断片日記

断片と告知

瀬戸内海またぐ:倉敷滞在1日目

出かけるときの雨ほど嫌なものはなく、それが旅立ちの朝ならなおさら嫌だ。やむ気配もなく、仕方なく折り畳み傘をさし、待ち合わせの場所・古書往来座に向かう。朝5時。時間に少し遅れて黒い傘をさした王子が現われる。今日から4日間、倉敷・蟲文庫へ、個展「曇天画」の搬入を兼ねた旅に出る。
池袋から山手線で東京駅へ。売店カツサンドと缶ビールを買い、新幹線のホームへ向かう。発車までにまだ30分ある。飲んじゃおうか。新幹線が来る前にさっき買った缶ビールをホームであけ飲み干す。これがすべてのはじまりで、これから先、電車がこない、乗り間違えた、どこかに着いた、と何かあるたびに缶ビールをあけ飲み干すことになる。ホームの売店でさらに缶ビールを買い足し、新幹線に乗り込む。6時半東京発。富士山側のふたり席に座り、いつも早く食べ過ぎるからと気をつけながら、カツサンドを一切れずつ大事に食べ、ビールを飲む。
頭が雲に覆われた茶色い富士山を見る。手前に田んぼ、遠くに山、その間に点在する民家。新幹線の止まる大きな駅以外、そんな横長の景色が延々とつながる。青空が見えだしたのは京都を過ぎた辺りから。窓から入る陽射しがジーパンを焼き暑い。
9時56分、岡山着。ロッカーに重い荷物を預け、身軽な体でまず四国の丸亀・猪熊弦一郎現代美術館を目指す。丸亀へは、岡山から電車で瀬戸大橋を越え、坂出で乗り換え、坂出から2駅で丸亀に着く。そんなことも行ってから知った。地理が苦手、路線図知らない、そのくせ調べてこない、という我々ふたりは、いちいち駅員さんに尋ねながら旅をする。
岡山駅の駅員さんに教えてもらったマリンライナーで瀬戸大橋を越える。海の色、海の大きさ、島影、6月に見た松島・塩竈の景色とはまるで違う。何もかも明るくでかい。瀬戸大橋の上から瀬戸内海を見下ろせば、世界のはじまり、を見ているような気分になる。
坂出駅で車掌さんに丸亀行きの電車を尋ねる。30分後です。え、30分後?と驚いて聞き返した顔を怒ったように見つめ返される。それなら飲むか、とホームのキオスクで缶ビールを買う。坂出駅前の金色のばかでかい記念碑、その後ろの三角形の山、名物かまどと書かれた看板、そんなものを見ながらビールを飲み、30分待ち、そして30分待った末に乗る電車を間違えた。
気づいたのは電車が動き出してすぐ。これさっき見た景色と同じ、と思ったまま、我々の乗る電車はまた瀬戸内海を戻って行く。ひとりなら地団駄踏みたくなるが、ふたりなら平気だ。見える景色が瀬戸内海でよかった。見飽きないしね。お互いの馬鹿さ、のんきさを、瀬戸大橋の上で電車に揺られながら笑い合う。
本州側のひとつ目の駅、児島、で降り、数十分後の引き返す電車を待つ。児島駅のホームからは瀬戸内海が見える。蟲文庫に行く、猪熊美術館に行く、直島に行く、銭湯に入る。3泊4日の旅で決めてきたのはこれだけだ。細かい時間も予定も何も決めてこなかったが、1日目の午前中から電車に乗り間違え、瀬戸内海を無駄に往復し、広い景色を眺めているうちに、さらにいろんなことがどうでもよくなる。電車は待てばいいし、乗り間違えたらまた折り返せばいいのだ。一緒にいる人がそれを怒らず、笑ってビールを一緒に飲んでくれる人なら、そんな旅も楽しい。
瀬戸大橋を三度渡って丸亀に着く。丸亀駅前にすぐ猪熊美術館はあるが、その前にまず昼飯とうどん屋を探す。駅でもらったうどん屋MAPを片手に丸亀の町を歩く。シャッター商店街を抜け、丸亀城を下から見上げ、小さな町をぐるりと回り、1軒のうどん屋に入る。瓶ビールの大瓶を頼み、四国に、丸亀に、乾杯する。はじめて食べる四国香川のうどんは、一番人気と書かれていた肉ぶっかけ。甘く煮た牛肉がこしのあるうどんにどかんとのっていて、うまい。王子はシンプルなかま玉うどんを、なかなか減らない、とつぶやきながら静かにすする。
駅前に戻り、猪熊美術館へ行く。日陰のない駅前の暴力的な陽射し。閉館かと思うほど周囲に人がいない。近づき、雑誌や本で必ず見る、美術館の正面の壁画を見る。白い壁に黒のペンキか何かで描かれているとばかり思っていたそれは、白い大理石のような壁に溝を彫り、その溝の部分に黒い石をはめ込み絵が描かれていたものだと知る。壁はつるつると冷たい。黒い石で描かれた馬のひずめがどれも立派にでかい。
壁画の左端にちょこんと飛び出た箱が入り口。入ると左端にチケット売場、真ん中に広いロビー、右端に猪熊グッズの売店がある。売店を横目で流し、2階の猪熊さんの展示を見る。広く真っ白な箱の中に、初期の具象から抽象画まで、身近なものに針金を巻いて作ったオブジェ・対話彫刻、猪熊さんが集めた民芸品の数々が並ぶ。大きな絵がどーんと空間に並ぶ様は気持ちがいいが、もっと小さい作品、猫や鳥やその他の小品も見たかった、と思う。
3階は企画展示室で、「SickeTel −キュピキュピ石橋義正−」の展示。シッケモニカという謎の湿気たマネキンが何故か気になり、映像インスタレーションの《BLACK RINA》が格好よく、猪熊さんの常設だけで見られればいいか、と言っていた気持ちが吹き飛ぶ。この展示がなければ、はるか丸亀まで見に来てちょっと寂しい気持ちになっていたに違いない。石橋義正さんは、TV番組「オー!マイキー」の監督。
見終わり1階のロビーの真ん中に不思議なオブジェがあることに気づく。なんだろうと近づけば、透明の円筒の中に下駄が浮いている。子どもの頃に流された下駄を追い土器川で溺れた時に助けてくれたおじさんに捧げるモニュメント、だそうで、この題名のそのままさに痺れる。期待していた猪熊グッズ売場はこれといったものがなく、広げては畳み、結局何も買わなかった。
丸亀からまた坂出へ、坂出から4度目の瀬戸大橋を越えて岡山まで戻る。ロッカーから荷物を出し電車に乗る。岡山から倉敷まで各駅で4つ。倉敷駅は、少しだけ栄えている地方都市の駅前と言った風情で、天満屋という古いデパートと、その中にどこの駅前にもあるスタバやロフトが入っていたりする。町を見回しながら、以前蟲文庫に来たことがある王子の後ろについて歩く。南口のロータリーを抜け、えびす商店街を抜け、いつの間にかこれぞ倉敷といった街並みが残る美観地区に入り、その美観地区の外れに蟲文庫はあった。
いかにも観光地といった街並みを抜けたところに蟲文庫があることがうれしい。店の前には花の終わった蓮の鉢と、多肉植物の鉢が並ぶ。入り口の涼しげな暖簾をくぐると、番台に蟲さんがいる。こんにちは。蟲さんとは東京で何度か会っているが、はじめての蟲文庫にわたしは少し緊張している。当然のように用意されていた缶ビールをいただく。店の奥、番台の横の畳に座り、蟲さん、王子、私で乾杯をする。このまま飲み続けたいが、その前に「曇天画」を飾る。小さな壁しかないと聞いていたので、持ってきた曇天画は8枚。額装したものが6枚と、画板に貼り付けたものが2枚。8枚の絵を動かしつつ場所を決め、壁に固定する。曇天グッズのTシャツとトートバッグも畳み、一応、個展「曇天画」の搬入が無事終わる。
搬入が終われば早速と、蟲文庫の店の奥の畳にちゃぶ台を出し飲みはじめる。つまみはすべて蟲さんの手作り。ジャガイモをたくさんもらったからと、シソ入りのさっぱりしたポテトサラダ、オクラとミョウガ入りの夏の味がするポテトサラダ、酢と醤油で漬けただけというゴーヤの漬物、キャベツの漬物、半熟が美しい煮玉子、空心菜の炒めもの、肉の特売日の次の日の肉はさらに安いと買ってくれていたカルビを焼いたもの、とどれもささっとぱぱっと作って小鉢で出してくれる。そしてどれもとても美味しい。
緊張もとけ浮かれて飲んでいるうちに、倉敷駅で買った岡山名物「ままかり」とローソンで買ったサンドイッチ、というよくわからないお土産を片手に雑誌「HB」を編集しているはっちこと橋本君が顔を出す。広島の実家に帰る途中に寄ってくれたのだ。しかし、目の前に東京での飲み友達、王子とはっち、が顔を揃えると、ここが倉敷だという気がしない。なるべく横の蟲さんを見る。番台の奥の暗がりにいる、マックのアダプターと線がごちゃごちゃしているところが好きだという、よつゆびりくがめ、を見せてもらう。暗闇から無雑作に亀が蟲さんに掴まれて出てくる。名前はツブ。甲羅が丸い。掴むと腕の力が強い。押しのけよう押しのけようと前に手が出る。びっくりすると首が縮まる。縮まるときは空気が抜けて、きゅー、ぷしゅー、と不思議な音を出す。チンゲン菜をぱりぱりと音を立てて食べる。外に出たいと窓に近寄る。窓の外には小さな庭があり、ツブのほかに水槽に入った亀が五匹いる。店の2階も見せてもらう。物干し台とも天文台とも言える小さな場所がある。晴れればここで星が見えたが、あいにく連日曇天だった。
時刻表で調べてもらった電車に乗るはずが、飲んだくれて歩いて乗り遅れる。20分後の電車に乗り岡山へ戻る。駅近くのラーメン屋「丸天」で3人中華そばを食べる。はっちが好きなザゼン・ボーイズの、向井秀徳の好きなラーメンだという。桃太郎通りという岡山らしい大通りを、今日明日と2泊するホテルまで歩く。0時近くのチェックインに嫌な顔もせず迎えてくれたホテルマンの笑顔が眩しい。


蟲さんでの個展は22日(日)まで。
倉敷・蟲文庫さんでの「曇天画」の様子はこちらをどうぞ。
◆蟲日記◆: 晴れの国の曇天画
◆蟲日記◆: おかんと猫雲
はてな
2010/8/15 みみふん うすだ : 往来座地下
下鴨経由倉敷行き - ふぉっくす舎 NEGI のページ

***武藤良子個展「曇天画」***
曇天こそが東京の、わたしの青空。

■倉敷・蟲文庫
8月10日(火)から8月22日(日)
休業日:会期中無休
710-0054 岡山県倉敷市本町11-20
営業時間:11時頃〜19時頃
086-425-8693
http://homepage3.nifty.com/mushi-b/