断片日記

断片と告知

亀も猫もみな歩く:倉敷滞在4日目その1

川の字の中で、誰よりも早く寝た魚雷さんが、朝、誰よりも早く起きている。7時ごろ、散歩に行ってきます、と外に出て行くのを、布団の中から見送る。なんとなく目が覚めたわたしは、布団の上で、昨晩までの出来事を、ざっくりとノートに書いていく。掛け布団から出た足の上を、猫のミルかナドのどちらかが、またぎ、そして隣りの部屋に消えていく。台所からは、かちゃかちゃと、食器の触れ合う音が聞こえてくる。
蟲母さんの作ってくれた朝飯を食べる。白いご飯、ニラの花芽とジャガイモと玉子の炒め物、ゴーヤのつけもの、ひじき、味噌汁が台所のテーブルに並ぶ。食後に桃もむいてくれる。甘すぎてふたりで1個食べきれないという岡山の旬の桃。一切れ食べると、確かに甘い。無糖のヨーグルトをかけて甘さを和らげて食べる、と蟲さんが言うのもよくわかる。昨日食べたシャインマスカットといい、桃といい、岡山の果物はなぜこんなに甘く美味しいのか。
蟲さんの家の玄関には、細い紐が2本、ぶら下がっている。蟲さんの家の猫、ミルとナドは、毎朝この細い首紐をつけて散歩をする。先輩のナドがはじめに、後輩のミルが後から、蟲母さんに紐をもたれて外に出て行く、毎朝。玄関にはサヨイチの水槽もある。覗きこんでいると、サヨイチもこちらをじっと見る。外に出せ、と訴えていると蟲さんが教えてくれる。サヨイチは水槽よりも、蟲さんの家の中を気ままに歩くほうが好きなのだ。ミルとナドを追いかけたり、座布団の下にもぐったり、が好きなのだ。
蟲母さんにお礼を言って家を出る。晴れた今朝は歩いて蟲文庫を目指す。一番街そばにあった用水路とはまた別の用水路が、蟲さんの家のそばを流れている。その用水路を辿っていくと、美観地区のお濠に出る。一番街そばの用水路では見なかった小さな魚が、蟲さんの家のそばの用水路では泳いでいる。蝉がうるさいほど鳴いている。クマゼミだと蟲さんが教えてくれる。昔はいなかったというクマゼミが、温暖化のせいかどうか、いまでは倉敷でも鳴いている。そのうち東京でも鳴くかもしれない。東京の、みんみん、じーじー、鳴く蝉と違って、クマゼミは、しいしい、じいじい、と鳴く。
せっかくだからと、美観地区の中にある紡績工場の跡地を抜けて行く。レンガの高い塀で囲まれた倉敷紡績の工場跡地は、いまは倉敷アイビースクエアと名前を変え、ホテル、レストラン、土産物屋の入る観光施設になっている。工場の中庭に椅子やテーブルが並ぶ一画がある。あの椅子が積んである向こうの池に亀がたくさんいる、と蟲さんが言う。工場の裏の出口から出て、路地をいくつか曲がると、驚くほど近くに蟲文庫がある。
蟲文庫でまったりし、近くを散歩し、急な石段の神社によじ登ったりしているうちに昼になる。合流したNEGIさん、魚雷さん、王子、わたしの4人で昼飯を食べに行く。倉敷駅近くの商店街の中にある、昼からやっている居酒屋に入る。生ビール、豚骨ラーメン、焼き豚飯のセットを頼む。みんな昼飯を食べながら、ハイボールを飲んだり、水割りを飲んだりしている。昼から普通に飲める店が倉敷にあった、と魚雷さんが喜んでいる。昼飯を食べ終わり、魚雷さんを倉敷駅に見送りに行く。改札の向こうに消えていく魚雷さんを、改札の外にいる3人で万歳三唱をして見送る。魚雷さんが、大きく手を振って応えてくれる。
倉敷駅の北口には何があるのだろう。3人で駅舎を通り抜けて見に行く。アンデルセンをテーマにした豪華な駅前広場があり、その向こうにぽかりと大きく広がる更地がある。倉敷チボリ公園の跡地。剥き出しの荒地からは、観覧車や劇場もあったという、1997年の開園直後東京ディズニーランドの次に入場者数が多かったという、倉敷チボリ公園の、華やかだった時代は想像できない。駅前のくせに、やけに大きな地面と空が、ただ広がっている。