断片日記

断片と告知

板橋に牧場があった頃

池袋の北口にある六ツ又ロータリー、その六ツ又のうちのひとつ明治通り飛鳥山方面に向かって歩く。大正大学の手前、道路標示に堀割とある小さな十字路を左折する。住宅街の中の、右手の路地の奥に見える煙突に向かって歩けば、銭湯「稲荷湯」がある。見た瞬間、細い路地の奥にあるとは思えない威風堂々さに驚く。千鳥破風と呼ばれる三角の、何層にも重なる瓦屋根が美しい。稲荷湯と染め抜かれた小さな暖簾をくぐり玄関に入る。両脇に下足箱があるのは普通だが、むやみに広い。正面の番台手前のスペースは、入り口の目隠しのためか「八」の字型に曲線を描き、白いタイルが貼られ、目線の高さには鏡がはまっている。左手が女湯。木の引き戸を開け脱衣所に入る。奥行きはそうでもないが横幅が広い。その横幅に合わせて庭があり、庭のほとんどが金魚と鯉の泳ぐ池になっている。上を見ると、今まで見たどの銭湯よりも、格天井が黒光りしている。洗い場に入る。脱衣所と同じく横幅が広く、島カランが2列ある。湯船もそれに合わせて、かなり横に大きめ浅め、と小さめ深め、の2つある。大きめ浅めの湯船には、泡風呂と、簡易ジェットもついている。正面のペンキ絵は、小さな島がいくつか浮かぶ海の絵で、絵の端に白いペンキで、南紀・白浜、と描かれている。遠くの海に小さなヨットが浮かんでいるのは普通だが、手前の海に高速遊覧船のような船が描かれ、その胴体に小さく、いなり丸、とあるのが面白い。右手には山道を走るバスも描かれ、ヨット以外の人工物が描かれることが少ないペンキ絵で、高速船とバス、と2つも描かれているのがかなり珍しい。天井を見ると、蛍光灯が三本横に繋がったものが2列ぶら下がっている。電灯の笠は水色に塗られ、端が植物の蔓のようにくるりと曲がり、同じく水色に塗られた天井から吊るす鎖もレースのように繊細な造作で、見上げたまましばらく目が離せなくなる。木の桶も珍しく、湯を入れるとずしりと重くなるその手ごたえが、いいなと思う。
脱衣所で体を拭きながら、常連さんたちの会話を耳にする。年とっちゃっていやだよ、ほんとに、と嘆く2人に、飛び越えたわけじゃないんだから、若い時もいい時もたくさんあったんだから、と優しい横槍が入る。言われたおば様たちは、そうね、それを思い出して生きていくわ、と小さく笑いながらぽつんと返す。
番台で、銭湯遍路の判子を押してもらう。番台に座る女将さんに、深いほうの湯船に入ってたけど熱くなかった、と聞かれる。大丈夫ですと答えながら、この稲荷湯の話を少し聞く。この場所で銭湯をはじめたのは大正4年か5年かで、今の建物になったのは昭和5年。すぐそばに牧場があって、そこは焼けちゃったんだけど、風向きが変わってね、この辺は焼け残ったのよ、とついこないだの話のように戦火から逃れた話を聞く。
稲荷湯