断片日記

断片と告知

用水路と花崗岩:倉敷滞在2日目

ホテルの1階でバイキングの朝飯を食べる。まだ寝ているのか、朝飯の場所に王子の姿は見当たらない。スクランブルエッグ、ソーセージ、をバターロールにはさみ、オレンジジュースで飲み下す。10時、ロビーで王子と待ち合わせ。岡山駅まで、また桃太郎大通りを歩く。昨晩は時間が遅く見かけなかった路面電車岡電が、今日は通りの真ん中を走っている。宿泊しているホテルは岡電がちょうどカーブする桃太郎通りのどんつきに建ち、部屋の窓からもこの路面電車の走る姿がよく見える。都電よりも少し大きく角張った車体は無骨だけれどもかわいらしい。岡山駅前の桃太郎像の前ではっちと落ち合う。各駅で4つ、もしくは快速でひとつの、倉敷へ向かう。
倉敷駅を出ると一番街という看板が見え気になる。蟲文庫へは遠回りだが、せっかくなので抜けて行く。小さいのにきちんとアーケードがある。魚屋、薬屋なんかもあるが、どちらかといえば飲み屋が多い。飲み屋の看板につられたわけじゃないが、酒屋で今日一杯目の缶ビールを買い、3人飲みながら歩く。しばらく歩くとアーケードが途切れ、用水路にぶつかる。町の中に、川でもなく、排水溝でもない、用水路というものが張り巡らされているのが自分には珍しいものとして目に映る。あとから蟲さんに聞くと、田んぼに水をひくためのもの、だと教えてくれる。用水路は家と家の間を流れ、気まぐれに小さな橋が架けられ、昔は洗濯や野菜でも洗っていたのか、水面のそばまで段がつけられ降りられるようになっている。こういうものを見るたびに、生活のすぐそばに水の流れる町はいい、そう思う。
一番街を抜け、昨日歩かなかった美観地区の真ん中、大原美術館のある通りを歩く。土産物屋が軒を並べるこの場所に来ると、観光地に来た、という気がする。お濠があり柳が植わり白鳥が泳ぎその周りにこれぞ倉敷の街並みといった建物が並ぶ。が、あまり見ていて歩いていて楽しくない。いくら古い建物でも、その中に入るのが土産物屋や観光客相手の飯屋ばかりなら、それは創られたテーマパークと同じだからだ。倉敷テーマパーク。観光地はみんなそうだろと言われればそうなのだけれど。その町の人々が日々普通に生活している場所、例えば用水路、例えば商店街、そんな場所を歩き、その普通の中に、自分の住む町とは違う何かを見つけるほうが、わたしは楽しい。
晴れの国・倉敷では珍しく、「曇天画」初日の今朝は小雨がぱらつく曇天だった。この時期の倉敷では珍しいよ、と蟲さんと常連のお客さんが話している。そんな話を、店の奥のちゃぶ台の上で、昨日の出来事を書きとめながら聞いている。見たこともない大きなぶどうを差し入れでいただく。岡山名物のシャインマスカット。ピンポン球くらいある大きな緑色の粒が、種無しで皮ごと食べられる。大粒なのに味が濃い。今まで食べたどのぶどうよりも美味しい。
常連さんたちは、ゆっくりと絵を見て、ゆっくりと蟲さんと話し帰っていく。たまに話しに混ぜていただく。美観地区のお濠に浮かぶ2羽の白鳥の話、お濠の脇の柳の話、どれもとても面白い。蟲さんは、静かに話し、笑い、番台で本を読む。
飼い猫が家の中を自由気ままに歩くように、蟲文庫の座敷と庭を亀が歩く。亀のツブが外に出せ、と窓のそばで主張する。窓を開けると、レンガで造られた小さな階段があり、亀はそこから勝手に庭に降りていく。たまに階段を踏み外してひっくり返っていたりする。甲羅の丸い亀は自力で起きあがるのが難しい。じたばたしている亀を見つけて直してやるが、特に恩返しとかも何もなくなく、庭の隅の自分の好きな場所に消えていく。見ていると亀にもそれぞれの性格がある。人見知りしない亀、シャイな亀、暗い場所が好きな亀、どの亀も静かに、でも真っ直ぐに自分を主張する。苔も、星も、亀も。蟲さんの好きなものは、みんなどこか蟲さんに似ている。
美観地区を抜けて、駅前まで昼飯を食べに行く。うどんの店、ぶっかけ亭本舗・ふるいち。王子、はっち、わたしと3人、2階席に通される。とりあえず瓶ビールを2本。竹輪のてんぷら。そして、ぶっとろ、というとろろがのった冷やしうどん。丸亀もそうだったが、うどんの汁が東京よりも少し甘い。そして値段は東京の三分の二くらいで安い。店の中は、観光客と言うより若い人からサラリーマンのおじさんまで地元の人たちで賑わっている。東京では蕎麦屋で見るような昼の景色を、ここ倉敷ではうどん屋で見ることができる。
昼飯を食べた後、そのまま倉敷の町を散歩する。商店街を歩いていると、倉敷デパート、というまた違うアーケード街にぶつかる。仙台の壱弐参横丁のように、2列ある細い道の脇に小さな個人商店が並んでいる。魚屋をのぞくと色鮮やかな蟹がいたり、細長く白い魚がいたりする。東京にはないものがさらりと置いてあるのを見るときが、旅をしていて一番楽しい。
蝉のやたらといる公園で遊び、小学校の脇を抜けると、鶴形山裏登山道入り口、と書かれた看板にぶつかる。鶴形山は蟲文庫の裏手にある小さな山だ。軽い気持ちで登りはじめたが、登山道の入り口にはお地蔵様がいて、山の斜面は墓地になっていて、山登りというよりは墓参りで、山頂までの矢印もなんだかあいまい。それでも小さな山なので20分も登れば天辺に着く。藤棚のある休憩所と、その上にさらに、阿智神社がある。神社には展望台もあり、そこから倉敷の街並みが一望できる。手前に美観地区の瓦屋根、遠くには山。風が抜けていくのが気持ちがよくて、しばら3人ぼーっと過ごす。
神社にお参りし、登ってきた道とは違う参道を今度はくだる。寿命を迎えた蝉たちが、ぽとりぽとりと参道に落ちる。参道の横には不思議な小屋というか檻があり、その中になぜかニワトリが2羽だけいる。参道をくだると蟲文庫のある本町にでる。昔、鶴形山に小さな動物園があった、と後から蟲さんに教えてもらう。あのニワトリの小屋は、その名残りなのか。
蟲文庫に一度寄り、その後、スーパーへ買出しに出かける。見たことない野菜を見てときめく。刺身がどれも安い。缶ビールと岡山産の日本酒、刺身に肉にチーズやつまみを買って、また蟲文庫に戻る。今晩の宴用ですと蟲さんに渡す。そして倉敷ではじめての銭湯に出かける。
美観地区のお濠の先、通りを渡った向こうにあるサロニカという古い喫茶店、その横の路地の先にある銭湯「船五湯」。小さくて古くて木造で入り口にはステンドグラスのはまる窓がある。せっかくなのではっちに外観の写真を撮ってもらう。そして、仕事があるので、とここではっちとはお別れ。実家の広島に帰るらしい。こうして言葉で残すこと、それと同じくらい写真でその日の気分や空気を残すこと。はっちが写真を撮ってくれるとそれができることがとてもうれしい。ありがとう。手を振って去っていく背中を王子とふたり見送る。
左手が女湯の入り口。ぺらりと下がっていた暖簾をくぐる。入浴代410円。番台にはおばあちゃんがひとり座っている。あんたたちに言っておきたいことがある、とそのおばあちゃんにいきなり言われ、何を言われるのかと黙ったまま顔を見返す。入ると赤い玉と青い玉があります、赤い玉を押すと熱い湯が出ます、となぜかカランの説明がはじまる。とにかくうちの湯は熱いから気をつけろ、とおばあちゃんの優しさなのだ。その後も脱衣所で服を脱いでいれば、湯船には入るかね、入るならいまから薄めとくうちの湯はとにかく熱い、と洗い場に行き湯船に水を入れてくれる。
脱衣所には木のロッカー。戸の表一枚一枚に漢数字の墨文字がありこれは古いところではまま見るが、戸の裏に昔の薬の広告の紙が貼られているのが珍しい。この後行った倉敷の銭湯2軒にも同様にロッカーの戸の裏には広告があり、これは東京でも大阪京都でも見たことがない。
脱衣所は6畳くらいか。ガラスの引き戸の向こうの洗い場は10畳くらいか。床も、湯船も、カラン周りも、みんな石だ。東京の銭湯のようにタイルが貼られた部分はどこにもない。右手の男湯との間の壁に、カランが4組並んであるだけで、左手の壁にはカランがない。明かり取りの小さな窓がふたつあるだけ。天井には換気のための小さな穴が突き出すように開いている。カランは座って使えるよう壁の下側に、鏡はなぜか立たないと顔が見えない壁の上の方についている。それもカラン2組の間にひとつと、カラン4組に対して鏡は2枚しか貼られていない。
カランの先に、男湯の壁にくっ付くように石でできた2畳ほどの正方形の湯船がある。湯船の前には石段があり、湯船を左からぐるっと周るように不思議な空間もある。その石段も空間もどうやって使っていいのかよくわからない。正方形の湯船は小さいが深い。立っていても腰まであり、おばあちゃんの言うとおりに湯が熱い。湯船の中に腰掛けの部分もあるが、幅がだいぶせまくゆっくりと尻をのせるのが難しい。
湯から上がり着替えながらおばあちゃんの話を聞く。おばあちゃんは4代目のお嫁さんで、この銭湯は100年以上前からあるという。ところどころ改装されているがその古さは伝わってくる。もともと船大工の社員のための湯だったらしい。それがいつからか近所の人も入れる銭湯になった。湯船や床に使われている石は花崗岩なのだと教えてもらう。
蟲文庫に戻り、今日もまた蟲さんの手作りのつまみで飲みはじめる。朝お店を訪ねたとき、どこかから帰ってきたとき、必ず蟲さんは、お茶にするビールにする、と聞いてくれる。ビールでお願いします、とたいてい答える。そうして蟲文庫で飲む時間がとても好きだ。今日のポテトサラダにはトマトとバジルが入っている。びんちょうまぐろの切れ端をシソとミョウガと、いしり、という能登の醤油で合えたもの、がとても美味しかった。
蟲さんの高校時代の修学旅行先は東京だった。覚えているのは、その頃まだあまり倉敷で食べる人がいなかった納豆が朝飯にでたこと、「美白の女王」鈴木その子さんの看板を見たこと、そのふたつ。飲みながらそんな話をした。
明日は直島へ行くから、と早めに蟲文庫を後にする。岡山に戻り、桃太郎通りで一風堂のラーメンを食べてホテルへ帰る。飲んだ後のとんこつは美味しいですね、と歩きながら王子が話す。


蟲さんでの個展は22日(日)まで。
倉敷・蟲文庫さんでの「曇天画」の様子はこちらをどうぞ。
◆蟲日記◆: 晴れの国の曇天画
◆蟲日記◆: おかんと猫雲
はてな
2010/8/15 みみふん うすだ : 往来座地下
下鴨経由倉敷行き - ふぉっくす舎 NEGI のページ

***武藤良子個展「曇天画」***
曇天こそが東京の、わたしの青空。

■倉敷・蟲文庫
8月10日(火)から8月22日(日)
休業日:会期中無休
710-0054 岡山県倉敷市本町11-20
営業時間:11時頃〜19時頃
086-425-8693
http://homepage3.nifty.com/mushi-b/