断片日記

断片と告知

第二松の湯

品川から赤い電車に乗り大森町まで。
頭の上を高速道路が走る大きな道路を歩き、川沿いの道を曲がる。ビルとビルの間を見ると、目指す銭湯の煙突が伸びているのを見つける。煙突よりも、横のマンションのほうが背が高く、マンションの外階段のすぐ横で、黒い煙が吐き出されている。建てたころは一番高かった銭湯の煙突が、いつの間にか、煙突より高い建物に囲まれている。
正面に回る。入り口は改装され新しいが、見上げると瓦屋根の間に木製の懸魚のある、古い立派な銭湯だ。下足箱にサンダルを放り込み、右手のロビー、その前のフロントで入浴料を払う。忘れてきた石鹸を買う。かまぼこ一切れくらいの、白く小さな牛乳石鹸。ひとつ30円。女湯はフロントの右手。暖簾をくぐる。
脱衣所。黒光りしている立派な格天井。入り口を改装したときにつぶしたのか、庭はない。2人分のベビーベッド、古い体重計、ロッカーが壁にへばりついている。ロッカーの上には脱衣籠もいくつか重ねてのっている。男湯と女湯の仕切りの壁には鏡がはまっている。銭湯でしか会う機会がないのか、常連のおばさんたちが、またどこかで、とさっぱりとした挨拶を交わして帰っていく。ここ「第二松の湯」は今日6月10日で廃業するのだ。
洗い場。正面の壁に富士山のペンキ絵。青い空、青い富士山、手前に海、右手に松林。ペンキ絵の前に湯船がふたつ。向かって右が四角い泡風呂。奥の壁から赤い光とともに湯が溢れている。左手が深くて丸いジェット風呂。壁の3箇所に弱いジェットがついて湯を回している。島カランが真ん中にひとつ。立ちシャワーがふたつ。壁と天井は白、柱は水色のペンキで塗られている。
湯からあがり、フロントに座るご主人に銭湯遍路の判子を押してもらう。今日で廃業なんですね。ロビーの壁の張り紙の、廃業と書かれた赤い文字を見つめながら聞く。もう銭湯なんか無理だよ。潰してマンションにする。5年くらい前から人も来なくなって。配管も壊れて。ペンキ絵も5年前のまま、塗りなおしてない。どうせやめる気だったし。
配管が壊れたのは、先の地震のせいなのか、聞きはぐった。ここが第二なのなら「第一松の湯」は、と聞くと、立会川、と教えてくれた。もうないけどね、と付け足して。ご主人の生まれは浅草で、ご両親も銭湯をやっていたそうだ。フロント前の小さなロビーには出窓があって、そこに小さなかわいらしい花束が置かれていた。花束には、長い間お疲れ様でした、と書かれた紙がささっていた。
行きは大きな通りを歩いて来たが、「第二松の湯」の前の道は、小さな商店街だった。商店街がどこまで続くのかが気になって、帰りはこの道を行くことにする。途中で缶ビールを買って、飲みながら歩く。旧東海道、と書かれた町案内の地図が、道の脇に貼られている。
商店街の突き当たりはまた大きな道路で、今度はそこから赤い電車の高架下を、ふらふらと歩く。いくつかの町の夜を歩き、細い川にぶち当たる。立会川、と標識が出ている。この町のどこかに「第一松の湯」があったのか、と思いながら、また赤い電車に乗り帰る。
大きな地震があった日から、銭湯に行っていなかった。銭湯にいて地震がきたら、とおびえたわけではない。どちらかと言えば、古い銭湯の大きな柱の下のほうが、家や町にいるよりも安全に思えた。無くなって欲しくないものには通って支えること。そう思って銭湯に通っていたのに、それなのに、大事なものが、無くなって欲しくないものが、一瞬でさらわれていく映像を何度も見て、体が動かなくなった。
大きな地震のあと、東京の銭湯がいくつか廃業した。煙突が壊れたり、配管が壊れたり。直す余力のある銭湯はいいが、そうでない銭湯は、これを機会にやめていく。廃業していく銭湯の情報を、3ヶ月の間、ただ黙って見ていた。今日、見ているだけに耐えられなくなって、気持ちに引きずられて体が動いた。久しぶりの銭湯は気持ちよかった。銭湯を探して知らない町を歩くのは楽しかった。風呂上りのビールは最高にうまかった。

第二松の湯
(銭湯マップ番号 65)
東京都大田区大森東2−1−5
03-3762-2994
営業時間 15:00〜23:00
定休日 土曜
2011年6月10日廃業