断片日記

断片と告知

金沢龜鳴行

五月半ば、二泊三日で金沢に行った。金沢を訪れたのは二回目で、一回目は2011年3月の震災の数日前だった。野町駅そばの銭湯「野町湯」を訪れたが、そのときのことはこのブログに書いていない。沖縄で訪れたいまはなき銭湯も、長野善光寺そばの銭湯「亀の湯」も書いていないのは、旅先の出来事は多すぎて、書きおこす億劫さに負けがちだからだ。そのおかげで、沖縄で訪れた銭湯はいまや名前さえも覚えていない。
旅先で起きたあれこれはちょっと置いておくにしても、せめて行った銭湯の名前くらいは、いつかの自分のために書いて残しておきたい。
金沢の長町、せせらぎ通り沿いのマンションの一階の銭湯「松の湯」。今回の金沢旅で龜鳴屋の勝井さんに、行ったことはないけれど、モダンかな、とすすめられた銭湯のうちのひとつだ。通りから数段あがって暖簾をくぐる。くぐると広めの下足場に、右手奥に下足箱。大きなロビーにソファセットとテーブル、正面右手に女湯の入り口。入ると左手に番台、女将さんに入浴代440円を払う。番台においてあった銭湯のスタンプラリー「かなざわおふろ旅」と金沢の銭湯マップをいただく。番台の正面に、洗い場に面したステンドグラス模様の窓、その前に体重計がある。洗い場の入り口はそのステンドグラス窓がある壁の右端、階段をこんどは数段おりて洗い場へ。階段すぐ向かいに小さなサウナ、水風呂、珍しいけれどたまに見る全身浴びられる筒型のシャワーが並ぶ。そこから左手に横長に広がる洗い場へと続き、やはり横長の島カランが真ん中に一列走る。横長の突き当たりには湯船があり、左から深め、浅め、浅めの手前にはみ出すように極浅め、がある。珍しいのは、横長突き当たりの男湯との境の壁のうえに、赤く細かいタイルで覆われた巨大な球体が半分こちら側に飛び出しているのと、浅めの湯船の右奥に茶色の大きな立方体が積まれた滝があることだ。立方体の茶色は錆の浮いた鉄の固まりのような彫刻のような趣きがあるが、触ってみるとだいぶ軽い。そのうえから、これでもかこれでもかとお湯があふれ出している。
松の湯:金沢市長町1-5-56
山の上町の銭湯「梅の湯」。いまの家に移る前、勝井さんご夫妻が長いこと住んでいた長屋のそばの、よく通った銭湯。大きな道路に面しており、一階は駐車場、二階が銭湯になっている。正面の階段をあがると観葉植物が置かれた大きなガラス窓の温室のような下足場が現れる。左手に男湯と女湯の入り口があり、その先にマッサージ器が置かれたちいさなロビーがある。女湯の入り口はすりガラスのはまった木製のドアで、ガラス部分に赤い字で、御夫人、と書かれている。ドアを開けると、丸いカーテンがさがり、外からも番台からも脱衣場が見えないようになっている。右手に番台、男湯との境の壁に大きな鏡、反対側の壁にはロッカー、真ん中にソファと丸テーブルと椅子が点在する。5月半ばにも置きっぱなしのストーブが、金沢の寒さを想像させる。洗い場入り口の左手にベビーベッドがふたつ。洗い場入り口右手の流しにはパンダの絵柄の北陸製菓の広告がある。天井を見上げると、ぽこんと立方体に突き出た湯気抜きがある。洗い場の湯気抜きは当たり前だが、脱衣場の湯気抜きははじめて見たのではないか。洗い場に入ると、右手にシャワーブースがふたつ、両脇の壁にカラン、真ん中に島カランが一列あり、赤と青の丸い部分に宝のマークの、赤い湯のカランのほうが一段低く設置されている。奥の壁沿いに、左手から番茶の湯、左奥の角にジェットがついた深めの湯、浅めの泡風呂が並ぶ。男湯との境の壁のうえにはレトロなデザインの笠の蛍光灯がある。「松の湯」でもらったスタンプラリーに「梅の湯」の判子ももらう。また来なっし。全部周ったら、また来なっし。番台の女将さんに金沢のことばで送られながら。
梅の湯:金沢市上の町4-21
一泊目は勝井さん宅に、二泊目はホテルに泊まった。そのホテルからそう遠くない場所の銭湯「瓢箪湯」。マンションの一階に観音開きのガラス戸の入り口、正面の壁に「瓢箪湯」の文字と営業時間の入った丸い明かり。左手が女湯のドアだが、女湯男湯ともに赤紫色の桟のガラス戸でなかなかのハイカラ具合。入ると左手に外の道に面した大きなすりガラスの窓、正面に下足箱、右手に番台がある。すりガラスを通して道から脱衣場が見えないよう、昔の病院で使っていたような布製の間仕切りがゆるく置かれている。番台の前の男湯との仕切りはカーテン、その横の仕切りの壁にめり込んで冷蔵庫があり、白い扉が壁にぴっちり埋まっていている。脱衣所は左手の壁にロッカー、足元には脱衣籠も点々とあり、右手の壁には木製のベビーベッドがふたつ、下が観音開きの戸になっている。洗い場は両壁にカラン、真ん中に島カランが一列、奥の壁左手から小さなサウナ、浅めの泡風呂、深めの湯船と並び、浅めと深めの湯船の向こうはガラス張りの温室になっており、赤い花のサボテン、ゴムの木など、観葉植物がきちんと手入れされ並んでいる。ガラスを通して光も入るので洗い場がとても明るい。温室も珍しいが、洗い場と脱衣場の間の壁に配管むき出しのような腰くらいの位置にシャワーがみっつ、間隔も狭く並んでいるのも珍しい。どう使うのか、入っているあいだ使っている人には出会わなかった。
瓢箪湯:金沢市瓢箪町1-7
2011年に訪れた「野町湯」はどうなっただろう。知りたくて犀川大橋を渡って野町まで歩く。野町三丁目の交差点を右に、ゆるく曲がる坂をおりていく。北鉄石川線野町駅手前、右手の路地の奥に煙突が見えてくる。東京の細長い煙突とは違う、関西でよく見る太く短い煙突だ。道に面して「野町湯」と書かれた看板が建つが、看板の奥の入り口に人の気配もない。横に周るとコインパーキングに面した外壁に、モザイクタイルの模様が貼られており、銭湯内部の華やかさを少しだけ感じさせる。コインパーキングの裏に周ると更地が広がり、「野町湯」の古びた横顔がさらけ出されている。レンガの壁のうえに瓦屋根がのり、所々ブルーシートがかけられ、煙突が伸び、トタンで覆われた部分は錆びている。コインパーキング側とは逆の路地に周ると、駅前の看板の奥とは違う、しっかりした木造二階建ての入り口が現れる。入り口横の台所らしき窓からは炊事の気配がし、入り口にはカーテンがさがり中が見えないが、貼り紙がそう古びてみないことから、わりと最近まで営業していたのかもしれない。覚えているのは、男湯との境の壁に湯船が並んでいたことや、洗い場や脱衣場の流しのタイルの華やかさから、京都の銭湯を思い出したことと、洗い場の奥の壁と、脱衣場との境の壁のうえにもモザイクタイルの絵があったことだ。境の壁にまでタイル絵が描かれているのは、東京でもほとんど見られない。たしか山並みの絵だったと思うが定かじゃない。こうして「野町湯」の前で残る建物を見上げていても、立派なほうと駅前のほうと、どちらの入り口から脱衣場に入ったのかさえ覚えていない。
野町湯:金沢市野町5-5-11
金沢の町にはいたるところに用水路が流れ、「野町湯」に向う路地の手前にも流れている。帰りはその横を犀川まで抜けようと歩きだす。にし茶屋街のしたあたりに来たところで古びたスナック街にぶつかり、通りを越えてさらに行くと、室生犀星が幼少期を過ごした寺、雨宝院の前に出る。銭湯と、酒と、犀星と、好きな場所が用水路でつながっていたんですよ。帰って勝井さんに報告すると、いいねぇそれ、書いてよ、とテーブルの向かいの顔がにやりと笑った。