断片日記

断片と告知

スカートの柄 

朝、新聞を眺めていると、「父の教え」という連載が目に入った。毎週、有名人の父子が取り上げられているが、今朝は檀一雄とその娘、檀ふみさんだった。檀一雄が子どもたちに言い続けた「奮闘しなさい」という言葉と、晩年のエッセイ『娘たちへの手紙』から引用された一文に、目がとまった。
「マイホームという幸福の規格品を買うようになったら命の素材が泣くだろう。」
中学高校と通った女子校の制服はセーラー服で、わたしは毎日スカートをはいて学校に通った。冬のスカートはずしりと重く、衣替えのあとの夏のスカートは紙のように軽く感じたが、ただそれだけだった。スカートの丈、スカートの丈に合わせた靴下の折りかた、ワンポイントの柄選び、前髪の長さ、見つからないようにするささやかな化粧や巻き髪。気の利く彼女たちは、狭い規律のなかで、少しでも自分に似合う姿形を探していた。いつからか、女の子らしい格好をすることが苦手になったわたしにとって、幸福の規格品は、スカートと、スカートをやすやすとはきこなす彼女たちだった。
似合いもしないスカート選びに時間をかけるより、映画を観に行くほうが、本を読むほうが、絵を描くほうが大事なのだと、なぜそんな風に思っていたのか。
いま思えば、彼女たちは自分の器と世間と折り合いをつける努力をしていたに過ぎず、わたしはスカートより大事なものを探すという口実に、みっともない顔形を言い訳に、自分と世間と折り合いをつける努力から降りたのだ。
成人式の振袖、卒業式の袴、リクルートスーツ、ウェディングドレス。折り合いのつかないわたしの、はけないスカートが増えていく。
彼女たちの服装は数十年ごとにはやり廃りを繰り返し、あのころとどこか似た格好をした彼女たちがいまも街にあふれ出る。折り合いをつけた彼女たちが、折り合いをつけそびれたわたしの前を立ちふさぐ。美術館のなか、スカートをひらめかせながら絵の前に立ち、絵とはなんの関係もない世間話で盛り上がる。わたしは彼女たちの後ろから絵を覗きこむ。その先に、スカートより面白いものがあるはずと、あったはずだと思いながら。
規格品以外の幸福は、誰にでも見つけられるものではないのだ。奮闘をしいられた娘たちは幸せになれるのか。たいした才能もなく、折り合いをつける努力もせず、そこから目をそらし続けてきたつけはいつかは回る。
四十を越えたいまも、わたしは自分に似合うスカートの柄がわからない。