断片日記

断片と告知

斎藤酒場

午後のまだ早い時間、埼京線に乗り、十条へ行く。十条駅の北側には5つの商店街があり、十条銀座を幹として、富士見銀座、十条仲通り商店街、フジサンロード、演芸場通り商店街が、大木から生えた枝のように細く長く伸びている。そのうちの演芸場通り商店街を抜けて、今日は東十条まで歩く。
車一台通るのがやっとのような細い道に、小さなお店がぽつぽつと並ぶ。しばらく歩くと左手に、通りの名前の由来であろう、篠原演芸場が見えてくる。細い道に似合わない大きな立派な演芸場で驚く。道に面した扉の向こうはすぐ舞台なのか、掛け声や拍手が商店街に漏れ聞こえてくる。看板を見る。昼の部「巌流島」、夜の部「片腕やくざ」、木戸銭2000円。巌流島は宮本武蔵佐々木小次郎として、片腕やくざとはなんだろう、丹下左膳のようなものだろうか。
演芸場通り商店街を抜け、岩槻街道を越えると京浜東北線東十条駅が見えてくる。そこから歩いて5分か10分か、銭湯「柳湯」へ行く。ビルの2階にあるイマドキの銭湯だが、露天風呂マークに心が惹かれた。下足箱にサンダルを放り込み、券売機で入浴券を買う。自動ドアが開くと、目の前にはテーブルと椅子がいくつも並ぶ広いロビーがあり、その奥にフロントがある。フロントに座る若いお兄さんに券を渡し、左手の女湯ののれんをくぐる。脱衣所は思ったより狭く、洗い場は思ったより広い。入ってすぐ目の前に、東京にしては珍しい上がり湯をかける小さな湯桶がある。湯桶の向こうにはガラス張りのシャワーブースが2つ。それらを真ん中にして囲むように、左手から別料金のサウナ、水風呂、ジェット・電気系、ジャグジー、と並び、カランのある洗い場、露天風呂と続く。所謂イマドキのハイテク系銭湯だが、湯船のひとつひとつがとても広く、天井もそれなりに高く、露天風呂も小さいながらも空が見え、公衆浴場というよりは、スパハウスのようだ。椅子と桶があらかじめカランの前にセットされているのも珍しい。水風呂に入る。ぼうっとなった頭が瞬時にすっきりとする。湯と水とに交互に入り、肌が弛緩と収縮を繰り返すのを楽しむ。気持ちが良いわねー、とおばさまに話し掛けられる。そうですねー、と答える。私の右腕にはまるロッカーの鍵を見て、あら私の鍵どこにやったかしら、と何もはまっていない自分の右腕を見て騒ぎ出す。慌てて水風呂から出たと思うと立ち止まり、こっちにあった、と左腕にはまる鍵を見ながら笑っている。
柳湯
岩槻街道まで戻り、富士塚のある富士神社横のフジサンロードを抜け、十条銀座まで歩く。商店街をあちこち冷やかしながら、斎藤酒場へ行く。大衆酒場と書かれたのれんをくぐると、大きな木のテーブルが4つか5つか並び、赤ら顔のおじさまたちがぎっしりとテーブルを埋めている。常にほぼ満席だが、誰かが来れば、飲んでいた誰かが腰をあげ、なにやらちょうどよく席は空き、なんとなく場が回っている。空いた席に腰をおろし、ビールとつまみを頼む。ゆっくりと店内を見回す。1人で飲む人、誰かと飲む人、半々くらいか。店内は人の声で賑やかだがうるさいと思うほどじゃなく、相席の隣りの人、前の人との距離感もちょうど良く、てきぱきにこやかに働くおばさまたちの姿が見ててうれしく、値段の割りにつまみの盛り加減もよく、ビールの大瓶490円という値段も素晴らしい。名店と呼ばれる店に名店なし、と勝手に思っていたが、例外があることを知る。
十条と東十条との間、この大して広くもない町で、歩きながら銭湯の煙突を3本見た。銭湯があって、商店街があって、安くて気分のいい酒場があって、池袋から各駅で2つ。どこかから出てきた誰かにお薦めの町はと聞かれたら、今ならたぶん、十条がいいよ、と答える。