断片日記

断片と告知

冬至、鶴の湯

白山の交差点から団子坂に向かい、駒込高校の先、くらしのみち、と描かれた亀のマークの看板の前を左折。折れ曲がる路地を道なりに歩いて行くと、突き当たりに大きな銭湯「鶴の湯」が見える。銭湯の前にはベンチがいくつか並ぶだけの小さな公園があり、銭湯の外観を撮っているのか、三脚のカメラマンがひとり、開店を待つ客たちが数人、暖をとるためか、公園と銭湯右手のコインランドリーを行ったりきたりしている。16時の開店間際、女将さんが壁にゆず湯のポスターを貼る。今日は冬至。区民なら入浴料が100円になる。
鶴の絵が描かれた紺地の暖簾をくぐる。鶴にはさまれた真ん中にひらがなで、ゆ、右端に、女、左端に、男、と白字で描かれている。入り口はバリアフリーのためか段差がなく、路上から下足箱まで緩やかな傾斜になっており、どこで靴を脱ぐか少し迷う。
引き戸をあけ脱衣所に入る。男湯女湯の真ん中に昔ながらの番台、格天井、格天井から細い鎖でつるされた蛍光灯、入ってすぐ右手の壁全体に鏡、鏡の前にクリスマスツリーが3本と長椅子、角を曲がりおかま式のドライヤー、マッサージチェア、ロッカー、と並ぶ。洗い場の入り口の左右の台に金魚の水槽、右手の水槽の横には木製の身長計、前には中途半端な巻数の漫画や雑誌の並ぶ本棚、左手の水槽の横には体重計、脱衣所の真ん中のテーブルにはサンタの人形がある。サンタの体が動くおもちゃのようだが、女将さんと常連さんと、電池を入れたり出したり、動く気配がない。脱衣所の床にいくつもいくつも籠が並ぶ。この銭湯はロッカーを使う人よりも、脱衣籠を利用する人が圧倒的に多い。
洗い場の入り口のガラス戸に、ここは洗濯をする場所ではない、旨の貼り紙。島カランが2列、壁や天井は水色、梁はペパーミントグリーンに塗られ、男湯との境の壁には外国のメルヘンな風景のモザイクタイル画、正面の壁には雪をかぶった青い富士山のペンキ絵、ペンキ絵の下の壁には金魚や鯉のモザイクタイル画、タイル画の下には向かって右から薬湯の小さな湯船、座ジェット、マッサージ、泡風呂と続く細長い湯船、と、おおまかにふたつに分かれる。薬湯には今日の主役、大きなゆずたちが洗濯ネットに入れられ浮いている。ゆず湯はとても人気で、小さな湯船をひっきりなしに人が出たり入ったりする。
精進湖と端に描かれた富士山のペンキ絵は、天井近くや窓のそば、端になるにつれぼろぼろに剥がれ、歴代のペンキ絵の層が、めくれあがった下からのぞいている。
驚いたのは、富士山を背に湯につかると、目の前にまた富士山が見えたこと。脱衣所との境の壁に、男湯との壁をまたいで、大きな富士山がひとつ描かれている。この場所にペンキ絵がある銭湯はなくもないが、富士山が描かれているのは見たことがない。背に富士山、正面に富士山、富士山に囲まれて入るゆず湯。頭がぼんやりする。
番台で缶ビールを買い、銭湯遍路の判子を押してもらいながら、女将さんに話しを聞く。
「鶴の湯」は、さばを読んで創業90年だという。はじめはたのは別の人で、その人が3〜4年やり、その跡を継いだから、たぶん89年から90年くらい経つだろう。昭和12年、昭和35〜7年ころ、平成5年に改装しているが、メルヘンなモザイク画と、金魚と鯉のモザイク画はそのまま残した。
洗い場正面の精進湖の富士山は、2009年に亡くなったペンキ絵師・早川利光さんのもの。脱衣所との境の壁にある富士山はペンキ絵師・中島盛夫さんのもの。洗い場でふたりの富士山が向かい合っているのか、と胸が熱くなるが、男湯のペンキ絵をたずねると、それもやっぱり富士山だという。塗り替えるたびに、男湯と女湯で富士山を交互に描いてもらっていたが、あるとき、おそらく富士山が男湯の順番のときだろう、女湯でも富士山が見たい、と声があがった。銭湯に富士山はひとつだけ、という早川さんに、表富士もあれば裏富士だってあるでしょう、と早川さんを説得したのよ、と笑いながら女将さんが言う。結果、洗い場に巨大な富士山が三つある、という、前代未聞のとてもめでたい空間が出来上がった。
女湯が雪をかぶった青富士なら男湯は赤富士ですか、とたずねると、番台の上から目を細め、男湯の富士山を見つめるが湯気で見えなかったのか、脱衣所の男性客に、あの富士山何色かしら、と聞いている。青?あれ青かしら、と女湯の富士山と交互に見つめ、青は青でも夕日を浴びている富士山だと、話しが落ち着く。
同じ文京区の銭湯「菊水湯」にも、脱衣所との境の壁に、立山連峰の絵が描かれていると、女将さんが教えてくれた。
「鶴の湯」の外壁には、ゆず湯のポスターのほかに、来年1月2日朝湯最後の湯と(廃業)致します、と書かれた鶴の湯最後のお知らせの紙が貼られている。

鶴の湯
(銭湯マップ番号 14)
富士山2山、無料マッサージ機ダイエットマシーン。レトロな銭湯です
東京都文京区千駄木5−32−2
03-3821-2514
営業時間 16:00〜24:00
定休日 土曜
2014年1月2日の朝湯をもって廃業