断片日記

断片と告知

おっぱいらー

夕方には東京を出たが、早々に渋滞につかまり、山のホテルに着いたのは夜9時半を過ぎていた。門限は11時ですと言われ、慌てて部屋に荷物を放り込み、来る途中に見かけた一番近いラーメン屋まで歩いていく。降るような星の下、ホテルの自販機で買った缶ビール500mlを飲みながら、知人は門限が早すぎると文句を言い、山の下まで長い長い坂をおりていく。

生ビール2杯とレモンサワー1杯。餃子、モツ焼き、チョレギサラダ、しめに味噌ラーメンをかっこむ。来た道を戻ってまた山の上のホテルへ戻る。大浴場は12時までで、大きな内風呂と露天風呂のふたつある。露天の外はまっくらで、星の下で向かいの山の形がぽっかり黒く抜けて見える。

翌朝、ホテルの朝飯の後にまた風呂に行く。昨夜と違って今度は露天の外がよく見える。露天のすぐ下には人工の大きな池があり、海のないこの県で、この町の名に「うみ」を足した名前がつけられている。向かいの山裾には家々が並んでいるのがよく見える。こちらからよく見えるのだから、あちらからもよく見えるに違いない。

露天風呂の水面にはホコリと死んだ羽虫が漂い光っている。ホコリと羽虫をかき分けて、誰もいない露天風呂ですぃーと泳ぐ。漂ってきた大きな虫を湯ごとすくって、露天の脇の草地に放る。何度も何度も草地に放る。地獄にこういう役割の婆がいなかったか、乳を垂らしながらきりがない。

今度の山への旅は、この町の小さな公園で行われる、彫刻の除幕式に呼ばれたからだ。知人の父親は彫刻家で、この町の生まれで、いま東京の病院にいる父親にかわって、知人が代理で式に呼ばれた。

小さな丘の天辺を平らにならしたような公園の端に、白い布をかぶった彫刻が置かれている。布から紅白の紐が二本出ていて、彫刻の右手と左手に並んだ人たちの手に渡る。短い挨拶のあと、紐が引かれて布が落ちる。サーカスの女、玉乗りしている女の像だ。

公園の端の木陰にビニールシートが敷かれ、宴席がはじまる。仕出し屋から届いた、刺身の盛り合わせ、巻き寿司、サンドイッチ、瓶ビールが長机にずらーっと並ぶ。飲め食べろと言いながら、田舎料理だろ、とこちらを見る。

彫刻の建つ小さな公園は町営で、今日ここに集まった有志の手で管理されている。元々、不動産屋が買取って建売住宅になるところを、止めていまの形に残したことを、繰り返し繰り返し話して聞かせる。みんなでローラーを引いて平らにし、ベンチや遊具を置き、草木を植えたり抜いたりしている。時々、男たちが公園の隅に行き、植えた草木に向ってしょんべんしている。

こないだ熊が出てよ。俺は殺すなって言ったんだよ。なのに殺しちまいやがって。麻酔銃で撃って山にはなしゃあいいら。かわいそうによ。あっちの山は海底隆起で出来た山でよ、こっちの山は火山で出来た山でよ、あっちの山にしか熊はいねーんら。なんでかわかんねーけどよ。

この町の人たちはことばの最後にたびたび「ら」をつける。

あんたどこの人ら?東京の人じゃねーだろ。いえ東京の、池袋のそばの雑司ヶ谷ってとこで。嘘らー。栃木か茨城らー。

翌日は諏訪湖に寄っていく。諏訪湖に浮かぶ亀の形の遊覧船は竜宮丸で、今年の12月で営業を終える。44年間ありがとう、の垂れ幕が桟橋にかかる。

諏訪湖の周りにいくつかある共同浴場のうちのひとつ、大和温泉へ行く。共同浴場が三軒並んだ一番奥に、入り口も目立たず、細い路地の隙間を抜けていくとある。手前の二軒は組合員しか入れませんと張り紙がある。

路地を行くと小さな広場に男が立っている。お金はそっち、女湯はそっち、と口数少なく眼で示す。入湯料300円を皿に置く。右手が女湯。引き戸を開けると靴脱場があり、さらに引き戸を開けると脱衣所がある。ロッカー形式だが鍵はない。

洗い場は、左手の男湯との壁に添って、手前にステンレスの小さな水槽がふたつ、ひとつは水、ひとつは熱湯、がはられ、細長い湯船も男湯の壁にくっついてある。湯はなんとなく緑色でふんわり硫黄の匂いがする。壁にカランがひとつもない。水槽にはってある水と熱湯を割って、汗まみれの体をじゃぶじゃぶ洗う。

静かだった浴場に、金髪の女の子が4人、どどっとなだれ込んでくる。あ、そのお湯あちーよ、そっちのは水だよ、と先輩ヅラして話しかける。ほんとだあついー、と言いながら、じゃぶじゃぶ洗って湯船に飛び込んでくる。

男湯からも、あちー、あちーよ、と同じような高い声が聞こえる。なんか透けてなーい。金髪のひとりがいたずらっぽい声をあげる。男湯との境の壁は、胸の高さから上はガラスブロックで出来ている。

ねぇねぇ、まみちゃんがおっぱいくっつけてるよー。

男湯に向かって叫びながら、4人がいっせいに手の平をガラスブロックに押し付けた。