断片日記

断片と告知

わしゃ、今が花よ

池袋から電車に乗って北浦和へ。電車に乗っているときの楽しみは、車窓から見える町並みだ。古い家、古いアパート、その屋根の上にのる物干し台、銭湯の煙突、土手のある大きな川、そんなものが見えるととてもうれしい。
北浦和埼玉県立近代美術館で「丸木スマ展−樹・花・生きものを謳う−」を見る。もう1度見に来れて本当に良かった。1度目では見逃していたものも、2度見ることによって気づいたりする。そして何度見てもやっぱりいいな、と思う。会場の壁に、スマさんの言葉や、丸木俊さんの言葉が張られている。それがとてもおもしろいので、忘れないように書いておく。
「わたしの心を通った動物や花は、そつくりとまではいかなくても、どうやらわたしの感じたものに似てきます。」
(八十の手習ひ・芸術新潮1952年11月号)
「わしも、あんたたちのように、むこうとそっくりにやってみようと思うが、うまいぐわいにはいかんのう、わしはわし流にやるより仕方がない。」
(丸木スマ画集・花と人と生きものたち)
「『見てくれや』と、いって分厚い画用紙をおばあちゃんは持ってきました。『これ、犬?』『魚じゃよ』思わずみんな笑いました。『これ、虎とヒョウ?』『猫じゃよ』孫も嫁も集まってきました。おばあちゃんは、自分でも大声をあげて、『おかしかろうがの』と、笑います。」
(丸木スマ画集・花と人と生きものたち)
「目が見えんようになったら、手さぐりで描きます。絵を描きはなえてから、面白うての。こりゃ、まだまだ死なりゃせん思うて。わしゃ、今が花よ。」
(丸木スマ画集・花と人と生きものたち)
スマさんの絵の輪郭は、線ではなく、点々で描かれているものが多い。壁の解説には「字を書かなかったため、筆でどのように線を引いたらいいかわからなかったのかもしれません」と書かれている。その点々の輪郭が、絵に独特のリズムを与えている。スマさんの個展の手描きのポスター。点々で輪郭が描かれた赤いにわとりが3羽と、手書きのヨボヨボの文字がとても素敵だ。いつか私も、こんな個展のポスターやDMを作ってみたい。
北浦和から電車に乗り、川口へ。車窓から見えた荒川の土手を歩いてみたくなったからだ。川口駅から線路沿いを歩くと土手が見えてくる。土手の上に上がると、一面の緑、大きな柳の木、その向こうに濁った茶色い荒川が見える。頭の上には、入道雲と鱗雲の、夏と秋の混じった空が広がっている。耳元で、風がゴウゴウと鳴っている。久しぶりの晴れなので、あの荒川に架かる橋を渡って、赤羽まで歩いてみよう。
土手の向こうに見えるのは新荒川大橋。そんなに遠くなく見えるけれど、歩いても歩いてもなかなか近づいてこない。広い景色の中で、大きな建造物を目指して歩くと、なかなか近づかないの法則だなこれは、と途中で気づくものの、もう引き返すのも嫌なのでそのまま歩く。土手沿いに、錆び色に染まる工場がいくつか見えてくる。これはもしかしてと近づくと、鋳造とか、鋳工とか、いう看板が見える。これが、あの、キューポラのある町・川口、というやつなのか。1番古そうな錆び色の工場は、トタンか何かで周りを囲まれているものの、その足元を見ると、土台は古いレンガで出来ている。こういうことに気づくのも、間近で見られるのも、歩くことの楽しさの1つだ。いくつかの工場の前を通り過ぎると、いきなりさっきまで遠くに見えた新荒川大橋の袂に出た。橋の袂に立つと解る。長い長い橋だ。自転車で通り過ぎていく人ばかりで、歩いて渡っている人は皆無だ。川下の上空には、ラピュタに出てきそうな大きな雲が陽の光を浴びて真っ白に光っている。その雲と、赤い水門と、連日の雨で濁っている荒川を見ながら、ゆっくりと橋を渡る。
赤羽の町を歩く。駅前の繁華街の中に迷い込む。シルクロード街、明店街、OK横丁と、小さな飲み屋が軒を連ね、おじさん達がその店からあふれるようにして飲んでいる。楽しそうだ。いい町だ。こんな町に住みたい。そんなことを思いながら、駅前の不動産屋の不動産チラシを見る。引越しするあてもないのに、真剣に見てしまうのは、赤羽が自分好みのいい町だからだ。電車に乗っていると自由の女神の変な銅像しか見えないので、赤羽という町を誤解をしていた。今度は1日かけて、赤羽の町を歩き尽くそうと思う。
書くのを忘れていたことを1つ。荒川を越えて赤羽の繁華街に行く途中、ビルの壁面に谷内六郎のモザイク画があった。谷内さんのモザイク画としては、表参道の書店が有名だけれど、こんなところにもあったのか。ビルの正面に周ると「金竜堂書店」と看板がついてはいるが、シャッターが閉まっている。休みなのか、潰れたのか、よくわからない。海沿いの砂丘を犬と散歩する女の子のモザイク画。表参道のよりも、こっちの絵のほうが好きだ。このビルが取り壊されないことを祈る。