打ち合せ。打ち合せのあと、近くの「中華の白菊チュ〜」へ行く。白菊はこのあたりの地名で、みんな白チュ〜と呼んでいる。あんかけ焼きそばがうまいと洲々子さんに教えてもらったが、寒かったので温かい汁物をと、あんかけラーメンを食べる。宇田さんは、ご飯を食べないと力が出ない、と昼セットのラーメンと炒飯。チュ〜は中華のチュウだと思っていたが、タダシさんがはじめたからだと教えてもらう。タダシさんがはじめたチュ〜は金沢の街のあちこちにあるようで、昨晩パンを買ったエムザの中にも町名のつかない「中華のチュ〜」が入っていた。

洲々子さんと宇田さんとの3人でのトークショーは大入り満員。幅広い層の人たちが来てくれたと喜んでいただけたが、人前で話すことは何度やってもやれた気がまったくしない。たどたどしくとも誠実にと試みるが、はじまったとたん脳がぴゅーっと滑っていく。打ち合せと展示の搬入とで何度も来ている金沢で、洲々子さんと龜鳴屋の勝井さんと夜はたいてい飲みに行く。酒とともに洲々子さんから聞く室生家のこぼれ話が好きなので、その片鱗は、トークショーに来ていただいた方にも味わっていただけた気がする。沖縄から来た宇田さんは、沖縄の詩人・山之口貘と犀星が似ていると話す。文法が、文章がちょっとおかしくとも、それよりもっと書きたいことがあるふたりだと、そうしたところがアイドルなんですと話す。わたしは『をみなごのための室生家の料理集』と『犀星スタイル』の挿絵で触れるまで、犀星をまともに読んでこなかった。詩、小説、随筆、どれも幅広く膨大で、何から読んでいいのかわからない作家のひとりだった。挿絵を描くにあたり、洲々子さんからいただいた資料は、洲々子さんがおこした室生家のふだんの味のレシピで、犀星を読むより先に、わたしは台所の勝手口から室生家に入れてもらった。勝手口から入った室生家は、写真で見ていた犀星の渋さからは真逆の、寝室の戸まで開け放している赤裸々さで、その驚きを話そうとマイクを持ったとたん、脳がぴゅーっと滑っていった。

 トーク終わりのサイン会で、Oさんから『ふるさとのかぜ』第130号という冊子をいただく。Oさんは「父ちゃん、沈んだ、沈んでる」という文章を冊子に寄せている。父親と銭湯に行った子どもが、八百屋のおじさんが湯船で溺れているのを見て、助けようとして一緒に溺れてしまう話だ。これ「野町湯」です、とOさんが言う。取材に来てくださったAさんは大学が金沢で、入学してすぐ金沢市内の銭湯リストを大学から配られたいう。入学した90年代はじめには金沢市内に70以上銭湯がありましたよ、と教えてくれる。寮の風呂が週3日だったから、すぐ裏手の「野町湯」に行っていたんです。

「野町湯」は、北陸鉄道石川線野町駅を出てすぐ左手にある銭湯だが、いまはもう廃業している。わたしがはじめて金沢に行った2011年3月はじめにはまだやっていた。銭湯というより古い旅館のような木造の佇まいで、中に入ると脱衣所の流しも、洗い場も凝った美しいタイルが貼られていた。廃業したいまも建物は残り、裏手に回ると表とは違う、古いレンガ造りの壁と煙突が見える。外に面して一部タイル貼りの壁も見える。

そういえば、宿から一番近いスーパーに行く途中には「梅の湯」があり、前を通るとしばらくお休みしますの貼り紙が。龜鳴屋の勝井さんに伝えると、えっ、と驚く。「梅の湯」は、だいぶ昔、勝井さんが長屋住まいをしていたころ、通っていた銭湯だ。昨年だったか、勝井さんに連れられ入りにいった。1階が駐車場で2階が銭湯。階段をあがると温室のように植木が並び、女湯の入り口のガラス戸には「ご婦人」だったかの文字があり、銭湯というよりパーマ屋の入り口のようなしゃれた様子だった。脱衣所にはストーブが出ていたので、まだ寒い時期だったのか。帰るときに番台の女将さんに、また来なっし、と言われていたのにそのままになっている。

トークの翌日は、勝井さんちを訪ねたり、回転寿しに行ったり、活版の尚榮堂さんで試し刷りをさせてもらったり。夜はわたしたちの宿で、室生犀星記念館の洲々子さんSさんOさん、勝井さんご夫妻と、総勢10名で鍋を囲んだ。エムザで買ったタラとホウボウを鍋で煮る。差し入れでいただいた日本酒とワインと白菜とチーズとかぶら漬け。金沢では正月に食べるという、福梅と辻占という和菓子。

最後の朝は、米を炊いてスーパーで買った納豆をかけて食う。ホットプレートも炊飯器もあるのに、なぜかご飯茶碗が見あたらない。ケーキをのせるような小さな平皿に盛られた納豆飯が、ぼろぼろ箸から逃げていく。余った米を4人で分ける。紙コップに一杯ずつ米をすくってポリ袋に入れていく。配給、疎開、ということばが浮かび雨の朝がより暗い。

バスで金沢駅まで出て、宇田さんは小松から飛行機で帰る。帰りに小松駅そばのアーケード商店街を見て行くという。金沢にいた4日間でおでんを3回食べた。金沢のおでんで一番好きな具は、出汁がしみたくるま麩だ。沖縄ではおでんもくるま麩も食べるのに、おでんの具にくるま麩は入れません、と宇田さんが教えてくれる。東京のおでんでもくるま麩は見ない。沖縄まで飛行機でたった2時間、東京も新幹線で2時間半だが、くるま麩とおでんが出会うには遠いらしい。

 *

 金沢の室生犀星記念館で行われている「犀星スタイル 武藤良子原画展」は、2020年3月まで続きます。展示会場で配布されている出品目録に、「勝手口から」という短い文章を寄せました。ぜひお持ち帰りください。展示グッズ、絵葉書も、1階の売店で販売中です。ご来場おまちしております。

室生犀星記念館

* 

 

「犀星スタイル」グッズ販売はじまりました

金沢・室生犀星記念館のサイトで「犀星スタイル」グッズの販売がはじまりました。

サイトの雑貨の頁で、室生家で食べられていた金沢式玉子焼きのトートバッグとサコッシュ、版画家の畦地梅太郎さんの文字を装画に使った『われはうたへどもやぶれかぶれ』サコッシュ、を販売しています。文字も絵もシルクスクリーンで刷られています。シルクスクリーンは秋田の6jumbopinsさんに刷っていただきました。

絵葉書の頁では、原画展「犀星スタイル」の中から5点を選び葉書にし、販売しています。

記念館でも買えますが、通販もできます。購入方法の頁をご覧ください。

ミュージアムショップ | 室生犀星記念館

 

f:id:mr1016:20191115140959j:plain

f:id:mr1016:20191115140935j:plain

f:id:mr1016:20191115141023j:plain

f:id:mr1016:20191115141345j:plain






入谷コピー文庫「かすり傷」

堀内恭さんが発行する入谷コピー文庫の最新刊、異論・反論・与論島シリーズの第4回「お痛み」に「かすり傷」という文章を書きました。ブログに転載いたします。

 

「かすり傷」

夜遅く帰ると家のわきの電柱の下で男と女が口喧嘩をしている。言ったとか言わないとか、たいした喧嘩じゃないが騒がしい。横を抜けて家に入る。電柱のわきの部屋の介護ベッドで寝たきりの父に、ただいま、と声をかける。動かない体のかわりに目線を電柱のほうに向け、あれはお前か、と父が訊く。男と女の声は外からかわらず続いている。近所迷惑だからやめなさい。わたしは父の目の前にいる。

新幹線乗り場に思ったよりも早く着いた。時間つぶしに待合室の椅子に腰掛け文庫をひらく。向かいの椅子に女がやってくる。すぐに座らず、鞄からウェットティッシュを取り出し、時間をかけて椅子を拭く。もう一枚ひろげてまた念入りに椅子を拭く。拭き終わると二枚の濡れたティッシュをくしゃっと丸め、椅子と椅子の隙間につばを吐くように捨てる。遅れてきた連れの男と、つばを挟んで椅子に座る。女が男にもたれかかる。いま東京駅ではエスカレーターの手すりにつかまろうキャンペーン中です。天井から降ってくるアナウンスを、読みかけの文庫にはさむ。

先生と呼んでいるがわたしの先生だったわけじゃない。古本屋を営む知人の大学時代の先生だ。古本屋とともにときどき家にも呼ばれ、本の片付けを手伝っている。なんだか具合が悪いみたい。珍しく先生のほうから電話をもらい、古本屋とともに一人暮らしの家に向かう。腹が痛くて裂けそうだ。青でも黄色でもない顔色を見て、はじめて救急車を呼んだ。保険証、診察券、おくすり手帳、荷物を抱えて一緒に救急車に乗り込む。武藤さん、すまないね。腹に手を置いた先生の声はいつもと違ってとても小さい。ピーポーピーポーピーポー。あぁ、この音を聞くとほっとするよ。道端で聞いていた音と違う、車の中で聞く赤いサイレンの音は、遠雷のように小さく遠い。どういったご関係で。救急隊員に訊かれ、さっきいた知人の、大学時代の、先生です、と遠い関係を答える。

古本屋の父親が脳出血で倒れ、左半身麻痺になった。介護ベッドと車椅子を使った自宅介護がはじまった。わたしは週に三日、食堂のアルバイトのあとで夕飯を作りに行くことにした。右手で箸は持てるものの以前のように口は開かず、大きなものは食べられない。なるべく小さく食べやすく、と食材を刻む。このころよく包丁で指先を切った。食堂と、古本屋の父親の家と、わたしの家と、使う包丁の切れ味が違うからかと、しばらくして思いいたった。いつもならこのくらい、と油断した指先を刃が刻む。

週に三日の夕飯作りで一番よろこばれたのは豚骨ラーメンだった。脳出血で倒れる前に通っていたラーメン屋の、なんちゃっての再現だ。買ってきた豚骨味の袋麺を茹で、戻したキクラゲ、茹でもやし、万ネギを散らし、セブンイレブンで売っている甘辛く煮たチャーシューをのせ、白ごまをふり、最期にチューブのニンニクをたっぷりしぼる。店の味にはだいぶ劣るものの、家で気軽に食べられるのが気に入られ、週に一度はせがまれる味になった。毎週作るうちに、このラーメンに愛称をつけようか、という話になった。どんな名前がいい?と訊かれ、とっさに、オーメン、と答えた。わたしが子どものころ流行っていたホラー映画の題名だ。

 最近オーメン作った?と古本屋の父親に訊かれる。作ってないよ、食べる人がいないから。古本屋の父親は誤嚥性肺炎で病院に入ったっきり、口からものをとれなくなった。見舞いに行った帰りの車のなかで、夢を見たんだ、と古本屋が言う。まだ在宅介護をしていたとき、家に帰ると父親が立って歩いてて、あれ、歩いてる、と夢のなかで泣いて、夢から覚めてまた泣くんだ。そんな夢を三回くらい見たよ。

 何かするつもりも無かったんだけど、お寺さんから葉書がきてね。お父さんの十七回忌だって。卒塔婆くらいはあげようかと思うのよ。寝たきりだった父の部屋はいまでは母の部屋になった。介護ベッドは返して、布団を敷いて母は寝ている。仏間も兼ねた母の部屋から月命日には線香の匂いが漂ってくる。夜遅く、ときどき酔っぱらいが歌いながら家のわきを通り過ぎて行く。電柱のわきで喧嘩する男女はあれから見ない。

 

 

 

『全集 伝え継ぐ日本の家庭料理』第1期

全集『伝え継ぐ日本の家庭料理』(農文協刊)の装画を描きました。

前書きには「このシリーズは、日本人の食生活がその地域ごとにはっきりした特色があったとされる、およそ昭和35年から45年までの間に各地域に定着していた家庭料理を、日本全国での聞き取り調査により掘り起こして紹介しています。」とあります。

打ち合せのとき、編集の中田さんの口から「いまやらなければ、間に合わなくなる」ということばが何度も出ました。消えていくものをどうにかして残すこと。こうした仕事に絵で関われたことがうれしいです。

全集は、すし、野菜、肉、豆腐など、地域別ではなく料理、素材別にわかれ編まれています。頁を開くと、どーんと大きな写真とともに材料と作りやすい簡潔なレシピ、そして料理を紹介する短い文章がついています。何気なく口にしていた家のおかずの背景を知ることが出来ます。

例えば「肉・豆腐・麩のおかず」に出てくる沖縄県のフーイリチー。「昭和30年代の沖縄では麩はポピュラーな食材でした。乾物なので買いおきができ、台風で買い物に行けないときに便利なので、県民の常備食のように親しまれています。当時は卵は貴重品だったため、増量するために麩を卵に見立ててつくったそうです。卵は男の子が優先で、女の子には麩が回ってきた、という話もあります。」

例えば「魚のおかず」に出てくる石川県のいわしの塩煎り。「かつて石川県ではいわしがたくさんとれ、金沢市近在の金石港では、漁港周辺の道などにいわしの詰まった木箱が一面に並んだといいます。網から揚がったばかりのいわしには砂がついていて、それが新鮮な証拠です。いわしは港から金沢市内に売りに来ていましたが、中にはわざわざ砂をつけて売ったという話もあります。」

こちらの全集は、別冊『うかたま』から出ていたシリーズのハードカバー版になります。別冊、全集のどちらも、目次頁のイラストも担当しています。2021年までに全16冊すべてが刊行される予定です。

http://www.ruralnet.or.jp

f:id:mr1016:20191110214106j:plain

f:id:mr1016:20191110214054j:plain

 

f:id:mr1016:20191110214024j:plain

f:id:mr1016:20191110214011j:plain

f:id:mr1016:20191110213956j:plain

f:id:mr1016:20191110214039j:plain

こちらが別冊『うかたま』版の『伝え継ぐ日本の家庭料理』。ハードカバー版と中身は同じで、お値段お安くなっています。

f:id:mr1016:20191111164351j:plain


 

犀星スタイル−武藤良子原画展

『をみなごのための室生家の料理集』と『犀星スタイル』の挿絵の原画展を、金沢の室生犀星記念館で行います。 11月30日には、沖縄から市場の古本屋ウララの店主・宇田智子さんをお招きして、犀星の孫の室生洲々子さん、宇田さん、わたしの3人でトークショーを行います。市場の古本屋ウララで『沖縄スタイル犀星スタイル』の展示をした際、犀星はアイドルなんです、と言った宇田さんのことばを聞き、今回金沢にお誘いしました。果たしてどんなトークになるのでしょうか。展示に合わせて犀星グッズも準備中です。詳細はもう少々お待ちください。

 

■「犀星スタイル−武藤良子原画展」

室生犀星記念館が発行する冊子『をみなごのための室生家の料理集』と『犀星スタイル』の原画展です。合わせて冊子のなかで取り上げた、犀星の身の回りのものも展示されます。

展示期間:2019年11月16日から2020年3月8日まで

開館時間:9時半から17時

展示期間中の休館日:年末年始12月29日から1月3日まで

場所:室生犀星記念館(石川県金沢市千日町3−22)

室生犀星記念館

■関連トークイベント

「をみなごたちの雑談風発」

3人のをみなごによるトークイベントです。

トークゲスト:宇田智子(市場の古本屋ウララ店主)、室生洲々子(室生犀星記念館名誉館長)、武藤良子

日時:11月30日14時から

定員:40名

申し込み:076-245-1108(室生犀星記念館へ電話で申し込み)

場所:室生犀星記念館1階

入館料一般310円かかります。

 

f:id:mr1016:20191028161747j:plain