断片日記

断片と告知

さよなら倉敷:倉敷滞在4日目その2

蟲文庫に戻り、赤福を食べたり、亀のツブを眺めたり。ツブは、体の大きくなった今も、子どもの頃に通れた隙間を通り抜けられると信じている。狭い隙間に頭を突っ込み、甲羅が邪魔してそれ以上入ろうとしても入れず、だが諦めず、押された何かがツブと一緒にずりずりと前に動いていく。眺めていると眠くなる。
夕方4時過ぎ、王子とNEGIさんと、銭湯に出かける。蟲文庫から歩いて5分ほど、えびす商店街の1本裏道にある銭湯「戎湯」。古い木造の2階建て、暖簾が出ていなければ民家に見える佇まいだ。入浴料410円。左手が女湯。漢数字が大きく書いてある木のロッカー、ロッカーの戸の裏には倉敷ではお馴染みの古い薬の広告の張り紙。木のベビーベッド、田舎の駅舎にあるような大きな木のベンチ、四角い籐製の脱衣籠もある。目に入るもの、何もかもが古く、長年使い込まれたあめ色をしている。洗い場は、床も湯船も石。これも「船五湯」と同じ、花崗岩なのか。左手の壁にカランが7つ。右手の男湯との境の壁には、手前になぜか大きな洗面台、その奥に湯船がある。床には大きな石がはめ込まれているが、石はつるつるではなく、段差もあり、椅子に座るとがたがたとする。石同士の間に隙間も開いていてこれは排水溝の役割なのかどうなのか。湯船は二メートル四方の正方形で、入ると深い。東京の銭湯の、深め小さめの湯船がぽつんとあるような感じ。ただし、素材は石だ。
湯から上がり、脱衣所で着替える。番台の女将さんに、一緒にきた王子は何ものなのか芸術関係の人なのか、と聞かれる。どこの銭湯でも、長髪の王子は目立ち、堅気に見えないらしい。
駅前から一番街商店街を通り抜け、用水路沿いを歩き、もうひとつの銭湯「橘湯」へ行く。外観が洋風建築なのが珍しい。そしてここもとても古い。入り口には「ラジュウム温泉」の文字。左手が女湯。脱衣所はお馴染みの木のロッカーに薬の広告で、どこを見ても古さが残る。が、洗い場は改装されて新しい。東京では当たり前の、倉敷ではじめての、タイル張りの浴槽と洗い場が、目に新鮮に映る。石の床と湯船に慣れた目には、水色や青のタイルがやけに派手に明るく見える。カランは左手の壁に5つ、右手にふたつか。右手の壁にへばりつくように小さめ深めの湯船がひとつある。窓は大きくまだ夕方のこの時間は明るいが、天井を見上げると、蛍光灯がひとつと裸電球がひとつだけ。夜に来るとまた違った雰囲気が味わえるのだろう。
脱衣場で着替えていると、番台のご主人に、何の商売をしている人なの、と王子が聞かれている。書店の、と返事をする王子に、NEGIさんとわたしの顔も見て、家族経営の書店なの、とまた聞いている。違います。
蟲文庫から歩いて行ける銭湯三つ、船五湯、戎湯、橘湯、どれも古く、番台の女将やご主人に、いつからあるの、と聞けば、大正末ごろ、と同じ返事。そしてどこでも、うちが一番古いと思う、という答え。
夕焼けの中、用水路沿いを歩いて帰る。用水路に架かるいくつもの小さな橋に、行きは乳母車を押すおばあさんが小さな子と空を眺め、帰りはおばあさんとおじいさんが椅子を出し流れて行く水と空を眺めている。いいねぇ、とNEGIさんが言う。
一番街の酒屋でビールを買い、飲みながら歩く。美観地区を抜けて、蟲文庫まで。新幹線の時間が迫る。蟲さんに挨拶をして、蟲文庫を去る。今夜も倉敷に泊まるNEGIさんが、駅まで送ってくれる。倉敷から岡山まで、ここ数日、何度も乗った電車の窓から、倉敷の町と田んぼを見る。岡山駅で土産物を買う。蟲さんに教えてもらった饅頭と、讃岐うどん。新幹線の中で食べ飲む用の、カツサンド、焼き鳥の缶詰、かきピー、竹輪、缶ビールも買う。新幹線に乗り込み、王子と缶ビールを開け乾杯する。品川まで眠ることなく、宴会をして帰る。王子が、かきピーのピーだけ残して食べるのも、帰りの電車の寂しさの中で、妙に明るく可笑しい。品川に着いたのは11時過ぎ。そこから山手線で目白に着いたのは12時近く。暗いホームに降りた途端、ただいま、おかえり、と言って旅が終わる。

船五湯:倉敷市船倉町1249
戎湯:倉敷市鶴形2−1−5
橘湯:倉敷市川西町8−11