断片日記

断片と告知

入谷コピー文庫「昭和のある鉄道」絞る眺める

堀内恭さんが発行する冊子、入谷コピー文庫「昭和のある鉄道」に文章を寄せました。寄稿者は、山川直人、菅野楽章、クレオール・サトー、武藤良子、西川ちより、林哲夫藤木TDC、横山ケイスケ、尾崎正浩、諸星モヨヨ、まつだのりよし、堀内和代、はやしゆうき、塩山芳明(敬称略)。表紙は保光敏将さんの版画です。昭和の鉄道が思いつかず、いまの鉄道を書きました。

 

「絞る眺める」

ふだん雑司ヶ谷から出ないので電車に乗らない。今の職場も前の職場も近くばかりで、思えば二十代後半からほとんど電車のいらない生活をしている。いるときはどこか遠くへ行くときで、たいてい新幹線に乗っている。金はなくても新幹線に乗っていくどこか遠くが好きなのだ。

新幹線にホテルがついた格安パックを申し込む。どういう仕組みか知らないが往復新幹線の代金よりもホテル付きのほうが安くすむのだ。行きは九時半ごろに上野を出、帰りは二十三時半ごろ上野に着く切符をいつも買う。泊まる場所はどうでもよく一番目か二番目かに安いホテルを申し込む。

絵の仕事や展示で呼ばれ、近ごろは金沢に行くことが多い。まず池袋から上野まで山手線で行く。平日の朝だが上野に向かう山手線は新宿行きと違いあまり混まない。大塚巣鴨と人は減っていき田端をすぎると座席が見える。上野駅構内で朝からやっているメルヘンでサンドイッチを買う。玉子か、ハムカツか、その日の気分でそこらへんをひとつ買い、新幹線改札内ニューデイズでペットボトルの茶か、あちらで会う相手が許せば缶ビールを買う。必ず本のラックも眺める。フランス書院やミステリーの文庫に混じり、発売されて間もない村上春樹の単行本が1冊だけささっていたりする。ニューデイズの向かいの便所に必ず入る。新幹線のなかで便所に立つのが面倒で、なるべくここで絞り出す。いつきてもきれいな便所で、流しの棚に折り紙の鶴か花かなんかが飾られている。一昔前のたばこ屋のショーケースと同じ眺めだ。新幹線のホームにおり、数分おきに来る新幹線を眺めて待つ。

いつも進行方向左手の二人がけの窓際に座る。音もなくいつの間にか新幹線は動き出す。座席を少しさげ、枕を少しあげ、たいてい空いているので荷物は横の座席に置き、テーブルを出す。サンドイッチとペットボトルを並べて落ち着く。飛鳥山公園が見えるころにはサンドイッチを食い終わりテーブルをたたむ。まだ荒川さえ越えていない。

荒川を越えるとしばらく平らな地面が続く。大宮高崎と町が近づくとビルが増え、離れると田畑が増え、長野に入ると山が増えてトンネルが増える。サンドイッチを食い終わるとすることもないので景色を見ている。持っていった文庫本はなぜか開く気になれない。川や橋や鉄塔が見えると気分がいい。青い田んぼも黄色い田んぼも気分がいい。雨はいやだが雪景色なら犬のように気持ちが跳ねる。山を抜けると富山に出る。天気がよければ右手の端にうっすら日本海が見える。思っていたより海が明るく緑に見える。空いていれば右手の三人がけにすべってしばらく海を眺めている。そこまで行けばもう金沢に着く。

新幹線の改札内の便所に行き、溜まっていた小便を絞り出す。改札を抜け駅ビルのあんとを抜ける。おでんの黒百合の前を通り待っている人の数を数える。数えるだけで入らない。これからKさんちに顔を出し、一緒に大黒屋でカレー鍋うどんを食うのだ。

金沢でよく泊まる片町のホテルは、窓から隣りのビルの室外機と非常階段しか見えない。非常階段で煙草を吸う男や女が金沢の旅の眺めだ。あそこに泊まると牢獄みたいで仕事がはかどるんだって。ここを教えてくれたKさんが言う。ベッドに寝転がり見た先には空もない。ここが歌舞伎町だか池袋の西口だかもわからない。

おでんの黒百合で帰りの新幹線の時間を気にしながらひとり飲む。人気の店だがひとり客ならカウンターにすっと入れる。おでん鍋を囲むように置かれた長いコの字のカウンターは、コロナ禍で仕切りだらけで隣りが誰かもわからない。生ビール、石川の酒、おでんなら車麩にじゃがいも、金時草のおひたしに丸干しイカ、月見とろろもよく頼む。細く切られたイカをしゃぶりながら日本酒をなめる。二十一時一分発、最終の新幹線で上野に帰る。上野に着いたらニューデイズの向かいの便所に必ず入る。わたしの金沢を絞り出す。