断片日記

断片と告知

小林秀雄だってそうなんだから

石神井書林の内堀さんがよく行く映画館にはシニア割引がある。60歳を越えると1800円の映画代が1000円になる。1800円が1300円くらいの割引ならわざわざ言わないんだけど1000円じゃなぁ、と内堀さんは窓口で60歳ですと申し出る。それが一度も身分証明書を見せてくださいって言われないんだよ。はいはいと通されるんだよ。自分が60歳なんて自分がいちばん認められないのに。
古本屋にも古書組合にも定年退職というものがないので、内堀さんが古本屋として働きはじめたころ、先輩だった人たちがいまだに現役で働いている。下からいくら若手が入ってこようと、自分が若手だったころの先輩がいまだにいるのだから、その自分が60歳なんて、と苦々しい。
「年齢とはそれに応和しない限り、納得のいかない実体である。」
小林秀雄だって。小林秀雄も。小林秀雄でさえそう言ってるんだから。ましてや自分なんて。石神井公園の感じのいいスナックで、小林秀雄のお墨付きを内堀さんが振り回す。内堀さんの口から出る、読んだことのない作家のことばを聞きかじりながら、酒に揺られている夜は楽しい。
わたしが新刊書店を辞めたあと、知り合った多くは古本屋を営む人たちだった。一箱古本市がはじまり、「わめぞ」がはじまり、本や古本好きのブログが賑わっていたころだ。そうした場所でひとりの古本屋と知り合うと、またひとり、またひとりと、さらには東京から離れた古本屋にまで広がっていく。訪ねていって家に泊めてもらい、飯も酒もたかるわたしを彼らは切り捨てずに笑う。良くも悪くもサラリーマンとは一味違う大陸的な彼らと、新刊書店からはぶかれた自分の立場を勝手に重ね合わせ、仲間のように混ぜてもらうのは心地よかった。古本屋を営む人たちと、酒に揺られているとそうしたはじまりの日々を思い出す。
とある古書店主はカラスの被害に困ったあげく、自社ビルの屋上に殺したカラスを十字に貼り付けたって。それ以来、その町のカラスは古書店主に似た白髪の男を見ると逃げ出すんだってさ。
老いた古書店主は店の若手に車椅子を押させ、いまも古書会館に顔を出してる。なにをするわけでもないんだけど。車椅子でゆっくりと市場の古本を見て周ってるって。
自分が若手のころ高かった本は、いま見てもすごい本だと思っちゃうんだよね。いまあの全集いくら?そろいで7千円で落とせるの?もう、信じられないよ。
店も催事もネットも目録もうまくこなせる古本屋もいるけど。借金つくって東京を離れて、また別の町で古本屋をやる人もいる。東京から来たってちょっとちやほやされちゃって。でもすぐばれてさ。なんでもうまくこなせる人より、そういう人のほうが自分は好きなんだよね。古書組合もそういう人を切り捨てないよ。この先どんな古本屋が生き残るかなんて、わからないからね。
与太話と古本屋を酒のつまみに飲んでいると終電がとっくに過ぎる。わたしも、そういう人のほうが好きなんだよね、と拾ってもらったうちのひとりだ。古本と古本屋に惹かれる人たちもまた、同じだろうか。
翌日、あのことばなんでしたっけ?と内堀さんにメールを送る。
「『年齢とはそれに応和しない限り、納得のいかない実体である。』小林秀雄だってそうなんだから。」
小さな画面のなかでも昨晩のお墨付きを振って返す。内堀さんと話していると、古本屋は大陸のどこかにある竜宮城のように見えてくる。玉手箱の煙とともに時間が流れ出すのは、店をやめたときなのかもしれない。