断片日記

断片と告知

芦花公園

京王線に乗り芦花公園駅で降りる。芦花公園駅は、新宿からいくつ目かの、各駅しかとまらない小さな駅だ。駅周辺も、駅から世田谷文学館までの道のりも、つるつるとした道と家が続くだけで面白みがない。静かな町で住むにはいいが、世田谷文学館がなければわざわざ訪ねる町でもない。文学館の手前には古くて立派な日本家屋が建っていたが、今日見ると影も形もなく、更地をフェンスが覆い、どうやら老人ホームになるらしい。文学館はどこにでもある行政的建物なので、手前の日本家屋を見て文学館らしさを満喫していたが、それもどうやらお終いらしい。
世田谷文学館で「堀内誠一 旅と絵本とデザインと」を見る。図案家だった父親の話から、14歳で伊勢丹に入社し、雑誌の編集とデザイン、絵本、旅のエッセイ、を手がけるまでが解りやすく展示してある。堀内誠一のデザインは、20〜30年経った今も色あせず見ることができるが、発表された頃、その時代の人たちはどういう目でこれを見ていたのかが気になる。今見て格好いいと思うものは、その時代に見ても格好いいものだろうか。雑誌「anan」のタイトルが公募で決められたこと、平仮名の最初の文字と最後の文字をくっつけて「anan」にしたこと、応募したのは秋田の男子高校生16歳(当時)だったことなど、小さな発見も楽しい。
歩き足りなかった。駅まで戻り踏み切りの向こうを見ると、小さな商店街があるのに気がついた。駅周辺に何もないと思ったのは間違いで、文学館とは逆側に町は広がっていた。焼き鳥屋があって、カレー屋があって、パーマと書かれた美容室があって、どの店も古くから営業しているようだった。
小さな商店街を抜けると旧甲州街道に出た。そのまましばらく歩くと甲州街道にぶつかった。右手に京王線の高架を見ながら、新宿に向かって歩いて行く。どこまで歩いても甲州街道はつるつるな道で、目にも脳みそにも引っかかるものが何もない。諦めて、右手の路地を京王線の高架に向かって歩いていく。高架をくぐると目の前は緑に囲まれた何かの施設で、どうやら建て替え工事中らしい。工事の看板を何気なく見ると、都立松沢病院、とあり、これがあの松沢病院か、こんなところにあったのか、と塀の外にしばらく佇む。たまたま曲がった路地の行き止まりが松沢病院というのは、なにかの暗示ではなく、ただの偶然。