断片日記

断片と告知

酸っぱい

食堂の端っこには食べ終わった食器をさげる場所、返却口がある。

返却口の手前には水の流れる溝がある。ここに食べ残しを落とす。溝の奥には水の溜まった大きな水槽がある。ここに食器を落とす。食器は洗われ翌日も使われる。

溝に落とされた食べ残しは水で流され一ヶ所に溜まる。溜まった食べ残しは二重のゴミ袋に入れられ、ポリバケツに入れられ、ゴミ置き場に捨てられる。

ときどき友人たちと飯に行く。友人たちが食べ残したものもわたしは平気で食べられる。食べ残しはまだゴミじゃない。

皿にのっていた食べ残しは、どこでゴミにかわるんだろう。 

必要とされなくなったら。

でも誰かが必要としなくなっても、他の誰かが必要ならまだゴミじゃない。

それなら、この世にゴミなんかない。

でもゴミとして捨てられるものもある。

それは捨てる側がゴミだと思うから。

あいかわらず近くの大学の食堂でアルバイトをしている。食堂に入る業者がかわり、残るか他の大学に行くか悩んだが、近さを選びそのまま残ることにした。

返却口の掃除をして、溜まった生ゴミ素手で掻き出す。たいてい掃除の水や汁がとんで制服が濡れる。明日着る替えの制服の用意を忘れて、汁がとんだ制服をそのままロッカーにしまう。次の日、ロッカーをあけるとちょっと酸っぱい。開けたとたんの空気が酸っぱい。

「本のあるところ」入谷コピー文庫

堀内恭さんが発行している『入谷コピー文庫』にときどきよばれて文章を書いている。毎回、テーマもまちまち、書く人もまちまち、堀内さんが声をかけた人たちの文章がコピーされ綴じられる、たった20部だけ作られる小さな同人誌だ。ブログへの転載は問題ありません、とのことなので、ときどき『入谷コピー文庫』に書いた文章をこちらに載せようと思う。今回のテーマは、大滝秀治人間劇場シリーズ第4回『お世話になりました』。

 

「本のあるところ」

小学校は家の目の前の公立だったが、中学からは私立の女子校に通った。通ったというか、わたしの粗雑な性格をどうにかしようとした母に放り込まれた。うちから山手線で一駅目にある学校だった。

朝、明治通り池袋駅に向かって歩くと、同じ小学校に通っていた彼らとすれ違う。ひとり違う制服が通学路から浮いていて、おはよー、元気ー、そんなことばさえ彼らの固まりに投げられない。でもそんなことはちっとも気にしていませんよ、とちっぽけな見栄を貼り付けた顔で駅まで歩く。

中学に入学してすぐのころは、公立に行った彼らの遊びに混ぜてもらっていたが、彼らの口から出る知らない固有名詞についていけなくてやめた。女子校で話す人は出来たが駅や電車で別れてしまえば、放課後、家の近所で気軽に遊ぶ人もいない。

学校が終わると、池袋駅の改札を抜け、西武百貨店を抜けて雑司ヶ谷の家まで帰る。百貨店の雑司ヶ谷よりのどん突きにはあのころ新刊本屋のリブロがあった。まっすぐ家に帰ってもすることがないから、仕方がないからリブロに寄る。

日々顔の変わる雑誌の棚は、毎日立ち読みしても飽きない。読めもしないのに人文書の棚や洋書の棚を眺め、気になる背表紙を引っぱり出してはまた戻す。詩集を扱うぽえむ・ぱろうるでは、詩集だけじゃなくガロ系の漫画も立ち読みできる。美術書を扱うアール・ヴィヴァンには、見たことのない画集や現代美術の本が宝石みたいに並べられている。真っ赤なアール・ヴィヴァンの棚から先、洞窟のようにのびた黒い棚は、現代音楽、演劇、映画へと続いて迷路のようだ。

ひとりぼっちで金もないので、休日も本屋しか行くところがない。リブロの棚に飽きると、池袋東口の新栄堂書店、雑司ヶ谷の高田書店、目白駅前の野上書店と、家から歩ける本屋から本屋へ、サンダルをつっかけて回る。歩き疲れると図書館で休む。本のあるところはひとりが目立たなくていい。

アール・ヴィヴァンで芸術は格好いいと、親鳥を追うヒヨコのように刷り込まれたので絵を描きはじめた。ハタチから通った絵の学校は曙橋にあったので、学費を稼ぐために新宿でアルバイトをはじめた。本のあるところには馴染みがあったので、選んだ先は本屋だった。

新宿駅の西口、小滝橋通り沿い、夫婦ふたりとアルバイトがふたりの小さな新刊本屋だ。主な仕事はレジ打ちと近くの店への雑誌の配達。美容院へ持っていく女性誌は重く、喫茶店や銀行へ持っていく週刊誌は軽い。雑居ビルのなかの増毛カツラ屋にも雑誌の配達なら入り込める。2年くらい続けたが、近くにチェーンの本屋が出来て潰れて辞めた。チェーンの本屋もそのうち潰れてドラッグストアになった。

 新宿の百貨店のアルバイトで知り合った人から、新しく出来た新刊本屋で働かないかと誘われた。池袋のリブロの向かいに出来たジュンク堂書店だ。面接に行くとあっさり受かり、散々通ったリブロの向かいで働きはじめた。

はじめは児童書の棚だったが、すぐに医学と福祉の棚に移動になった。医学書院、医歯薬出版、文光堂、今日の治療薬、DMS−Ⅳ。なんのこっちゃかわからないがお祭りみたいによく売れた。潰れた本屋からよく売れる本屋へ、よく売れる棚へ、自分の手柄でもないのに自分の手柄みたいな顔をして6〜7年働いた。

描き続けた絵ではじめて本の仕事をしたのもそのころだ。林真理子の『白蓮れんれん』の文庫本の装画、青い花の絵だ。自分の絵が、本のあるところに、文庫の棚に平積みされている。何度も何度も見に行った。

ジュンク堂を辞めるころ、今度は古本屋と知り合った。不忍の一箱古本市がはじまり、古書往来座外市がはじまり、やがてみちくさ市になり、一緒に古本のイベントをするうちに、早稲田や池袋の古本屋と飲み歩くようになった。本の扱いには慣れてるからと、ときどき古書会館での催事のアルバイトにも誘われる。

その日、五反田の古書会館でのアルバイトを頼まれた。ほかの催事とかぶった古書赤いドリルさんの代わりに、クロークをやったり帳場に入ったり。古書会館の1階は安い本が並ぶ均一棚で、金を扱う人、本を包む人と、必ず二人一組で帳場に入る。月の輪書林さんが金を扱い、わたしが本を包んでいく。帳場のちょうど目の前は、古書赤いドリルの均一棚だ。

一日目はそこそこ売れたが二日目になるとなかなか本が動かない。今回のドリちゃんの均一本はあちこちの催事を回ってきた本だから、今日終わったらもう廃棄だからね、売れなくても仕方がないね、と月の輪さん。

それでも雇われたからにはと未連たらしく棚をいじると、月の輪さんも一緒になって棚を見はじめる。ふと小さく、わたしの横で何かをつぶやいたかと思うと、あれ、まだこんないい本あるじゃない、と棚から薄っぺらい本を引っぱり出した。『関口良雄さんを憶う』。これください、と帳場のわたしに笑ってみせた。それから、赤いドリルの棚が動きはじめた。

あのとき何て言ったんですか。なんかをアケルとか、ヒラクとか、ヒラケゴマみたいなこと棚に向かってつぶやきましたよね。しばらくしてから月の輪さんに尋ねると、俺そんな格好いいことやったっけ、と素知らぬ顔をされる。

でも、そう言えば、ななちゃんもよくそんなことを言ってたなぁ。聞きに行くことは出来ないけどね。

ななちゃんこと、なないろ文庫ふしぎ堂の田村さんは、古本屋で、『彷書月刊』の編集長で、月の輪さんの友だちで、2011年に亡くなっている。

 ななちゃんが言いそうなことを、田村さんと月の輪さんの友だちの石神井書林さんに尋ねると、あぁ、ななちゃんはそういうこと言うね、そういうこと言うんだよ、とうなずきながら考えはじめる。

「小さい窓でも開けようか。」

かなぁ。ななちゃん、そういうことする人なんだよ。

五反田の催事は二日目が終わると撤収作業に入る。次の催事でも使える本は縛ってよけて、使えない本はすべて廃棄だ。均一棚のすぐ前に横付けされたトラックの荷台に、古本屋たちが廃棄の本を放り込んでいく。運動会の玉入れみたいに、色とりどりの本たちが、宙を舞って荷台に落ちる。回収業者が溜まっていく本を踏みながら、荷台の上をならしていく。わたしも売れ残りの本たちを荷台に向かって投げていく。小さい窓から出て行けなかった本たちを。

「古本屋はみんな、死んだら地獄におちるよ。」

踏みつけられた本に向かって月の輪さんがことばを投げる。

ひとりぼっちの放課後から、死んだ後まで決めてもらって、今後とも、どうぞよろしくお願いします。

夕方のチャーハン

大学の食堂で夕方4時間アルバイトをしている。絵だけでは食えず、金に困ってはじめた仕事だが、腹を減らして駆け込んでくる学生たちにカレーをよそい、ラーメンを茹でながら、使われた食器を洗いかたしていく作業は性に合っていたようで、気づけば4年経っていた。

日替わり定食などメニューは多いが、カレーやラーメンなどの定番もの以外、夕方にはほとんど売り切れとなる。遅い時間に食堂に来る学生のために、夕方独自のメニューがあればと声があがり、おしるこ、かき氷、ローストビーフ丼など、甘いものからご飯ものまで試した結果、評判がよかったのがチャーハンだった。

夕方4時近くになると、店長がチャーハンを作りはじめる。白飯、ネギ、卵、チャーシューの切れっ端を大きな鍋でぐわっと炒める。油と醤油の焦げる匂いがして、黒胡椒をきかせたチャーハンがあっという間に出来上がる。出来上がったチャーハンをパットに入れ、ラップをかけて温蔵庫で保存する。準備が出来たらショーケースに見本を出す。チャーハン200円、大盛りは50円増し。お好みで紅しょうがもつける。

はじめにショーケースのチャーハンに気づいたのは、よく食堂に来る、常連の学生たちだった。

このチャーハンってどの食券買えばいいの?

200円分の食券ならなんでもいいよ。

急ごしらえの食券を受け取り、温蔵庫から出したチャーハンを丸い型にはめ、中華模様のプラスティックの皿にかぽっと出す。スープもサラダもつかないが、200円という安さと、居酒屋の厨房仕込みだという濃い味付けは学生に受け、よそう手間の少なさと洗いものの楽さでアルバイトからは受けた。

夕方のチャーハンは常連たちの口から広まり、しばらくすると、まだかまだかと学生たちが、夕方の食堂をのぞくようになった。

200円券と50円券1枚は当たり前、50円券2枚で超大盛りにして、と言う男子学生たち。

ダイエットをしているのでご飯は少なめにと言う女子学生たちも、チャーハンだけは何も言わずにきっちり一人前食べる。

食堂のカウンターに200円の食券の列が出来る。大きなパットいっぱいのチャーハンは、1時間もしないうちにたいてい売り切れになる。間に合わなかった学生たちが、もうチャーハンないのかよー、と嘆きの声をあげる。

来年度、春からこの大学の仕組みが変わるから、食堂もどうなるかわからないよ、とだいぶ前から言われていたが、年明けあっけなく、夕方の営業は来週で最後だからと、4年間の終わりを告げられた。

毎日のように来ていた彼らに、夕方の食堂と、チャーハンの終わりを告げたいが、年明けの大学はまだ学生の姿も少なく、彼らの顔もあまり見ない。それでもチャーハンだけは、いつの間にか空になる。

終りを告げられないままの最後の日。食べそびれた学生がいないよう、せめていつもの倍作りましょうよ。店長にそう提案すると、いつもより大きな鍋で、いつもの倍のチャーハンを作ってくれる。これだけあれば間に合うね、と言い合いながら。

いつも通り、夕方4時にチャーハンの見本をショーケースに出す。200円の食券の列を待ちわびる。

大学の授業の関係か、最後の日、チャーハンを食べに来たのはたった3人だけだった。

 

引っ越しました

以前使っていたブログ・はてなダイアリーのサービスが終了し、はてなブログに引っ越ししました。

こちらで書き続けていきます。

 以前のブログもこちらで読めます。

沖縄の市場の古本屋ウララでの展示は2月14日まで。明日、明後日の二日間です。

朝の音

たくさん飲んだ日の翌日、便所に行きたくて目が覚める。外はまだまだ暗く、夜と朝のはざ間くらい。尿意と布団から出る面倒くささをはかりにかけて、もう一度目をつぶったり、天井を見たり。そんなとき、ボン、と大きな音が隣りからする。隣りの豆腐屋が大豆を煮る大きな釜にガスを点火する音だ。ごぉごぉと、釜の底に火があたる音が、低く小さく続いていく。ごまかしきれず、布団をはいで便所へ行く。豆腐屋に面した便所の小さな窓から、煮えた大豆の甘く湿った匂いが漂ってくる。
便所から戻ってまた布団をかぶる。目をつぶるが寝付けない。そうしているうちに外が少し白くなる。白くなってはじめに騒ぎ出すのはスズメだ。周りには寺も墓地も木が茂る場所はいくらでもあるのに、どうしてこの窓の前の貧相な枝に群がるのかわからない。じゅじゅじゅじゅじゅ。じゅじゅじゅじゅじゅ。何匹いるのか、重なる鳴き声が窓のすぐそこで重たい。
キーギーキーギー。高く長く響くのは、斜め向いの葬儀屋の車庫があく音だ。古いシャッターは素直にあがらず、錆びの音を朝の街に撒き散らす。人々のケを巻き込んで、葬儀屋の朝があいていく。
大豆が煮えたのか、今度は豆腐屋の前が騒がしい。おはようございまーす。出来たての豆乳を目当てに、近所の人が、出勤前の人が、豆腐屋の軒先に顔を出す。軒先の棚には、円筒形で蓋のあるプラスティックの入れ物が、近所の人たちの豆乳のマイボトルが並ぶ。その場で飲んだり、持ち帰ったり。なにを話しているのか、ときどき笑い声が響く。
朝の音、豆腐屋のボンは日曜日が休み、葬儀屋のキーギーは友引の日が休みだ。
そんな朝の音に、春くらいか、それよりもう少し前だったか、ニワトリの鳴き声がまじるようになった。豆腐屋のボンの時間からときには昼過ぎまで、どこかでニワトリが鳴いている。近くの寺のあたりを歩いていても聞こえるし、だいぶ離れた神社の横を歩いていても聞こえる。街中の住宅街でニワトリを飼える家はそうそうないだろうと、近くの小学校にあたりをつけて近寄ると、ニワトリの声は遠ざかる。
よく行く弁当屋で、最近朝ニワトリの声が聞こえませんかと聞くと、あれうるさいわよねぇ、と迷惑顔。三時くらいから鳴いてるのよ。どこの家かしらと思って。並びの動物好きのうちあるでしょ。屋上で飼ってるのかしらって聞いてみたんだけど。違うって。どうも明治通りの向こうじゃないかって言うのよ。
うちから弁当屋まで一区画、弁当屋から明治通りまでさらに一区画、そこから交通量の多い通りを越えてさらに向こうの街から、ニワトリの声がうちまで届くのか。喉からしぼり出した、コケコー、コケコー。
そのうち探しに行ってみよう。鳴いてるときに、声を頼りに。隣町のニワトリ探しを楽しみにしていたが、そのうち、では遅かったらしい。ここしばらく鳴き声が聞こえない。よそにやられたか、鳥鍋にでもなったか。よく行く弁当屋まで、あら、そういえばそうね、食べられちゃったかしら、と似たようなことを言う。
ボン。コケコーコケコー。じゅじゅじゅじゅじゅ。キーギーキーギー。コケーコー。おはようございまーす。
朝の音からニワトリが引かれて、元に戻ったはずがなんだか少し物足りない。豆腐屋のボンもいつまであるのか。日曜日以外、大豆を煮続けた背中が見るたびに丸い。

夜のコンビニ

食堂のアルバイト帰り、近くの古本屋に顔を出す。いつもの顔が帳場の周りですでに一杯やっている。誰かもう一本飲む人いるー?と声をかけながら、夜のコンビニへ自分の酒を買いに出る。
また酒ですか。
腕に抱えた缶ビールを見て、レジの向こうの彼は必ずこう言う。
彼は、雑司ヶ谷に住む、作家で編集者のピスケンさんと、同じ風呂なしアパートの隣りの部屋に住んでいる。みちくさ市の打ち上げの店に行く途中、店への道がわからないというピスケンさんを迎えに、はじめてこのアパートを訪れた。アパートの戸を開けると小さな玄関から階段が伸び、二階にあがると暗い木の廊下の両側に点々と入り口が並んでいる。おーい、迎えに来たよー。ひと際うるさい部屋の戸を開けると、小さな流しの向こう、机と本しかないような殺風景な畳の部屋から、煙草の煙と酒の匂いが白く濁ってあふれ出す。ほら、行くよー。すでに酔っ払っているピスケンさんとお仲間に声をかけていると、ぼくの部屋ここなんです、とがらっと隣りの戸が開いた。夜のコンビニで会う彼だった。
酒を買ったときは、また酒ですか、と言い、珍しく酒じゃないものを買ったときは、今日は酒じゃないんですか、と言う。どちらにもうなづきながら、ピスケンさんは元気?と聞いてみる。二ヶ月に一度、みちくさ市のときにしか会わないピスケンさんは、二ヶ月に一度見るたびに痩せていく。えぇ、まぁ、と濁ったことばが返ってくる。
みちくさ市の打ち上げやお会式での飲み会に、ピスケンさんとともに彼を誘ったが、二度来て、二度とも酔ったピスケンさんをアパートまで連れて帰ってくれた以来、何度誘っても、えぇ、まぁ、と濁ったことばしか返ってこない。

嘆き節

西口のコンビニへ移動した彼の替わりに、西口のコンビニから新しい店長がやってきた。入れ替わりなんですよ、と新しい店長を紹介された。紹介された気安さからか、レジの向こうの新しい顔と話すことに抵抗がない。
自分が来たとたんすぐモノが壊れるんですよー、バイトのばっくれが多くてー、この店たばこの種類が多すぎるんですよー、少しずつ減らしますよー。
前の彼とは違う、真面目な顔での嘆き節もまた愉快で、あいかわらずこのコンビニに通っている。
アルバイトの顔も多少変わった。よく会うのは坊主頭のがっちりした体格の彼で、いまの店長の嘆き節のせいか、彼もまたよく嘆く。ある日行くと、寝てないんですよーと嘆き、またある日行くと、右手が痛いんですよー、と右肩の辺りを弱々しくさすっている。坊主頭とがっちりした見た目から、運動でもして痛めたのかとたずねると、いえ、役者をしています、と返ってくる。たばこを取るために一日に何度も手をあげるからですかね、とレジの真上の棚に右手をのばし、いてて、という顔を見せてくる。坊主頭にしたのも役ですよ。高校生の役なんです。
高校生?つい聞き返してしまったことばの響きを読んだのか、いや、留年した高校生ですよ、と照れながら笑う。
珈琲を待つあいだ、彼、役者なんですね、と新しい店長に話しかける。自分も昔、目指してたんですけどねー。どこか自慢げに、新しい店長がこちらを見返す。実際、多いですよ、この業界。時間の自由がわりと利くから。そうなんだ。うなづきながら、ここで働く顔とは違う、役者の顔はどんなだろうと想像しながら、いれてもらった珈琲を受け取る。