断片日記

断片と告知

詩、ってなに?前夜

三月の晩、平田俊子さんと新宿の花園神社で待ち合わせ、神社の裏手の平田さん行きつけの店に飲みに行った。穴の空いた階段をのぼった二階、右手に5〜6人腰掛けたらいっぱいのカウンターと、左手に小部屋と便所がある店だった。壁の換気扇のしたに寺山修司のお面がかかり、お面のしたのカウンターの端に女と男が寄り添っている。この街よりも銀座が似合いそうな女と、そうした女を口説ける男の余裕が、穴やシミの多いこの店から少し浮いていた。奥の小部屋の集まりは句会だそうで、それもそろそろお開きの、つまみののった皿が小部屋に運ばれていく。浮いた男とつまみにはさまれたカウンターに平田さんと腰掛ける。
詩を一編書いて欲しい。平田さんからのメールに気がついたのは昨晩のことだ。以前使っていたアドレス宛てにきていたメールに気づかずに、5日近くも放ってしまった。あわてて返すと夜中にも関わらずすぐにことばが返ってきた。明日(日付が変わっているので今日ですが)。詩の話もしたいのでゴールデン街で飲みましょう。花園神社の本殿前に8時頃集合でいかがですか?
はじめはビール。おかわりもビール。その後ずっと、平田さんのボトルキープの焼酎とウィスキーを割って飲む。
どんどん飲んで。何ヶ月も残ってると格好悪いから。
酒がそう得意ではないという平田さんのことばを真に受けて、ラベルに書かれた数ヶ月前の日付を見ながら空けていく。
詩を書いたことがない、詩なんかわからない、歌詞とどう違うかもわからない。ボトルが空くにつれ、わたしは面倒な人になっていく。おそらくわたしのために選んでくれた詩を抜粋したコピーの束を前にして、平田さんはひとつひとつ、わたしの面倒に付き合ってくれる。林芙美子山之口獏、松井啓子、三木卓茨木のり子尾崎翠ローランサン。貧しさを題材にした詩により目が向くのは、昔もいまも財布の軽いわたしのひがみか。詩を書いてくれと言った平田さんに、ブログが好きだからと言ってくれた平田さんに、詩人とふたりゴールデン街で飲んでいる自分に、わたしはみっともないくらい浮かれている。ひとの酒に寄りかかり、隣りの詩人に甘えている。
書いた詩の、はじめの三行と最後の三行を削ってみたら。
ことばと連れ添ってきた人はあっさりすごいことを言う。以前、新聞で読んだ八代亜紀のことばを思い出す。
「『悲しいね』と笑いながら歌うと心に染みる。『楽しいね』と悲しそうに口ずさむと、グッとくる。銀座のクラブで歌っていた10代のとき、ホステスのお姉さんたちが泣きながら聴く姿を見て、そんな歌の心を知りました。」
花園神社の裏手で平田さんと別れ、わたしは明治通り雑司ヶ谷まで歩いて帰る。どこかで買った缶チューハイを手に持って、知人に電話をかけながら。
すごいことを聞いちゃった。はじめの三行と最後の三行を削れって。詩の秘密を聞いちゃった。
それらしきものが書けたのは、はじめに言われた締め切りから1ヶ月も過ぎた頃だった。はじめの三行と最後の三行を削ってみても、わたしのことばでは詩にはならない。向き合ってきたことばの量も時間も桁違いなことを、寄りかかり甘えてないことにした。悲しい歌を笑いながら歌うことの難しさ、長年やってきた人たちが簡単に言うことばの困難さは、自分の手を動かしてみるまでわからなかった。
そうして書いたそれらしきものを、平田俊子さん編集の『詩、ってなに?』(小学館)に載せてもらった。すでにある詩とその解き方のような本が多いなか、『詩、ってなに?』は平田さんが一緒になって面倒に付き合ってくれる、あの晩のゴールデン街のような本だ。あの晩もらったコピーの束にも、この本にも、平田さんが作ってきた詩は載っていない。
「答えはまだ見つからないし、これからも見つかるはずはないのです。詩ってなんだろうと自分に問いながら、これからも詩を書いていくしかないのです。」
詩、ってなに?あの晩、カウンターの横に腰掛けていた、平田さんの三行の時間を思う。

コ・ト・バ・を・ア・ソ・ベ!Vol.2
『詩、ってなに?』
編/平田俊子
小学館
https://www.shogakukan.co.jp/books/09104216