断片日記

断片と告知

いつからあるのかわからない

入るのに勇気がいる銭湯もある。池袋駅西口を出て要町通りを進み、右手に見えてくるデイリーヤマザキの手前の路地を右折する。高いビルに囲まれてはいるものの広い道のせいか抜けがいい要町通りの明るさと、路地を曲がった先の暗い色をした常緑樹に囲まれた古い銭湯との明度の差が、たぶん私を尻込みさせる。要町通りから1本入った狭い道が走るこの日が射さない1画は、その銭湯に通っているであろう人たちの住む古いアパートと、ラブホテルと、病院と潰れた飲食店とがみっちりとあり、さらに暗さを盛り上げる。
銭湯「新栄湯」の入り口には、京都の寺で見るような、大きな庭石が3つある。左右にひとつずつ、そして真ん中にひとつ。立派な庭石のある銭湯はままあるが、それは脱衣所に面した庭にあるのが普通であり、銭湯の入り口の前に置かれた庭石というのはここでしか見たことがない。石も建物も大層立派だがあまりにも古く、古色蒼然、という言葉が頭に浮かぶ。入り口に暖簾は下がっていなかったように思う。剥き出しの玄関で、なぜか格天井で、左右に下足箱があり、正面にポリバケツの傘入れと、銭湯の冊子「1010」が入るラックが、無雑作に置かれている。右手が女湯。引き戸を開けると番台があり、生活感漂う広い脱衣所が目の前に広がる。番台の前の、男湯と女湯の仕切りの壁には大きな鏡がはまり、その上には近くにあったであろう古い商店の電光看板がいくつか並び、鏡の一番端には木製の扉の古いロッカーが何かの荷物に埋もれるようにして少しだけ見えている。男湯と女湯の真中正面の壁には、巨大な亀の剥製が飾られ、行ったこともないどこか田舎の旅館のようだと思う。格天井から、蛍光灯と、回っていない大きな扇風機がぶる下がる。蛍光灯の光は蛍光灯より下の脱衣所を照らすが、蛍光灯より上の天井と壁には光が届かず、暗い中にぼんやりと天井近くの明かり取りの窓を浮かびあがらせる。島ロッカーがふたつ、鏡とは逆側の壁沿いにもロッカーの列があり、その多さから、この銭湯の最盛期の賑わいを想像する。ベビーベッドも、洗い場の入り口左右に3つずつ、計6人分ある。脱衣所に面した庭には大きな池が見えるが、いないからか暗いからか魚の姿は見えない。庭の池以外の場所には何かしらの荷物が置かれ、外に出て池を眺めることをやんわりと拒否させる。脱衣所には、田舎の駅にあるような木製のごついベンチ、洗濯機、壊れた髪を乾かす椅子、古い体重計と、それらの空間の隙間を埋めるように、この家の生活感漂う何かが、もう片付けるのは無理だと言わんばかりに置かれている。東京の銭湯というよりは、どこか東北の、雪深い町の古い銭湯に来たようだ、と思う。
洗い場の手前、入り口右横には、白いタイルで囲まれた洗面台があるが、位置がだいぶ低く、私の膝頭の辺りに蛇口が取り付けられている。この蛇口で手を洗うには、折るようにして腰を曲げるか、洗面台の前に座るかしかない。洗い場に入る。タイル、浴槽は改装され、外観と脱衣所の古さを見た後では、洗い場だけ妙に新しく見える。島カランは2列あるが、片面3つずつしかカランが付いていない。壁沿いのカランの列を見ても、カランとカランの間が広く、1人分のスペースがゆったりとしている。シャワーは壁沿いのカランにしかついていない。男湯と女湯の間の壁には、浦島太郎、花咲じじい、桃太郎、のタイル絵が3つある。正面の壁は女湯にしては珍しく富士山のペンキ絵で、左下に白ペンキで、西伊豆、と描かれている。ペンキ絵の下には浴槽がふたつ、深め小さめのものと、浅め広めのもの、がある。どちらの湯もそこそこ熱く、壁の温度計は46度をさしている。洗い場を改装したときに湯船のサイズを小さくしたのか、深め小さめの湯船と、奥に通じる扉の間に、2メートルくらいの何もないぼんやりとした空間がある。
湯から出て体を拭く。脱衣所の足元にはヒーターが2台置かれ、隙間風もなく室内は暖かい。パラパラと常に2〜3人の常連さんが入ってきては、体を洗ってさっと出て行く。銭湯遍路の判子をもらいに番台に行く。番台に座るおじいさんに、この銭湯はいつからあるのか、と尋ねる。ここで働いているわけじゃないからわからない、と番台で働くその人に、あっさり言われる。
追記:洗い場の桶の数も少なかったが、椅子の数はもっと少なかった。3つしかない椅子を使うのもどうかと思い、タイルの床にぺたりと尻を落とした。冷たく固いタイルの質感が、どこか懐かしかった。

新栄湯
(銭湯マップ番号 18)
天井高く、広々しています
東京都豊島区池袋2−21−1
03-3971-1883
営業時間 16:00〜23:00
定休日 月曜
(26日は営業)