断片日記

断片と告知

江古田ブル会

昼過ぎ、古書往来座で瀬戸さん、王子と待ち合わせ。来年古本屋を開業する王子に付き添い、3人で不動産屋巡りをする。数年前にいくつかの不動産屋を回り南池袋で古書往来座を開業した瀬戸さんは、わめぞ近辺の不動産屋巡りの熟練者だ。顔見知りの不動産屋へ、こんにちは、と言いながらするっと入店し、僕なんかよりももっと才能のある若者が店を開くんですが、と必ず前置きし、王子の希望する条件を言っていく。瀬戸さん独自の不動産屋との駆け引きがすこぶる面白く、瀬戸さんの不思議な雰囲気に飲まれるように、この辺あまり物件ないのよね、と言いながらもあれもこれもと見せてくれる。不動産屋を3軒回り、教えてもらった物件を、散歩がてら缶ビール片手に見て歩く。図面だけでも面白いが、実際の建物を見て回るのはもっと面白い。雑居ビルの地下の飲み屋街の元バーだったところ、警察署の裏の一軒屋、何かの店だったらしき古い家。この場所なら大きな音が出せる、この場所だったら店と住居を兼ねられる、この場所だったらあの棚を活かして改装して、と見ているだけで夢が広がる。楽しいな、不動産屋巡りだけして一生を暮らしたい、と王子に話し笑われる。
夕方、サンシャイン60そばのバッティングセンターへ行く。こんな場所へ来たのは、学生の頃新宿で飲み、酔っ払って行った歌舞伎町のバッティングセンター以来か。1000円で4ゲーム。1ゲームで10球だか20球だかの球が飛んでくる。緑色のネットに囲まれた空間にひとり立ち、正面の電光掲示板に写る粗いドットのピッチャーを睨みながらバットを振る。90キロも、110キロも、130キロも打率が変わらないのはどうしてだ。半分空振り、そのまた半分バットに掠り、そして残りの半分打ち上げる。きれいに前に飛ばすことなんか出来やしない。2人はと見れば、瀬戸さんはどっしりと安定した構えで、王子は飄々とした構えで、2人ともすこーんと気持ちよく前に飛ばしている。瀬戸さんから素振り指南を受ける。体の重心を移動させながら腰を回して体全体を回して打つんです、と言われたその場ではなるほどと体も動くが、いざ飛んでくる球を見れば、腕だけが泳いでいく。
瀬戸さんと別れ、王子と2人、西武池袋線に乗り江古田へ向かう。約束の時間よりも早く着き、時間つぶしに江古田駅前の商店街を歩く。駅前から1本まっすぐ伸びた道の、八百屋の向いの要塞のようなコンクリートの塊は、元銭湯だ。今は道に面した壁をぶち抜きがらんとした空間の駐車場になっているが、正面奥の壁に大きな富士山のモザイク画が残されている。以前、酔っ払って江古田から雑司ヶ谷まで歩いたときに、ふと見た駐車場奥の暗闇の壁にこの富士山を見つけたときは、廃業した銭湯を見た悲しみよりも、こんな場所に富士山があるという驚きと喜びの感情に強く揺さぶられた。王子に見せて自慢する。すごいですね、と言われて秘密基地を誉められた子供のような気分になる。
約束の7時半に5分ほど遅れて、待ち合わせ場所の南口改札に行く。すでに来ていたブルゴーニュ婦人・ナベちゃんに連れられ、立石書店ブルゴーニュ岡島夫妻が足繁く通うバーへ行く。いろんな人から、美味いよ、と聞かされ、行きたい、連れていけ、と騒いだ結果、今日の江古田ブル会となった。地下にあるバーの店の広さいっぱいに、店をひと回りだけ小さくしたような大きなテーブルがひとつどかんと置かれている。そのでかいテーブルの角を陣取り、ブル夫妻、王子、武藤が座る。テーブルには生ハムやチーズが盛られたオードブルが並び、バーのママさんが、結婚2周年でしょ、とシャンパンを出してくれる。しまった結婚2周年か、何も用意をしてこなかった、と思ったものの、そんな思いはシャンパンの泡とともにすぐに飲み干す。居酒屋じゃないんだから、バーなんだからと勝手にしていた予測は、出てくる飯の美味さと量に覆される。何もかも私好みの大盛りではないか。ママさんも、厨房で料理を作るマスターも、いつ目が合ってもにこにこと笑っているのがとてもうれしい。11時頃まで話し食べ飲み、歩いて帰るとワガママを言う私を、そのワガママに付き合わされる王子を、ブル夫妻は大通りまで送ってくれる。お土産にマロンパイまで持たせてくれて。どんなにうれしくても、ただ、ありがとう、としか言えない言葉が不便で悲しい。