断片日記

断片と告知

近くて遠い金沢と

いつもはひとりでビジネスホテル泊まりだが、今回の金沢行きは友人が一棟貸しの宿を探してくれた。東山茶屋街のそばの、古い長屋を改装した宿だ。1階には、みなで食事ができる大きなテーブルと椅子、小さいが煮炊きのできる台所、洗濯機乾燥機がついた風呂場、奥の部屋にはベッドがふたつ、2階にもベッドが4つと、一通りのものが揃っていて旅先でも「生活」ができる。沖縄からひとり、東京から4人、合わせて5人、この宿で4日間を過ごす。先に荷物を降ろして東山を散策してから戻ると、沖縄から着いた宇田さんが、おかえりなさい、と玄関の戸を開けてくれた。

宿から一番近い銭湯は浅野川大橋のたもとにある「くわな湯」だ。川沿いと路地からと入り口がふたつある。ガラスの引き戸を開けると玄関があり、入浴券の販売機を正面に、右手が男湯、左手に女湯の暖簾がさがる。暖簾をくぐると右手に番台、販売機が壊れていたので420円を払う。入るとまず正面の大きな本棚が目に入る。左手のアイスが入った冷凍庫の横にも本棚がある。並んでいるのは、石田衣良恩田陸伊坂幸太郎村上春樹スラムダンク宇宙兄弟など、人気作家の新しめの本がきれいな背表紙を見せている。ノートが1冊本棚に置かれ、めくってみると、書名、日付、名前、が書かれ、どうやら貸本ノートのようだ。本棚が置いてある銭湯はまま見るが、たいていよれた雑誌か、抜けた巻の漫画が並ぶかで、こうした生きた大きな本棚がふたつも、しかも貸し出ししているのははじめて見た。

洗い場は、島カランが真ん中に一列。左手の壁沿いにサウナと水風呂、とカランが奥の壁まで続く。右手の男湯との境の壁に奥から、座ジェット、泡、薬湯、と湯船が三つくっついている。奥にいくほど湯は熱くなる。サウナの入り口の上に、洗い場に向かってテレビが一台置かれている。音は出ているのかいないのか、風呂につかってぼやけた映像を眺める。洗い場入ってすぐ右手に男湯と行き来のできる戸があるが、その上に固定シャワーがふたつ並んでついている。ひとつが水、もうひとつはお湯が出る。その横には円筒形のシャワーブース。中に入って蛇口を開くと360度から湯が噴き出る仕組みだが、壊れてまともに湯が出ない。この円筒シャワーはよそでも見るが、どこもきちんと湯が出たためしがない。

体をふいて脱衣所へ。本棚の裏にくっついて島ロッカー、その上に「くわな湯」の模型がどーんとのっている。湯上がりには冷えたビールをぐっとやりたいが、冷蔵庫はあっても缶ビールは売っていない。昨年からの金沢通いで行った銭湯、あわづ湯、れもん湯、石引温泉亀の湯、みろく温泉元湯、松の湯、瓢箪湯、梅の湯、こぼし湯、どの銭湯でも缶ビールも缶酎ハイも見なかった。駐車場のある銭湯が多く、車で来る人が多いからかもしれない。ホテルの上にある「天空の湯」だけは、ロビーの端に缶ビールの自販機が置いてあったが、故障中と書かれた紙が貼られていた。

人よりよぶんに酒を飲むくせに便所も近いので、わたしだけ便所に近い1階のベッドで寝る。2回か3回、尿意で起きる。朝は誰かが2階から降りてくる音で目が覚める。

11月30日トークショーの朝、昨晩エムザのアンデルセンで買ったパンを食い、宇田さんと先に宿を出る。浅野川大橋を越えてまっすぐ、味噌蔵町をくいくいと曲がり、金沢城兼六園の間を抜けていく。信号の横についた道路標識を見て、縦書きですね、と宇田さんが言う。言われてみれば、縦長紺地の標識に白抜きの文字で味噌蔵町とある。沖縄は横書き、東京はどうだったか。

21世紀美術館横の用水沿いを歩き、片町のほうまで。金沢の街はいたるところに用水が流れ、家の前にも流れているので、私有橋と呼ばれる小さな橋が、家と道とをつないでいる。植木鉢がのっていたり、駐車場を兼ねていたり、形も素材もまちまちなので見飽きない。宇田さんが私有橋の写真を撮る。宇田さんは昨晩も、近江町市場にかかるアーケードを何枚も何枚も撮っていた。沖縄の宇田さんの店の前、牧志第一公設市場の建て替えとともに、店と市場にかかるアーケードも建て替えになる。宇田さんのカメラは城とか紅葉とかには向かない。宇田さんのカメラが、わたしが見せたかった小さな橋に向かう。

犀川大橋を越え、交番を右折、すぐに犀星が子どものころ住んでいた寺・雨宝院がある。ここから、犀星の生家のあとに建てられた室生犀星記念館は、目と鼻の先だ。『杏っ子』を読んだあとに金沢を歩くと、寺と生家があまりにも近いことに驚く。犀星の容赦のない描写で知る育ての母の行いと、産みの母の生きる場所が、せめてもう少しだけ離れていて欲しかった。

室生犀星記念館で室生洲々子さんとトークの打ち合せ。打ち合せのあと、近くの「中華の白菊チュ〜」へ行く。白菊はこのあたりの地名で、みんな白チュ〜と呼んでいる。あんかけ焼きそばがうまいと洲々子さんに教えてもらったが、寒かったので温かい汁物をと、あんかけラーメンを食べる。宇田さんは、ご飯を食べないと力が出ない、と昼セットのラーメンと炒飯。チュ〜は中華のチュウだと思っていたが、タダシさんがはじめたからだと教えてもらう。タダシさんがはじめたチュ〜は金沢の街のあちこちにあるようで、昨晩パンを買ったエムザの中にも町名のつかない「中華のチュ〜」が入っていた。

洲々子さんと宇田さんとの3人でのトークショーは大入り満員。幅広い層の人たちが来てくれたと喜んでいただけたが、人前で話すことは何度やってもやれた気がまったくしない。たどたどしくとも誠実にと試みるが、はじまったとたん脳がぴゅーっと滑っていく。打ち合せと展示の搬入とで何度も来ている金沢で、洲々子さんと龜鳴屋の勝井さんと夜はたいてい飲みに行く。酒とともに洲々子さんから聞く室生家のこぼれ話が好きなので、その片鱗は、トークショーに来ていただいた方にも味わっていただけた気がする。沖縄から来た宇田さんは、沖縄の詩人・山之口貘と犀星が似ていると話す。文法が、文章がちょっとおかしくとも、それよりもっと書きたいことがあるふたりだと、そうしたところがアイドルなんですと話す。わたしは『をみなごのための室生家の料理集』と『犀星スタイル』の挿絵で触れるまで、犀星をまともに読んでこなかった。詩、小説、随筆、どれも幅広く膨大で、何から読んでいいのかわからない作家のひとりだった。挿絵を描くにあたり、洲々子さんからいただいた資料は、洲々子さんがおこした室生家のふだんの味のレシピで、犀星を読むより先に、わたしは台所の勝手口から室生家に入れてもらった。勝手口から入った室生家は、写真で見ていた犀星の渋さからは真逆の、寝室の戸まで開け放している赤裸々さで、その驚きを話そうとマイクを持ったとたん、脳がぴゅーっと滑っていった。

 トーク終わりのサイン会で、Oさんから『ふるさとのかぜ』第130号という冊子をいただく。Oさんは「父ちゃん、沈んだ、沈んでる」という文章を冊子に寄せている。父親と銭湯に行った子どもが、八百屋のおじさんが湯船で溺れているのを見て、助けようとして一緒に溺れてしまう話だ。これ「野町湯」です、とOさんが言う。取材に来てくださったAさんは大学が金沢で、入学してすぐ金沢市内の銭湯リストを大学から配られたいう。入学した90年代はじめには金沢市内に70以上銭湯がありましたよ、と教えてくれる。寮の風呂が週3日だったから、すぐ裏手の「野町湯」に行っていたんです。

「野町湯」は、北陸鉄道石川線野町駅を出てすぐ左手にある銭湯だが、いまはもう廃業している。わたしがはじめて金沢に行った2011年3月はじめにはまだやっていた。銭湯というより古い旅館のような木造の佇まいで、中に入ると脱衣所の流しも、洗い場も凝った美しいタイルが貼られていた。廃業したいまも建物は残り、裏手に回ると表とは違う、古いレンガ造りの壁と煙突が見える。外に面して一部タイル貼りの壁も見える。

そういえば、宿から一番近いスーパーに行く途中には「梅の湯」があり、前を通るとしばらくお休みしますの貼り紙が。龜鳴屋の勝井さんに伝えると、えっ、と驚く。「梅の湯」は、だいぶ昔、勝井さんが長屋住まいをしていたころ、通っていた銭湯だ。昨年だったか、勝井さんに連れられ入りにいった。1階が駐車場で2階が銭湯。階段をあがると温室のように植木が並び、女湯の入り口のガラス戸には「ご婦人」だったかの文字があり、銭湯というよりパーマ屋の入り口のようなしゃれた様子だった。脱衣所にはストーブが出ていたので、まだ寒い時期だったのか。帰るときに番台の女将さんに、また来なっし、と言われていたのにそのままになっている。

トークの翌日は、勝井さんちを訪ねたり、回転寿しに行ったり、活版の尚榮堂さんで試し刷りをさせてもらったり。夜はわたしたちの宿で、室生犀星記念館の洲々子さんSさんOさん、勝井さんご夫妻と、総勢10名で鍋を囲んだ。エムザで買ったタラとホウボウを鍋で煮る。差し入れでいただいた日本酒とワインと白菜とチーズとかぶら漬け。金沢では正月に食べるという、福梅と辻占という和菓子。

最後の朝は、米を炊いてスーパーで買った納豆をかけて食う。ホットプレートも炊飯器もあるのに、なぜかご飯茶碗が見あたらない。ケーキをのせるような小さな平皿に盛られた納豆飯が、ぼろぼろ箸から逃げていく。余った米を4人で分ける。紙コップに一杯ずつ米をすくってポリ袋に入れていく。配給、疎開、ということばが浮かび雨の朝がより暗い。

バスで金沢駅まで出て、宇田さんは小松から飛行機で帰る。帰りに小松駅そばのアーケード商店街を見て行くという。金沢にいた4日間でおでんを3回食べた。金沢のおでんで一番好きな具は、出汁がしみたくるま麩だ。沖縄ではおでんもくるま麩も食べるのに、おでんの具にくるま麩は入れません、と宇田さんが教えてくれる。東京のおでんでもくるま麩は見ない。沖縄まで飛行機でたった2時間、東京も新幹線で2時間半だが、くるま麩とおでんが出会うには遠いらしい。

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 金沢の室生犀星記念館で行われている「犀星スタイル 武藤良子原画展」は、2020年3月まで続きます。展示会場で配布されている出品目録に、「勝手口から」という短い文章を寄せました。ぜひお持ち帰りください。展示グッズ、絵葉書も、1階の売店で販売中です。ご来場おまちしております。

室生犀星記念館

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