断片日記

断片と告知

ゆるい約束

よく行くコンビニがふたつある。一軒は昼間、弁当や珈琲を買いに、もう一軒は夜、缶ビールや缶チューハイを買いに行く。店を分けているのは、昼間に行くコンビニにしかいれてもらえる珈琲がなく、夜行くコンビニのほうが酒が安いからだ。
昼間のコンビニでいれてもらった珈琲を受け取り、レジ前に置かれた台で砂糖とミルクをその場で入れる。
いつも珈琲ですね。
一拍おいて、同じことばがもう一度聞こえた。
いつも珈琲ですね。
二度目で顔をあげると、レジの向こうの顔が、笑いながらこちらを見ている。
わたしに話しかけている、わかるまでに間があった。慌てて同じことばを繰り返した。
あぁ。はい。いつも珈琲ですね。
レジの向こうの顔と話すようになったのはそれからだ。
いらっしゃいませ。こんにちは。オーナーが替わり、本社に言われて山形のコンビニから豊島区のコンビニにいきなり派遣されたこと。事務机の整理ができなくてアルバイトの女の子から怒られたこと。そのおかげで店長から降格したこと。万引きが多いこと。いつか自分もコンビニをやりたいとアルバイトの子が言ってくれたこと。珈琲を受け取るまでの少しのあいだ、レジの内と外で起こる悲喜劇を、笑いに変えながら話してくれる。
レジを待つあいだ眺めていると、どの客にもさりげなく、話しかけたり笑いかけたり。うちは品揃えでは他のコンビニに負けちゃうから。弁当なら向かいのコンビニのほうが品数もうまさも上なのに、いつの間にかこのコンビニで買ってしまうのは、この人の顔を見るためと、この人が来てからかわった店の空気が好きだからだ。そういう人はこの町で、たぶんわたしだけじゃない。
ある日、移動になりました、と告げられた。しばらくして、駅の反対側、西口の繁華街の端っこの店で働きはじめた。ときどき西口で飲んだ帰りに店に寄る。酔い覚ましの水や茶を買いながら、かわらない顔を見る。
いつか飲みましょうね。
移動の前にゆるい約束を交わしたが、ゆるいものはゆるいまま、まだ果たせていない。

犀星スタイル

室生犀星のファッションや暮らし方に光を当てた冊子、『犀星スタイル』が出来上がりました。室生犀星と娘の朝子さんの書いたエッセイや日記のなかから、孫娘の洲々子さんが、犀星のこだわりをよりぬき編まれた一冊です。
目次は、オデイト、艶布巾、満州ダイヤ、女ひと浴衣、炬燵、天然パーマと黒い髪、ラクダのシャツ、ネルのポケット、袂、蝙蝠傘、タータン・チェック、白い旗、虫籠、机の上、ハイヒールの穴、岡あやめ、ギチチ、煙草、帽子。
「美男子ではない、背が低いということに、犀星は晩年までコンプレックスを感じていた。だからこそ自分で考え、作り出したオシャレを、大切にしていたのであった。」
ハイヒールをはく女性が好き、だけど自分の背の低さは嫌い。帽子をかぶり、下駄を履き、銀座を並んで歩くとき少しでも背が高く見えるよう工夫を凝らす。劣等感を発明や創作につなげていく犀星と、その犀星を容赦なく描写する朝子さんの文章が愛おしい。
犀星好きのかたはもちろん、これから犀星を好きになるかたにも、ぜひ手にとっていただきたい一冊です。

『犀星スタイル』
室生洲々子編
龜鳴屋発行
絵 武藤良子
頒価1000 円 (税・送料別)

■金沢の室生犀星記念館、軽井沢高原文庫、もしくは龜鳴屋のサイトからお求めいただけます。
室生犀星記念館
書籍編集発行所「 龜鳴屋」

■目白のブックギャラリーポポタムでもお求めいただけるようになりました。
ポポタム店頭で:ブックギャラリーポポタム|東京目白にある本とギャラリーのお店 | 東京目白にある本とギャラリーのお店「ポポタム」のWebサイト。
ポポタム通販で:Books&Gallery POPOTAME tokyo




金沢龜鳴行

五月半ば、二泊三日で金沢に行った。金沢を訪れたのは二回目で、一回目は2011年3月の震災の数日前だった。野町駅そばの銭湯「野町湯」を訪れたが、そのときのことはこのブログに書いていない。沖縄で訪れたいまはなき銭湯も、長野善光寺そばの銭湯「亀の湯」も書いていないのは、旅先の出来事は多すぎて、書きおこす億劫さに負けがちだからだ。そのおかげで、沖縄で訪れた銭湯はいまや名前さえも覚えていない。
旅先で起きたあれこれはちょっと置いておくにしても、せめて行った銭湯の名前くらいは、いつかの自分のために書いて残しておきたい。
金沢の長町、せせらぎ通り沿いのマンションの一階の銭湯「松の湯」。今回の金沢旅で龜鳴屋の勝井さんに、行ったことはないけれど、モダンかな、とすすめられた銭湯のうちのひとつだ。通りから数段あがって暖簾をくぐる。くぐると広めの下足場に、右手奥に下足箱。大きなロビーにソファセットとテーブル、正面右手に女湯の入り口。入ると左手に番台、女将さんに入浴代440円を払う。番台においてあった銭湯のスタンプラリー「かなざわおふろ旅」と金沢の銭湯マップをいただく。番台の正面に、洗い場に面したステンドグラス模様の窓、その前に体重計がある。洗い場の入り口はそのステンドグラス窓がある壁の右端、階段をこんどは数段おりて洗い場へ。階段すぐ向かいに小さなサウナ、水風呂、珍しいけれどたまに見る全身浴びられる筒型のシャワーが並ぶ。そこから左手に横長に広がる洗い場へと続き、やはり横長の島カランが真ん中に一列走る。横長の突き当たりには湯船があり、左から深め、浅め、浅めの手前にはみ出すように極浅め、がある。珍しいのは、横長突き当たりの男湯との境の壁のうえに、赤く細かいタイルで覆われた巨大な球体が半分こちら側に飛び出しているのと、浅めの湯船の右奥に茶色の大きな立方体が積まれた滝があることだ。立方体の茶色は錆の浮いた鉄の固まりのような彫刻のような趣きがあるが、触ってみるとだいぶ軽い。そのうえから、これでもかこれでもかとお湯があふれ出している。
松の湯:金沢市長町1-5-56
山の上町の銭湯「梅の湯」。いまの家に移る前、勝井さんご夫妻が長いこと住んでいた長屋のそばの、よく通った銭湯。大きな道路に面しており、一階は駐車場、二階が銭湯になっている。正面の階段をあがると観葉植物が置かれた大きなガラス窓の温室のような下足場が現れる。左手に男湯と女湯の入り口があり、その先にマッサージ器が置かれたちいさなロビーがある。女湯の入り口はすりガラスのはまった木製のドアで、ガラス部分に赤い字で、御夫人、と書かれている。ドアを開けると、丸いカーテンがさがり、外からも番台からも脱衣場が見えないようになっている。右手に番台、男湯との境の壁に大きな鏡、反対側の壁にはロッカー、真ん中にソファと丸テーブルと椅子が点在する。5月半ばにも置きっぱなしのストーブが、金沢の寒さを想像させる。洗い場入り口の左手にベビーベッドがふたつ。洗い場入り口右手の流しにはパンダの絵柄の北陸製菓の広告がある。天井を見上げると、ぽこんと立方体に突き出た湯気抜きがある。洗い場の湯気抜きは当たり前だが、脱衣場の湯気抜きははじめて見たのではないか。洗い場に入ると、右手にシャワーブースがふたつ、両脇の壁にカラン、真ん中に島カランが一列あり、赤と青の丸い部分に宝のマークの、赤い湯のカランのほうが一段低く設置されている。奥の壁沿いに、左手から番茶の湯、左奥の角にジェットがついた深めの湯、浅めの泡風呂が並ぶ。男湯との境の壁のうえにはレトロなデザインの笠の蛍光灯がある。「松の湯」でもらったスタンプラリーに「梅の湯」の判子ももらう。また来なっし。全部周ったら、また来なっし。番台の女将さんに金沢のことばで送られながら。
梅の湯:金沢市上の町4-21
一泊目は勝井さん宅に、二泊目はホテルに泊まった。そのホテルからそう遠くない場所の銭湯「瓢箪湯」。マンションの一階に観音開きのガラス戸の入り口、正面の壁に「瓢箪湯」の文字と営業時間の入った丸い明かり。左手が女湯のドアだが、女湯男湯ともに赤紫色の桟のガラス戸でなかなかのハイカラ具合。入ると左手に外の道に面した大きなすりガラスの窓、正面に下足箱、右手に番台がある。すりガラスを通して道から脱衣場が見えないよう、昔の病院で使っていたような布製の間仕切りがゆるく置かれている。番台の前の男湯との仕切りはカーテン、その横の仕切りの壁にめり込んで冷蔵庫があり、白い扉が壁にぴっちり埋まっていている。脱衣所は左手の壁にロッカー、足元には脱衣籠も点々とあり、右手の壁には木製のベビーベッドがふたつ、下が観音開きの戸になっている。洗い場は両壁にカラン、真ん中に島カランが一列、奥の壁左手から小さなサウナ、浅めの泡風呂、深めの湯船と並び、浅めと深めの湯船の向こうはガラス張りの温室になっており、赤い花のサボテン、ゴムの木など、観葉植物がきちんと手入れされ並んでいる。ガラスを通して光も入るので洗い場がとても明るい。温室も珍しいが、洗い場と脱衣場の間の壁に配管むき出しのような腰くらいの位置にシャワーがみっつ、間隔も狭く並んでいるのも珍しい。どう使うのか、入っているあいだ使っている人には出会わなかった。
瓢箪湯:金沢市瓢箪町1-7
2011年に訪れた「野町湯」はどうなっただろう。知りたくて犀川大橋を渡って野町まで歩く。野町三丁目の交差点を右に、ゆるく曲がる坂をおりていく。北鉄石川線野町駅手前、右手の路地の奥に煙突が見えてくる。東京の細長い煙突とは違う、関西でよく見る太く短い煙突だ。道に面して「野町湯」と書かれた看板が建つが、看板の奥の入り口に人の気配もない。横に周るとコインパーキングに面した外壁に、モザイクタイルの模様が貼られており、銭湯内部の華やかさを少しだけ感じさせる。コインパーキングの裏に周ると更地が広がり、「野町湯」の古びた横顔がさらけ出されている。レンガの壁のうえに瓦屋根がのり、所々ブルーシートがかけられ、煙突が伸び、トタンで覆われた部分は錆びている。コインパーキング側とは逆の路地に周ると、駅前の看板の奥とは違う、しっかりした木造二階建ての入り口が現れる。入り口横の台所らしき窓からは炊事の気配がし、入り口にはカーテンがさがり中が見えないが、貼り紙がそう古びてみないことから、わりと最近まで営業していたのかもしれない。覚えているのは、男湯との境の壁に湯船が並んでいたことや、洗い場や脱衣場の流しのタイルの華やかさから、京都の銭湯を思い出したことと、洗い場の奥の壁と、脱衣場との境の壁のうえにもモザイクタイルの絵があったことだ。境の壁にまでタイル絵が描かれているのは、東京でもほとんど見られない。たしか山並みの絵だったと思うが定かじゃない。こうして「野町湯」の前で残る建物を見上げていても、立派なほうと駅前のほうと、どちらの入り口から脱衣場に入ったのかさえ覚えていない。
野町湯:金沢市野町5-5-11
金沢の町にはいたるところに用水路が流れ、「野町湯」に向う路地の手前にも流れている。帰りはその横を犀川まで抜けようと歩きだす。にし茶屋街のしたあたりに来たところで古びたスナック街にぶつかり、通りを越えてさらに行くと、室生犀星が幼少期を過ごした寺、雨宝院の前に出る。銭湯と、酒と、犀星と、好きな場所が用水路でつながっていたんですよ。帰って勝井さんに報告すると、いいねぇそれ、書いてよ、とテーブルの向かいの顔がにやりと笑った。

○△□なTシャツ展

盛岡ひめくりさんでのTシャツ展に今年も参加いたします。今年のテーマは、○△□。今回わたしがご用意したTシャツは、丸三角四角の描き文字から模様に流れるデザインです。シルクスクリーンの印刷は秋田の6jumbopinsさん。Tシャツのサイズはもちろん、Tシャツの色、インクの色も選べ、オリジナルの一枚が作れます。写真のサンプルカラーは、Tシャツがオリーブ、インクが白です。今年は会期スタートと同時に、6jumbopinsさんのWEBショップでも通販がはじまります。盛岡はちょっと遠いという方は、そちらをご利用ください。

***◯△□なTシャツ展***
いろんな◯△□のTシャツが並びます。
お気に入りのイラストを見つけたら、この夏の一枚をぜひオーダーしてください!
Tシャツとインクの色が選べます。お渡しまで10日ほどお時間をいただきます。
■会期
2018年6月1日(金)〜19日(火)
10:30〜18:30 ※最終日は16:00まで
会期中の休み:6/6(水)・7(木)・14(木)
■会場
shop+spaceひめくり
〒020-0885 盛岡市紺屋町4-8
電話&FAX 019-681-7475
営業時間 10:30〜18:30
http://himekuri-morioka.com/
■参加作家
オガサワラユウダイ/紙町銅版画工房/6jumbopins・京野誠/工藤陽之/黒丸健一/さいとうゆきこ/坂本千明/zoetrope/天間苑佳★/のそ子★/おるがん社・にしおゆき★/樋口佳絵/ますこえり/武藤良子
★=初参加

■秋田のTシャツ屋6jumbopinsのプリント実演販売
6/9(土)10:30〜
6/10(日)12:00〜
展示されているデザインの版を、Tシャツやインクの色を選んでその場でプリントいたします。
混み具合によりますが、少々お時間をいただきます。
Tシャツの在庫がない場合は後日お渡しとなります。ご了承ください。
https://6jumbopins.stores.jp/

観覧車

仙台駅前の高層ビルの最上階には展望台がある。青葉城から仙台市内を眺めたことは何度かあるが、街中から郊外を見る機会はいままでなかったし、あえて見ようと思うこともなかった。それが昨夜の飲み会でいい展望台があると聞いてきたSが、どこの展望台だったかは忘れたが、近くにもあるならのぼってみようかと言い出した。駅中で立ち食い寿司を食べてすぐのことだ。無料だし、駅前の便利な場所で、友人たちとの待ち合わせまでの半端な時間をつぶすのにもちょうどよかった。
エレベーターで最上階にのぼると、展望台はあちらとこちらの二箇所に別れ、こちらからは山側が、あちらからは海側が望めるようだ。山側の展望台に立つと、まずアーケード街の屋根が大きな配管のように街を走るのが見え、その先の山並みからぽこんと突き出た三角形が太白山、その下の丘のあたりが青葉城とフロアに置かれた地図にある。
海側の展望台からは、仙台と塩釜を結ぶ太い道、仙塩街道が遠くまで伸びているのが見えるが、その先にあるはずの海はぼんやりした空ととけてよくわからない。仙台港、と地図にはある。
塩釜や松島の海には何度も訪れたが、仙台駅から一番近い海には行ったことがなかった。古本市の手伝いと会いたい顔に会ってしまえば、あとはこれといってすることもなかった。明日は仙台港に行ってみようか、そうしようか、とSと決めた。
翌日、同じくすることもなさそうなMを誘い、三人で仙石線に乗った。仙台駅から六駅目、地図を見て仙台港に一番近そうな中野栄駅で降りた。駅前は小さなロータリーとブックオフとチェーンの焼き肉屋といった、いかにも郊外の寂れた駅だったが、それにしては若い人たちが固まりで降りていく。なんでだろうね、と固まりの歩く先を見ると、三井アウトレットパークの案内板が見えた。以前この辺りを歩いたことのあるMが、そういえば観覧車がありますよ、と案内板を見ながら言った。
駅から二十分くらいだろうか。高速の高架をくぐると右手にニトリ、正面にカインズ、左手に三井アウトレットパークの入り口が見えた。観覧車はアウトレットパークの向こうに半円形に顔を出している。半円形を見上げながら、乗らないんですか、とMが言い、乗ろっか、とSがうなづいた。観覧車の乗り場を探し、アウトレットパークの中に入る。寂れた駅前の景色と違い、巨大な駐車場も建物のなかも、車と人でみっしり埋まっている。ここには買い物を楽しむ人たちと、休日を人ごみで過ごす人たちの倦怠感の入り混じる、子どものころ親に連れて行かれた日曜日のデパートと似た、疲れた華やかさがあった。
観覧車は建物の奥、デパートの屋上にあるような小さな遊園地のなかに建っていた。コーヒーカップ機関車トーマスドラえもんの乗り物が、子どもたちをのせて揺れていた。券売機でチケットを買おうと一万円札を財布から出すと、面倒だからみんなの分も一緒に買ってよ、とSが言った。ほら六〇〇円払うからさ、とSとMから六〇〇円ずつもらい、わたしは一万円札を入れ、大人三枚分のボタンを押した。
気がついたのは、観覧車乗り場のゴンドラへ向う階段の途中だった。あ、わたしお釣り取ったっけ?声に出しながら財布を開くと、あるはずの釣り銭がなかった。取り忘れたと慌てて振り返ると、すでに階段には何組かの客が並び、真後ろは父親と、小学四五年生くらいの男の子と、低学年の女の子の三人連れだった。
あの、すみません、お釣りありませんでしたか。父親は黙ったままかすかに笑った顔で、束ねて真ん中で折られた千円札を差し出した。ありがとうございます。礼を言いつつ折られた千円札を開き、数えてみると七枚だった。えーと、大人六〇〇円が三枚だから、えーと、お釣りは。口ごもるわたしのかわりに、あと千二百円ですね、とMが答えた。
わたしは父親を見つめたが、父親はもうこちらを見なかった。その横で、小さな女の子はうつむいたままだ。
なにも言わない父親のかわりに、口を開いたのは男の子だった。
これだけしかなかったよね。
からしぼり出すような声だった。
いいんです。七千円返ってきただけでもラッキーです。すみませんでした。
そもそも釣り銭を取り忘れたわたしが悪いのだ。休日の遊園地で、これから観覧車に乗る小さな子どもの前で、こんなやり取りは早く終わらせたかった。面倒に巻き込んだことに頭を下げ、そのまま後ろを振り向かなかった。
周ってきたゴンドラに三人で乗り込んだ。正面に見えると思い込んでいた仙台港は、観覧車がのぼるにつれ、左手にすぅっと現れた。周りを工場とコンクリートで囲まれた、長方形の茶色い海だった。
海、あっちじゃん。あのまままっすぐ歩いていたら、永遠に海に着かなかったね。
観覧車から降り、アウトレットパークのなかの寿司屋で折り詰めを買い、観覧車の上から見えた海沿いの公園に行った。丘のうえの芝生に座り、海を見ながら折り詰めを広げた。公園の下の岸壁には、釣り人たちが等間隔で並び、海に糸をたらしているのが見えた。
食べ終わったらバケツの中を見に行こうよ。釣り人のバケツの中を見るのって、なんであんなに楽しいんだろうね。
丘をくだって、バケツの中を端から見ていく。空のバケツ、空のバケツ、アジ、シャコ、空のバケツ。バケツの中をのぞきながらも、戻ってこなかった千二百円が頭にあった。なくなるにしてもいやに中途半端な金額ではないか。あのとき、観覧車の券売機はどんなだったっけ。大人が六〇〇円で、子どもはたしか三〇〇円か。
あのさぁ、観覧車のチケット、大人一枚と子ども二枚でちょうど千二百円なんだよね。
パズルがはまった気がして声に出た。
あぁ、そういうこと。
バケツをのぞきながら、どうでもよさそうにSが答えた。

新緑

サンシャイン通りユニクロに靴下を買いに行った帰り道。人ごみを避けグリーン大通りに出ようと、ひと昔前まで人生横丁があった裏道を抜けた。巣鴨プリズンの時代からあった人生横丁は、長屋のような二階建ての飲み屋が並ぶ味のある横丁だったが、いまは小さな碑をのこし、跡地には巨大なオフィスビルが建っている。
オフィスビルの周りにはぐるっと木が植えられ、ビルの裏手には人生横丁の碑とちょっとした広場があり、昼時に通ると近くのサラリーマンたちが、木陰で煙草を吸ったり珈琲を飲んだりしている。
その日は風の強い日で、そこにビル風も加わり、茂りだした新緑がぱらぱらぱらぱらとビルの周りに散っていた。がこん、さっさ、がこん、さっさ。音のするほうを見ると、清掃員がふたつきのちり取りを片手に、もう片手にほうきを持ち、ビルの周りに散る葉を掃いているところだった。
秋の落ち葉と違い、芽吹いたばかりの新緑は、まだ果てしないほど枝に茂り、春の落ち葉の清掃はまったく終わる気がしない。がこん、さっさ、がこん、さっさ。その終わらない葉を追いかけて、清掃員が一歩一歩、ゆっくり前に進んでいく。
永遠って、こういうものかしら。わたしは唐突に思いはじめる。終わらないもの、無限にあるもの、が永遠ではなく、果てしないほどあるように見えて、それでもいつか必ず終わりがくるものを、永遠と言うのじゃないかしら。果てしなく見えて、いつか終わりがくるのが永遠なら、わたしは死ぬまで永遠のなかで生きている。永遠のなかで一枚一枚葉を掃いて、一歩ずつ前に進むあの人は、あれはわたしではないかしら。