断片日記

断片と告知

棒にふる

7月から8月半ばまで、ずっと仕事の絵を描いていた。アトリエとして使っている部屋は三階建てのビルの上にちょこんと建てられたサンルームで、眺めがいいかわりに陽がそのまま差し込んでくる。クーラーもない。指先でオイルパステルが溶け、ときどき汗が紙に落ちる。こんな時期にオリンピックをやるなんて。あちこちから聞こえた声は、来年の死者を待ち望んでいるようだった。

ラフが描けないので、いつも多めに絵を描いて送る。次はいまより面白い絵になるんじゃないか、そう思いながら、ぐずぐずぐずぐず指を動かす。割にあわないことをしている。「功利の世に生まれて来て、そこに生きる術をしらず」。送られてきた入谷コピー文庫「私のワンコイン文庫」のなかで、田中清行さんが引用していた一節だ。「一生を棒にふる」読んでいるとわたしより不器用な顔を思い出す。

たまの店番のアルバイトをしていると、携帯電話が鳴る。見ると知らない番号からで、出ると新刊書店で働いていたときの同僚だった。久しぶり、元気だった?彼の声を聞くのは10年ぶりくらいだろうか。浮かれるわたしの声をさえぎるように、いい話じゃないんだけどな、と続いたことばは、同じころ一緒に働いていたKの訃報だった。

店番のアルバイトを終えて、今度は古本屋の買取りを手伝う。客の家に向かう車のなかで、たったいまの訃報を古本屋の店主にこぼす。

大きな新刊書店だったから、ときどき版元や取次のぼんぼんが研修に来て働いててさ。Kもそのひとり、小さな版元の跡取りだった。ひとつかふたつか年上だったから、Kにーさん、って呼んでた。

Kにーさん、版元に戻ったあともよく本屋に顔出してくれて。やぁやぁどうも、って必ず手を振りながら現れて。役者の小泉孝太郎に似て、わりとイケメンだった。

みんなで一人暮らしの経堂のマンションに押しかけて、せり出していた1階の屋根の上を酔っ払って駆け回って。次の日、マンションの管理人に怒られたっけ。

 最後に会ったのはいつだったか。電話してきた彼の結婚式か。同僚のヨシカズが号泣して、なんでお前が泣いてんだよって、みんなで笑った。

本屋で働いていたときも版元に戻ったあとも、ときどき朝から酒臭かった。手が震えていたのを見ないふりした。

40代になって、友人が3人死んだ。ふたりは酒に、ひとりはスピリチュアルにはまって沈んでいった。沈む先が違えばまた浮かんでこられたかもしれないが、酒もスピリチュアルも、弱った人間をつかまえるのがうまかった。

もう葬式も納骨もすませたって、土の中じゃなくて、ほら今どきのなんていうの、室内のお墓。電話の彼に墓の場所を聞くと、早稲田の寺だと教えてくれた。

ぽかんと空いたある日、教えてくれた寺まで歩いていった。早稲田のブックオフのすぐそば、コンクリートを上へ上へと伸ばしたような大きな寺だった。入ると祭壇に金色の仏像が置かれていた。墓がどこかもわからなかったので、その金色をしばらく見つめた。申し訳なさそうな顔を見せながら、葬儀屋の男が音をたてて椅子を運んでいく。Kにーさんの下の名前はなんだっけ。どうでもいいことはいくらでもこぼれていくのに、肝心なことが思い出せない。

ヨシカズは地元に戻って古本屋をはじめたよ。前からやりたいって言ってたじゃん。そうだっけ?やっぱり思い出せない。調べた住所を地図で見ると、行く気がなくなるほど遠かった。