断片日記

断片と告知

初音湯

神保町で仕事の打ち合わせを終え、谷中まで歩く。神保町から御茶ノ水湯島聖堂の横を抜けて、湯島天神不忍池、へび道、と歩いて行く。湯島天神では菊まつりが開催中で、大きな菊の花の鉢がいくつも並んでいる。大人の頭くらいありそうな巨大な花を見ていると、花びらがパーマをあてた髪の毛のように見えてきて、ひと昔前の飲み屋のママの、盛られて膨らんだ頭が並んでこれからご出勤ですか、と想像してひとり可笑しい。
谷中まで歩いてきたのは銭湯「初音湯」に行くからで、今月21日日曜日で廃業、と聞いていたからだ。谷中のよみせ通りにある、支那そば春木屋、の横の路地を入っていった先の左手。入り口横にあったコインランドリーは一足早く、17日で廃業、と張り紙がされ、中をのぞくと洗濯機もすでになく空っぽ。初音湯の暖簾をくぐる。右手に下足箱、自動ドアを通って正面にフロント。フロントの向いに小さなロビー。フロント右に男湯の入り口、左に女湯の入り口、の暖簾がさがる。
脱衣所。黒光りする立派な格天井から、蛍光灯と、羽根の抜けた扇風機の本体だけ、が下がる。表面が畳み状の腰掛けがふたつ。壁沿いにロッカー、赤いお釜の髪乾燥機、マッサージチェア、ハイテク体重計が並んでいる。
洗い場。正面の壁には精進湖のペンキ絵。男湯との仕切りの壁の向こうには、男湯のペンキ絵、雲から頭をのぞかせた富士山、が見える。洗い場の真ん中にどーんと湯船。湯船を囲むように、壁沿いにカランが並ぶ。一部、壁が出っ張っていて、そこにもカラン。そこから小さな池のある小さな庭も見える。クリーム色の、底に青い文字で、初音湯、と書かれた桶。湯船は、手前にさら湯、奥に草津の湯の花で白く濁る白湯、の2種類。どちらも、大きめ浅めと小さめ深めの湯船がふたつずつ、計4つある。温度は白湯のほうが熱く温度計を見ると46度。湯船の縁は茶色のタイルで、さら湯のほうは中が水色、白湯のほうは中がピンク色、のタイルだ。湯につかりながら見上げる天井が高い。クリーム色に塗られた天井に、明かり取りの窓から入る夕日が、壁を金色に染めている。
脱衣所でも洗い場でも、聞こえてくる会話は、廃業のことばかり。近くの銭湯がなくなる不便さと、通っていた場所がなくなる寂しさと、そんな話ばかり。
なんで廃業されるんですか、とフロントに座る女将さんに聞く。高齢化、と短い言葉をつぶやき困ったような顔で笑う。継ぐ人がいないんですか。そう、とまた短い言葉。ここは昭和5年築、湯船は元は奥の壁にあったんだけど、昭和の終わりごろの改築でいまみたいな真ん中にしたの、草津の湯の花は昔から、昔はそういう業者がいたのよ、東京ではここだけ、三ノ輪の「大正湯」さんは福島の高湯温泉の湯の花を使っているみたい、うちのお湯熱いでしょ、熱いほうが効くのよ、精進湖のペンキ絵はね早川さん、2009年4月に亡くなったけどうちは3月に描いてもらって、だからうちのが絶筆、もう体悪くしていたから、本当は早川さんの富士山はもっとすごいんだけど、ブルーがきれいでしょ、空の青。
フロントに置いてあった地域雑誌「谷中根津千駄木」の其の八十二、街の風呂屋案内、銭湯に行こう!を1冊くれる。この雑誌もなくなっちゃったのよ、と女将さんはやっぱり困ったような顔でこちらを見て笑う。
帰り道、谷中ぎんざの酒屋で生ビールを買い、飲みながら歩く。ふとした瞬間瞬間に、体から湯の花の匂いがたちのぼり、困ったような笑顔が浮かぶ。後継者がいない、燃料の値上がり、建物の老朽化、客足の減少。そうして東京から銭湯が消えていく。何もできないとただ嘆くよりも、自分のできることをしようと思う。銭湯に行くこと。これからも続けようと思う。
谷中の「初音湯」は、2010年11月21日日曜日に廃業します。
初音湯:台東区谷中3−10−3