断片日記

断片と告知

松島、塩竈、国分町、仙台の1日目

早朝5時15分、古書往来座前で雑司ヶ谷住民の、瀬戸さん、王子、U-SENと待ち合わせ、6時22分発の新幹線に乗るため上野を目指す。池袋まで4人でゆらゆらと歩く。長い髪をバサリとおろした王子、せんとくんのような仏像顔の瀬戸さん、この2人が並んで歩く姿は漫画「聖☆おにいさん」を思い出す。山手線に乗り上野駅へ、新幹線の改札を抜ける。駅弁屋で各々弁当と酒を買う。ホームで、古書現世のパロパロ向井、みかりん、寝床やさん、と合流する。みな興奮と緊張で満足に寝られず、誰一人遅刻することなく仙台行きの新幹線に乗車する。
瀬戸さん、みかりん、寝床やさん、私の4人席と、パロパロ向井、王子、U-SENの3人席に別れて座る。寝床やさんの持ってきた廃線やその土地の名物まで印刷された鉄道地図が面白く、車窓から見える駅、越えていく川、遠くに見える山と、地図を見比べて遊ぶ。普段買うことのないカツサンドを新幹線に乗るとなぜか食べたくなる。上野駅で買った、懐かしの、と印刷されたカツサンド。みっちりとした肉が挟まった持つのに手頃な一切れが、片手にカツサンド、もう片手に缶ビールと、両手に花と楽しめる。窓際の荷物掛けに当然のように照る照るロボ、晴ーリー、をぶら下げるのは瀬戸さんだ。そんなもの持ってくるなよ、そんなとこに吊るすな、と言われながら、晴ーリーはぶら下がったまま、仙台まで晴れを運ぶ。ぶら下がった晴−リーを、酔っ払った瀬戸さんを、つぶれたパンを齧る王子を、みな写真を撮っては携帯からツイッターにあげていく。後からブログで知るのではなく、今現在の我々の様子をいまここにいない誰かが知ることができる。これは一年前の仙台行きにはなかったことだ。
8時46分仙台着。仙石線に乗り換え、松島海岸を目指す。昨年はひとりでこの海を見たが、今年は7人で同じ海を見る。海岸沿いの公園を歩き、近くの国宝があるという瑞巌寺をのぞく。山門をくぐると苔の地面から大きな杉の木が何十本も垂直に空に伸びている。湿った空気と、遠近感のなくなる眺め。右手の崖にはいくつもの穴が掘られ、石仏が収められている。肝心の国宝は、拝観料が高いから、とのわかりやすい理由で、見なくてもいい、と引き返す。腰の痛いパロパロ向井を遊覧船待合所に置き去りにし、残りの6人で観光を続ける。海岸から突き出た小さな島にある五大堂まで歩く。ベンチに座り松島の海を眺める。いつも東京で飲んだくれているやつらといまこの松島で同じ海を見ていることの不思議。
遊覧船乗り場に戻り、パロパロ向井と合流し、松島から塩竈までの遊覧船に乗る。1400円の船旅。後ろのデッキ席を占領し、松島の小さな島たちと、船を追いかけてくるカモメたちを見る。船に乗る我々と、同じ目の高さ、同じ速度で飛ぶカモメを見て、瀬戸さんがひとり興奮している。王子の食べかけのつぶれたパンを空に放るとカモメが上手に嘴で掬う。手をのばせば届くか届かないかの微妙な間をあけ飛ぶカモメ。瀬戸さんがなにかの達人のように、近づいてきたカモメに瞬時に手を伸ばし、白くきれいな羽をぱしりと叩いた。
遊覧船のおじさんに、塩竈で回転寿司はあるか、と尋ねると、JR塩釜駅のそばにあると教えてくれる。遊覧船の発着所から歩いて30分の距離。昔はずいぶんハイカラだったと思われる古い商店街を抜けてその回転寿司を目指す。閉まっているシャッターも多いが開いている店もある。大きなスーパーで何もかも売られる時代の前の、布団は布団屋、食器は瀬戸物屋、家具は家具屋、とそれだけを商売にする個人商店がまだ残っているのがうれしい。塩竈神社の前に出る。100段以上ある石段を下から見上げる。寝床やさんが、ちょっとのぼってきます、とまず石段に向い、他の4人も後から続く。腰の痛いパロパロ向井と昨年この石段にのぼった私はベンチに座りのぼる5人を下から見上げる。石段の上のほうで力尽きた瀬戸さんが這いつくばっているのが小さく見えた。
塩釜駅そばの廻鮮寿司へ。パロパロ向井、瀬戸さん、寝床やさん、私の4人と、みかりん、王子、U-SENの3人に分かれて座る。回転寿司といいながら目の前で寿司は回転しておらず、3人いる職人さんに呼びかけて寿司を握ってもらう。が、この注文がなかなか通らない。通っても出てくるとは限らない。3つ言って1つ食えればいいほうか。朝からカツサンドしか食べていない身にガツガツと寿司を詰め込みたいが、気持ちはみな同じ、仕方がない気長に待つか、と横を見れば、なぜか瀬戸さんの注文だけ全て通り、ひとりうはうはと寿司を食らっている。派手な柄の皿に、岩ガキの皿までを積み上げ、瀬戸さんお一人様の昼飯代、回転寿司で4200円という暴挙。思い出せば昨年の仙台行きでも瀬戸さんは昼からその店の中で一番高いピザを頼み、ビールも追加し、昼飯代が4000円を越えていた。金があるわけじゃないんです、でも悔いを残したくないんです、と瀬戸さんは語る。
塩釜駅から電車で仙台まで戻る。1年ぶりの仙台駅前、火星の庭までの道。久しぶりのはずなのに久しぶりという気もせず、旅先という気もなぜかしない。考えなくとも自然に足が火星の庭までの道を歩く。私にとってすでに仙台はそういう街だ。
火星の庭で前野さんにご挨拶。健一さんとメグたんは1年ぶりの対面だ。健一さんは相変わらずの優しい笑顔。メグたんは大きくなった、女の子っぽくなった。冷たくて甘いバナココを飲んでいると、新幹線後発組みの魚雷さん、ひぐらし文庫の原田さんがやってくる。回転寿司を食べた後別れ長井勝一漫画美術館を見てきたU-SEN、東京から車で荷物とともにやってきた立石書店ブルゴーニュ岡島さんと豆ちゃんもここで合流する。
火星の庭からホテルまで歩く。チェックインをして、まだ元気なやつらは広瀬川散策に出かける。確かこの道で川に出るはず、と頼りない道案内の私に、光原社に行きたい、コンビニで酒が買いたい、とみな好き勝手なことを言い放ち、そのたびに道は微妙にずれていき、いつまでたっても川に着かない。着いたと思えば高い橋の上で、見下ろすことは出来ても水に触れず。おりられる場所を探して、川沿いの道をとぼとぼと歩く。川沿いに茂る木の中でカッコウがきれいな声で鳴いている。確か1年前もそうだった。霊屋橋そばに河原におりられる道を見つける。草の茂る獣道だ。サンダルから出る足先を露で濡らしながら先頭を歩く。しばらく歩くと瀬戸さんが、ちょっとちょっと、と言いながら追い越していく。河原に行きたいと言ったのは瀬戸さんで、そしてどうしても一番に間近で川を見たいらしい。藪の中を瀬戸さんの背中が揺れていく。着いた河原は以外に狭く、もう海に近いからか石も丸く、その丸く平べったい石で石切り遊びをする。リコシェという名が石切り遊びという意味なのだと、このときはじめて知った。
魯迅の下宿、東北大の横を通り、ホテルに戻る。夜は国分町の近藤商店で牛タンの宴をする。火星の庭の前野さんをはじめとする仙台の本関係のみなさん、学生時代を仙台で過ごしたというC社のSさんとお友達、明日は「てくり」のイベントで盛岡に向かうという木村衣有子さん、わめぞの面々、そしてなぜか犬山からわざわざ出てきて名古屋の古本屋で懐かしの「大阪京都死闘篇」を200円で買いサインをもらおうと帽子の中に入れて持ってきたのに飛行機の中で無くしてきた五ッ葉文庫のごっぱ、の濃いメンツで飲む。お通しが茹でたトウモロコシ、山盛りのシーザーサラダからはじまり、焼き魚、刺身、牛タン焼き、タンシチュー、とひたすら大盛りの皿でテーブルが埋まる。ビールに日本酒にワインとめいめいの酒も飛び交っている。最後に食べたタンシチューのご飯かけ、とデザートの苺とクリームチーズ、が何よりも美味かった。
気持ちよく酔っ払って国分町を歩く。近藤商店横のおっぱいパブの看板を見ていると、おっぱぶ行きましょうおっぱぶ、と酔眼著しい寝床やさんに言われ、このおっぱぶ?とスチュワーデスではなくスチワーデスと書かれた看板を指差せば、違います、と力強く即座に言われ、それなら寝床やさんの行きたいおっぱぶはどこなのかと。それにしても国分町。銀座の裏道のビルの壁面にバーやスナックの看板が連なるあの景色と、新宿の歌舞伎町のいかがわしさを足して2で割ったような街。歩いていると、バブルの頃の、東京の夜の繁華街の賑やかさを思い出す。仙台の夜はなぜまだこんなに元気なのか。ホテルに戻り、20時間以上歩き回った一日を思い出す間もなく眠りに落ちる。