断片日記

断片と告知

阿佐ヶ谷住宅

秋には取り壊されてしまうという、阿佐ヶ谷住宅を見に行く。阿佐ヶ谷駅から15分ほど歩く。青梅街道を越え、さらに細い道を下っていくと大きな給水塔が見えてくる。それが目印だ。夏の木が繁る中に、玄関や窓を板で塞がれた、阿佐ヶ谷住宅が顔を覗かせる。塀に使うようなブロックで作られた2階建ての長屋があれば、3階建ての普通の団地もある。各長屋と団地には建物の端に各々の団地番号がタイルで記されている。10番台のものもあれば、50番台のものもある。何棟あるのかよくわからない。大きな木がある。原っぱもある。古い遊具が雨で錆びてそのままに朽ちている。砂場だったであろう場所には、砂場の淵だけ残し、草が繁っている。鬱蒼とした草木が繁る中、人気のない古い建物がある様は、絵になり、そして惹かれるものがある。どうしてだろう。
この団地が出来た頃を想像してみる。大きな木もなく、草花も生えておらず、更地にその頃にしては新し過ぎる団地が建っているのを見たら、その時私はこの団地群をいいと思うだろうか。評価が甘くなるのは、古いからか、草木が繁っているからか。よくわからない。
吉祥寺まで出て、銭湯「弁天湯」に行く。東急の裏の女子高の隣にある古くて大きな銭湯だ。外からみても、中に入ってみても、体育館のよう。この広さと雰囲気は、北池袋の「小松湯」に似ている。脱衣所と洗い場を分ける大きなガラスには、熱帯魚と、東郷青児の描く女性のような透かしが入っている。ペンキ絵は男湯と女湯をまたぐ富士山、その下には白帆の浮かぶ海の絵。珍しいのは絵の左端に海すれすれの山があり、その山道をバスが走っていること。考えてみれば、ペンキ絵で、ヨットや船以外の乗り物を見た記憶がない。湯船は、ジェット、薬湯、電気、ラドンなんとか、の4つ。薬湯は「すべすべコラーゲンの湯」と言うわけで、駄菓子屋で売っているような粉末ぶどうジュースを溶いたような怪しい紫色をしている。ラドンなんとか、はラドン鉱石がお湯に溶けています、というよくわからないもの。湯船の一部がへこんでおり、そこにごつごつとした岩があり、そこからお湯が溢れている。壁に貼ってある効能を見ると、婦人病からヘルニア、神経病などなんにでも効く。だらだらと書かれた病名を見ていると、その中の1つに目がいく。「農夫病」と書かれている。その病名から連想される疾患を考えてみるがよくわからない。このラドンなんとか湯ができた頃には、この辺にもまだ農家が多くて、そんな病気が当たり前のようにあったのだろうか。
フロントの壁に、この「弁天湯」の歴史が書かれた紙が貼られている。女将さんの話として、昔は1日に1000人お客さんがきたけど今は1日140人、とある。1000人のお百姓さんを想像する。農夫病ってなんだろう。