断片日記

断片と告知

さらば東京、こんにちは大阪 大阪京都死闘篇その1

朝起きると、東京は大嵐、大雨。8時半の新幹線に乗り、静岡のお茶畑が見えるころ雨はやみ、11時前新大阪に着くと曇りだった。新大阪から北区のiTohenまで地図で見るとそんなに遠くなく見える。歩くことにする。南方を歩き、淀川を越え、iTohenへ。40分くらいか。12時前にiTohenに着き、展示をし、みんなでお昼に行く。iTohenそばのピノキオという定食屋さん。ラーメンもあれば、洋食もある。私はチキンカツの定食3番、Sさんは2番、Aさんはいつも食べるというチキンライス。味も量も申し分なく、町にこうゆうお店が一軒あるといいな、そんなお店。iTohenに戻り展示の続き。私の展示はいつも早い。工夫がないからか、そのまま直球勝負だからか、3時過ぎには展示し終わる。
今日のお宿は玉造の一泊2500円の安宿。時間もあるし、歩いたほうが町が良く解るので、iTohenから歩くことにする。お薦めだという天神橋筋の商店街を歩く。どこまでもどこまでも続くアーケード。後から聞くとここは日本で1番長い商店街だそうで、本当に長くて、歩いても歩いても終点が全く見えなかった。個人商店が連なっているのもうれしい。ご飯屋さんから立ち飲み屋さんなんでもある。古本屋もたくさんあった。天牛書店さんもあった。噂どおりの良い古本屋さんでうれしくなる。
アーケードを死ぬほど歩くと河にぶつかる。それを超えて左に行くと大阪城がある。大阪城の周りは桜がたくさん咲いていた。東京よりも南だと思っていたのに、思いがけずここでもお花見ができてうれしい。皇居のようなイメージで行くと、たこ焼き屋はあるは、ゴミはちらばっているは、観光客は好き勝手にいろんなとこ見ているは、宗教の勧誘はしているはで、ものすごくゆるい場所だった。入るのも出るのも厳しい皇居とはえらい違いだった。
いろんなところを寄り道して、2時間くらいで玉造の宿に着く。玉造は落ち着いた町で、教会と学校と小さな公園と昔から住んでいる人が多そうな町。宿帳に名前と住所を書き、部屋に案内される。一泊2500円の部屋とはどんな部屋か。6畳一間の女性3人の相部屋。布団と布団の間は、小さなつい立ひとつ。他の部屋とは襖1枚で仕切られ、トイレは階下にあり、シャワーも1台だけ、風呂はない。そんなところ。今日の相部屋は私のほかに若い女性が1人。いろんな部屋からいろんな音や声がする。大家族の親戚の家に泊まりにきたみたい。宿の人に教えてもらった近くの銭湯3軒を全て見て周る。どこの銭湯に入るか決め兼ねているうちに腹が減る。宿に戻り、1階にある喫茶で瓶ビールとカレーを食べる。
結局、1番近くの銭湯「法円坂温泉」へ。法円坂はこの辺りの地名らしい。大阪は「なんとか湯」という名前は少なく、「なんとか温泉」という屋号が多かった。たぶん本当の温泉ではないと思う。そうゆう名前が流行った時期があったんだろう。東京の銭湯は洗い場の奥、突き当たりの壁に湯船があるけれど、大阪の銭湯は両側の壁にそって湯船がある。そしてその数も多い。サウナ、深め、ジェット、電気、水、露天とある。露天風呂の壁はタイル絵で、裸の女性3人が緑の中の露天風呂に入っているの図。3人ともおっぱいがでかい。目が黒目がち、というか真っ黒。湯船の手すりも、東京がタイルなのに対して、大阪は灰色でつるつるのお墓に使うような石だったのもおもしろかった。上がり湯をかける蛇口が別にあるのも新鮮だった。脱衣所の真中には赤ちゃんのオシメ替えが3台並んでいる。この後入る大阪、京都の銭湯のどれにもこの台が3人分から6人分、ずらっと並んでいて不思議だった。木製の古いものもあれば、アルミやプラスチックの新しいものもあった。ベビーブームの頃の名残だろうか。脱衣所の天井は低く、家にあるような小さな偽者のシャンデリアがぽちっと下がっている。大阪京都の銭湯は風景に溶け込んでいて、のれんが出ていなければ、煙突がなければ、前を通ってもたぶん気づかない。
宿に戻り、本を読んで、寝る。この旅のお供の本は、前日往来座で買った「へたも絵のうち」。おもしろい。相部屋の女性とは、こんばんは、おやすみなさい、くらいしか会話しなかった。