日記は一日ずつずれていて、いま書いているのは22日の記録。
22日。西部池袋線で練馬まで、大江戸線に乗り換えて練馬春日町駅で降りる。練馬春日町ははじめて降りた駅で、腹も減ったし駅の周りに何かあるかしら、と地下鉄の出口から地上に出てみれば、見事に何もなかった。駅前の風景の中に見えるのは、環八、スーパーのサミット、バーミヤン、チェーンの焼肉屋、交番、それくらい。仕方がないのでバーミヤンで腹を満たす。チェーン店で食う飯は、癖がなく、美味くもまずくもなく、腹は満たされるがどこか虚しい。
駅前の交差点を渡り、第四出張所のわき道を入っていく。第四出張所は、古い公団だか都営住宅だかの中にある。建った当時はハイカラで街並みから浮いていたであろうアパート群は、数十年経ったいますっかりと町に馴染み、懐かしくかわいらしく見えてしまうのは、どうしてなのか。それならば、あちこちに林立する面白みのない高層マンションたちも、いつか懐かしくかわいらしく思える日がくるのだろうか。私の頭はあまり賢くできていないので、郷愁というものにいつも簡単に騙される。
駅前にはなかった古い家並みと商店街が、この道にはあった。電気屋、定食屋、本屋。ぽつぽつと小さな店が並んでいる。飯はこの商店街で食えばよかったと後悔したが、あの何もない駅前の風景から、この小さな商店街の賑わいを想像するのは難しかった。
この町に来たのは、気になる銭湯があったからだ。銭湯「鹿島湯」。銭湯MAPの説明を見ると「木造建築半世紀、三波石露天風呂が自慢」とあり、古いこと木造なこと露天風呂があること、の3点に惹かれてここまで来たのだ。商店街を歩くこと数分。左手に、銭湯といよりは老舗の温泉旅館のような建物が、どーんと現れた。建物も、煙突も、とにかく古くてとにかく立派だ。裏に薪が積んであるのも見える。が、しかし、開店時間を過ぎているのに入り口は閉ざされたまま。近寄ってみると、入り口のガラス戸に1枚の張り紙が。臨時休業、と。どーん。ここまで来て。
仕方がないので、ここから一番近い銭湯まで、また歩くことにする。鹿島湯の前のリサイクル屋の横道を入り、豊島園の方に歩いていく。右手に古い公団か都営住宅があり、左手に町名の由来か、春日神社がある。大きな木に囲まれ、昼なのに暗く、人の気配もなく、広い敷地内に本殿と社務所だけがぽつんと建っている。しばらく歩くと、豊島園の裏側に出る。壁の向こうから、きゃー、という叫び声が定期的に聞こえてくる。小学生の頃、遊園地に行くといえば、後楽園ではなく豊島園だった。アフリカ館も、メリーゴーランドも、いくつかあるジェットコースターも、夏のプールも大好きだった。豊島園の年間パスポート、木馬の会、に入ることがあの頃の夢だったが、ついに果たせなかった。もうずいぶん長いこと入園していないが、今でも一番好きな遊園地は豊島園だ。
豊島園の壁沿いを歩く。アフリカ館を潰して作ったトイザラスが見え、豊島園の入浴施設「庭の湯」が見える。通っていた頃の豊島園とはすでに別物で、仕方がないとはいえ、どうにも寂しい。豊島園の中を突っ切るようにして流れている、石神井川を越える。川沿いを左手に歩き、しばらく行くと銭湯「宝湯」がある。マンションの1階にある、イマドキの銭湯。入ると下足場があり、ベンチがひとつだけ置いてある小さなロビーがあり、その前にフロントがある。ロビーとフロントの間に、女湯と男湯の入り口があり、暖簾が下がっている。右手が女湯。脱衣所のロッカーを見て驚く。中学とか高校とかの部室にありそうな、ねずみ色のスチール製の、縦1メートル横幅30センチくらいのロッカーが、2段重ねられて並んでいる。建て付けが悪く、開けるときにいちいち、ばかん、と音がするのが懐かしい。情緒はないが、中が2段に分かれていること、服を掛けるフックもあること、で使い勝手はいい。洗い場に入る。正面の壁から右手に「く」の字型に湯船が並んでいる。右から水風呂、広め浅めの泡風呂、小さめ深めの座ジェット付き風呂、の3つ。脱衣所にはみ出すように作られた別料金のサウナもあり、水風呂はサウナ利用者優先、の張り紙がある。ペンキ絵はなく、熱帯魚の絵が描かれたタイルが所々に貼られている。
風呂から上がり、缶ビールを飲みながら、西武線の豊島園駅に向かって歩く。豊島園の入り口と駅舎に多少の面影はあるものの、駅前の風景は一変し、映画館やチェーン店の入る商業ビルが建ち並んでいる。広くきれいになったと思う。だけど、ちっともうれしくないのは、どうしてだろう。
鹿島湯
宝湯