断片日記

断片と告知

早稲田とわたし、もしくは下宿屋のまご

アトリエで絵を描く。早稲田の町の絵。
私にとって早稲田ってなんだろう。小さい頃、母によく連れて行かれた乾物屋さんのある町。父が働いていた会社のある町。都電の終点。早稲田大学
中学生の時に家を建て直した。それまではモルタル木造2階建ての味のあるボロ屋。ボロいけれど広さはあって、2階を下宿として貸し出していた。木の階段を上っていくと暗い廊下があって、左側に4畳半の部屋が4つか5つ、奥に6畳の部屋が1つ、共同便所が1つ、共同流し場が1つ。賄いはないけれど、掃除洗濯付き。洗濯ものがある時は廊下側のドアノブに紙袋に入れてぶらさげておく。下宿をしていたのは祖母。まだ元気だった祖母は、家の裏でもりもりと洗濯をし、新聞紙を濡らしたものをちぎって廊下にばら撒き、ほうきで掃き、隅から隅までピカピカにしていた。家賃は1ヶ月2万5千円くらいだったか。下宿は男子専用で、近所の学習院、立教、早稲田の学生が多かった。特に募集もしていなかったと思うけれど、口コミなのかいつもほぼ満室だった。あまり口うるさくない大家のせいかもしれない。部屋に鍵をかけるような人もなく、小さかった私は留守の部屋を探検したり、冷たい廊下でごろごろしたりしていた。お正月、風邪がひどくて帰省できなくなった学生さんの部屋にお節と熱燗をもっていったこともある。あれは司法浪人していた早稲田の学生さんではなかったか。家を建て直し下宿をやめた今も同じところに住んでいるからか、昔下宿していた人が訪ねてくれる時がある。その人にとっての青春の場所の1つなのかと思うとすこしうれしい。
古書現世の向井さんに早稲田の絵を見せ、夕飯とビールをご馳走になりながら話していたら、思い出した話。学生さんがとても大人に見えて、私が子供だった頃の話。