断片日記

断片と告知

日の丸食堂

平日昼間の週3日、近くの大学の食堂でアルバイトをしている。わたしの出勤は食堂が混みはじめる昼前から夕方まで。腹を空かせた学生や教員にカレーやラーメンや定食をよそいつつ、営業時間を終えたのち、汚れた皿や鍋を洗いもとの場所に戻すまで、を受け持っている。

ここで働きはじめたのは2015年の春くらいから。食堂を運営する業者が変わったり人が変わったりいろいろあったが、昨年からはじまった大きな変化がいくつかある。

昨年の春のこと。出勤すると食堂のテーブルの上にパーテーションと呼ばれる透明アクリル板が並べられていた。テーブルは4人掛けの小さなものから20人近く座れる大きなものまである。こうなる前は、営業時間がはじまる前にテーブルの上をただ拭くだけでよかったが、こうなったいま、営業時間がはじまる前に、ひとり分ずつ十字に区切られたパーテーションとテーブルの上を拭き、営業が終わったあとに、またひとり分ずつ十字に区切られたパーテーションとテーブルの上と椅子を拭く。皿や鍋を片付け、生ゴミを捨て、お疲れ様また明日、と帰れた日々は気分がよかった。皿や鍋を片付け、生ゴミを捨て、まだこれからパーテンションも拭くのかと、ビニールの手袋と消毒液を用意する日々は気分がよくない。なによりこの作業は楽しくない。

中腰で拭いていると大きなテーブルふたつ目あたりから腰が痛くなってくる。トマトソースのパスタが出た日は、赤いソースが安い血糊のように点々と、パーテンションの上で乾いて固まりなかなか落ちない。反対に豚骨ラーメンが出た日は点々と白い。人さまの飛沫の始末は、人さまの下の世話とどこか似ている。ふたり掛かりで30分かけ、誰かのひり出した赤や白の点々を拭いていく。

こうなる前から使い捨てのビニールの手袋は使っていた。手袋はゆるめのものと、手術で使うようなぴちっとしたものの2種類あり、食材を触るときには菜箸かトングか手袋かのどれかを場面で選び使っていた。こうなったいま、直接食材を触るとき以外も手袋をしろと指導があった。麺をゆでる菜箸を持つとき、飯を盛るしゃもじを持つとき、カツカレーのカツをトングで持つとき、お待ちどおさまと皿を出すとき、すべての場面に手袋をしろと苦情があった。洗い物をしているときにも人前だと手袋をする。ゆるめのものだとすぐ脱げるので、ぴちっとした手袋をはめて鍋や皿を洗っていく。手袋の裾から入った水がいつか指先に溜まり、指の先がぶらぶらと使用済みの避妊具になる。10本の指が10本の陰茎にかわり、食堂にいる4時間でわたしの指先はなんどもなんども使用済みになる。

ビニールの手袋はすぐどこかに引っかかる、穴が開く、水が溜まる、汚れがきちんと落ちたかどうかの手応えもない。いちいち手袋をはめるのも、薄い膜以上に遠くなる感覚にもうんざりしていた。ところがだ、気づくと手が荒れなくなった。ザルを編んでいる針金で爪がかける、洗剤で指先がささくれる、熱湯や油でやけどする。週3日かけて痛めた手を、残りの週4日かけてもとに戻す。そうしてどうにか保っていた手らしきものが、ずっと手のままでいる。マスクのおかげでインフルエンザが減ったように、悪いことばかりじゃないとはわかったものの、やれと言われてやらない選択肢を持てないことが腹立たしい。

座学の多くがリモートになり、食堂に来るひとたちがめっきり減った。少しでも売上をと頭をしぼってメニューをひねる。オムライス、ハンバーグ、エビフライ、小さなサラダを一皿に盛った大人のお子様ランチはどうだろう。出してみると面白がられて定番メニューのひとつになった。やっぱりお子様ランチには旗でしょうと探しに行き、これしかなかったと小さな日の丸が楊枝にまかれたものを買ってきた。旗ありますよ?と注文がくるたびに聞き、欲しいと言われればオムライスに日の丸を指す。

食べ終わった皿は客自身が食べ残しを捨て、水の入った大きな水槽に皿だけ流し入れる。水槽のこちらでは溜まった皿を集めて大きな食洗機で流していく。洗い終わった皿を乾燥機に入れ、食洗機自体も洗い、あとは溜まった食べ残しを捨てるだけ。

食べ残しの集まるザル状の引き出しを引く。飯の粒、麺のぐにゃぐにゃ、揚げ物やキャベツの切れっぱしが、茶色く湿って集まっている。お子様ランチがよく出た日は、食べ残しとともに捨てられた日の丸が混ざる。茶色く湿った残飯のなかに点々と、白地に赤い日の丸が、ばんざーい、ばんざーい、とはためいている。