断片日記

断片と告知

乾杯

久しぶりに仙台へ行った。最後に訪れたのは2015年の6月だから、2年ぶりの再訪になる。2009年から15年のあいだ、サンモール一番町商店街で行なわれていたBook! Book! Sendaiでの古本市に参加するため、毎年6月はわめぞの有志で仙台を訪れていた。昼は古本市、夜は仙台の人たちと打ち上げで飲み、翌日は仙台市内はもちろん、松島や塩釜まで足を伸ばし散策する。「火星の庭」に寄りバナココとタコライスを食べ、立ち食い寿司で中落ちの軍艦を食べて帰るのが毎年の楽しみだった。本の魅力を伝えていくというBook! Book! Sendaiの活動はいまも続いているが、商店街での古本市はなくなったため、みんなでえいやっと仙台へ行く機会がなくなった。いつでも行けると思いつつ、打ち合わせやイベントで東京を訪れる「火星の庭」の前野さんと飲む機会はたびたびあったので、なんとなく仙台には行かなかった。
2年経って、どうにも辛抱できなくなった。仙台で前野さんと飲みたくなった。特別にしたい話や報告があるわけじゃない。学生時代に馴染んだ店の味がいまも変わらないことを時々確かめたくなるように、ただただ仙台を歩きたかった。
はじめてコボスタ球場で楽天戦を見て、夜は「火星の庭」の裏手にある小さな飲み屋の座敷にあがる。前野さんのうしろの壁に、仙台でよく見る商売繁盛の縁起物、仙台四郎の写真がかけられている。パ・リーグ首位を独走する楽天の話題が出ると、店の人も客も、今だけ今だけ、と口をそろえる。マー君がいたとき優勝したじゃないですか、と口をはさむと、そりゃマー君がいたからだよ、24勝した投手が抜けたらねぇ、と優勝の翌年から最下位にすべり落ちた楽天の姿をいまも引きずっている。刺身のうまさも盛りの多さも、あちこちで見かける仙台四郎も、定禅寺通りの大きな並木も、Book! Book! Sendaiで来ていたころと何も変わらない。ただ前野さんが、最近は昔みたいに飲みに行かなくなった、と言う。昔と変わらず2軒目も付き合ってくれる前野さんが、ふたりはこうして来てくれるから、そんなことを言う。
2日目。昼は仙台の街中と広瀬川沿いを歩き、夜は「火星の庭」からほど近い小さなサロンのような場所で行なわれた、友部正人さんのリクエストライブに行った。入場すると小さな紙を渡され、友部さんに歌って欲しい曲をひとつ書いて小さな紙袋に入れる。舞台に立った友部さんが、紙袋に手を入れかき回して1枚引く。1曲目からこれかぁと言いながら、友部さん訳ボブ・ディランの「くよくよするなよ」からライブがはじまった。1曲1曲、袋から引いた紙をサングラスをかけた目でじっと見る。横のテーブルに小分けに置かれた譜面の中から1枚取り出し譜面台に置き、首から下げたブルースハープを付け替える。休憩をはさんで3時間以上、わたしのリクエストはだめかと諦めたころ、最後から2番目にひょいと紙が引かれた。連合赤軍がテレビや新聞をにぎわせていたころの歌「乾杯」だ。
電気屋の前に30人くらいの人だかり 割り込んでぼくもそんなかに
連合赤軍5人逮捕。泰子さんは無事救出されました。』
金メダルでもとったかのようなアナウンサー
かわいそうにと誰かが言い 殺してしまえとまた誰か
やり場のなかったヒューマニズムが今やっと電気屋の店先で花開く
いっぱい飲もうかと思っていつもの焼き鳥屋に
するとそこでもまた店の人たちニュースに気を取られて注文も取りにこない
お人好しの酔っ払いこういうときに限ってしらふ
ついさっきは駅で腹を押さえて倒れていた労務者には触ろうともしなかったくせに
泰子さんにだけは触りたいらしい
ニュースが長かった2月28日をしめくくろうとしている
『死んだ警官が気の毒です。犯人は人間じゃありません。』って
でもぼく思うんだやつらニュース解説者のように情にもろく やたら情にもろくなくてよかったって
どうして言えるんだい やつらが狂暴だって」
3日目。前野さんと石巻を歩く。石ノ森章太郎のキャラクターの銅像が並ぶ商店街を抜け、前野さんが調べてくれたうまいと評判の寿司屋に入る。カウンター数席と4人掛けのテーブル席がひとつだけの小さな店だ。鯨の刺身も、中おちの軍艦も、アナゴも、ウニも、食べた瞬間に口のなかでとけていく。こんな寿司は食べたことがない。テーブル席の家族連れの、好きなものを最後に残していたのか、小さな男の子に店主が笑いながら話しかける。早く食べないと、またいつ津波がくるかわからないよ。
満席だった店がいつの間にか客は我々だけだ。気さくな店主が震災の日を話す。前の店はここからそう遠くないところにあったのに、2メートルも水をかぶって。ここは元寿司屋の居抜き物件だけど、30センチしか水が来なかったんですよ。昼の営業が終わってちょうどまかないを食べようと茶碗を持ち上げたら店が揺れた、と、手をあごの下まで持ち上げて見せる。早く食べないと、またいつ津波がくるかわからないよ。そう笑いながら。
店の近くを流れる北上川のまんなかに、石ノ森萬画館の真っ白で丸い外壁が浮かんで見える。たくさんの人が避難したという日和山の向こうにある海は、ここからは見えない。
仙石線の車窓から見える家々や道にひかれた白線がどれもま新しい。震災の年の6月におこなわれた古本市で来たときは、瓦礫や壊れた家やシャッターや信号機、打ち上げられた船が、海沿いの景色のあちこちで見られたがもうそれもない。震災から日々片付けられていく景色のなかで、片付かない心が取り残されて笑っている。
何か出来ないかな。雑司ヶ谷に戻って、友人たちと飲みながら仙台の話をする。
ムトーさんには何も出来ないよ。
はじめからいたひとりが言い、そうそうムトーさんには何も出来ない、と、後から来たもうひとりも言う。
ただ中落ちを食べに仙台に行けばいいんだよ。
そうそうムトーさんにはそれしか出来ない。
お前もまた、泰子さんにだけは触りたいひとりだろうと、友人たちがわたしを見抜く。
「乾杯 今度あった時にはもっと狂暴でありますように」