断片日記

断片と告知

鶴の湯

行きは時間を気にして電車で向い、用事を済ませた帰り道は時間を気にすることなく歩いて帰る。原宿から雑司ヶ谷まで、そんな風にして歩くことが多い。大通り沿いよりも、1本か2本裏道の、人も車も少ない道を選んで歩く。このあたりは、どの駅からも離れた中途半端な住宅街の中にまで、小さな店がぽつぽつとある。駅前に派手な看板を出す店よりも、昔からある商店街の片隅の小さな店に惹かれるが、そんな店の暖簾をくぐるのには勇気がいる。この店を知る誰かが連れて行ってくれればいいのにと、感じのいい小さな暖簾を見るたびに、見ず知らずの誰かを思う。
原宿から代々木の間、明治通りと首都高のぶつかる交差点の手前、国立能楽堂のそばに銭湯「鶴の湯」はある。前を通るたびに破風造りの屋根の下の模様、さかさくらげ、の温泉マークが気になっていた。銭湯の暖簾の奥ならば、常連の誰かに連れていってもらわなくとも、ひとりで飛び込んでいけるのがうれしい。
鶴の湯、と染め抜かれた暖簾をくぐる。暖簾の右端に男湯、左端に女湯と、やはり染め抜かれているのが珍しい。左手の女湯の引き戸を開ける。番台がある。黒光りする格天井がある。天井からは大きな羽の扇風機と蛍光灯が下がっている。鍵付きロッカーとは別に、脱衣籠もまだ現役で使われている。脱衣所に面した庭には洗濯機が3台置かれ、壁と屋根を波状の塩ビで覆われた女湯専用のコインランドリーとして使われている。男湯と女湯の間の太い柱には、古くて大きな柱時計がかけられている。
洗い場に入る。正面の壁のペンキ絵は、どこかの海と島の図で、その下の湯船は、浅め広めと、深め小さめのふたつ。広いほうの湯船にはいくつかのジェットと、いろんな成分の石を練りこんだ岩盤が端に埋め込まれている。広めの湯船の一部と、小さめの湯船の中全面に、丸い藍色のタイルが使われているのが珍しい。ところどころ剥げ落ちて直したあとに、微妙に色の違うタイルが貼られているところも愛嬌がある。男湯と女湯の間の壁には、小さなタイルのモザイク画で熱帯魚が描かれている。
原宿駅周辺の若い人たちの雑踏が嘘のように、この銭湯の中にいるのは年を経た女ばかりだ。同じ町とは思えない。原宿から歩いて行ける距離に、破風造りの、番台の、ペンキ絵の、銭湯が残っている。

鶴の湯
(銭湯マップ番号 12)
清潔で少し熱めの湯と古くてシンプルな浴場です
東京都渋谷区千駄ケ谷4−16−4
03-3402-5808
営業時間 15:30〜23:30
定休日 月曜
鶴の湯