断片日記

断片と告知

『天上の櫻 宮崎孝政詩選集』

編者の芝雪さんの後書きによると、宮崎孝政は明治三十三年(1900年)生まれ。出身は石川県鹿島郡徳田村。七尾中学を中退後、杉江重英らが創刊した詩誌『森林』に参加。大正九年(1920年)から母校の徳田小学校で代用教員を勤めながら、石川が生んだ詩人室生犀星を目標に詩を書き、その犀星が母を手紙で説得し、大正十五年(1926年)宮崎孝政は妻と二人の子供を残し上京する。本書は、『宮崎孝政全詩集』(龜鳴屋私家版)を底本とし、編者の芝雪さんが「孝政の好きな詩を選び好きな順に編めた」本になります。龜鳴屋の「置き去り詩人文庫」というシリーズの二冊目になります。

龜鳴屋から刊行された『宮崎孝政全詩集』がありますが、ほとんどの人が宮崎孝政が書いた詩を知らないと思いますので、詩集の中からわたしの好きな詩を四編ご紹介いたします。

 

「天上の櫻」

櫻の花はちらないのだ

いく日かののちに

すこしづつ枝から天へせりのぼつて

天でまた ぼんやり咲くのだそうだ

 

夕暮れの底に

人聲もないとき

部室で子供がうつうつ微睡(まどろ)でゐるとき

静かな部室の窓口に

うすあをいカーテンを下ろしながら

櫻の花はこつそりと

天へせりのぼつてゆくのだそうだ

 

青葉の陰影で

目がさめ

子供は冷たくなつた白い蹠(あしうら)をゆすつて

母親をよんで泣きしきる頃

天ではまた

賑やかな花見がはじまるのだそうだ。

 

「平凡日記(一)」

わたしは雀になつてゐた

この雀には

一粒一粒の米が眩ゆく光つてみえた

それで 掌の上に

なんど米粒をすかしてみたかわからない。

 

わたしの背後は竹藪でなかつたけれど

破れ障子のつめたいかげで

地上にこぼれた落穂をみつけた雀のやうに

わたしは自分のかしいだ米粒の姿を見た。

 

さくさくさくとかしいでみて

どうして淚が落ちてくるのか

雀に淚はをかしいな。

 

月の光にまろびこ

米粒がみんな小佛のやうで

なんだか

今夜生きてゐるのが、勿體ない。

 

「藤の花 その四」

乳くびをあたへられた犬ころは

ひとつひとつ乳くびを噛んでねた

私だけには乳くびがなかつたので

泣きながら何處かで一つ探さねばならなかつた

やつと乳くびを見付けたと思つたら

それは藤の花だつた

それでも藤の花をいつまでも見てゐたら

おなかがふくれて眠くなつた幼い日があつた。

 

「からす瓜の詩」

まつかなからす瓜をみてゐたら

わたしの目がいたくなつた

きびしい霜のまつしろな庭の

ぼんやり吊りさがつてゐるからす瓜をみてゐたら

こころも痛んできた。

 

からす瓜のまるいすがたを

わたしの目はいくたびとなくさすり

からす瓜をまくらにしてねた

わたしの幼い日がいたましくよみがへつた

そとでねて そとでねてと

わたしの心は家からはなれて外でねたころ

からす瓜は 外でねる子のまくらだとおもつた。

 

ああ からす瓜がうごいてゐる

まつかに燃えてうごいてゐる

この世に生きてなすこともないからす瓜が

わたしには

ふかく心にひかれる夢のまくらだ

なすこともなくこの世に生きながらへ

ぼんやりうごいてゐるからす瓜

もつと まつかに燃えるがよい

霜をゆすつて動いてくれ

平凡なわたしをなぐさめるからす瓜。

空もまつさをで

おのづと心のしんとする朝

目に淚をためて

からす瓜を見てゐたら

からす瓜は赤坊のような氣がした。

 

わたしも

この世にうまれてきたころ

からす瓜のような格好をして垣根のそとで

ぼんやり吊りさがつてゐたのだろう。

 

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