断片日記

断片と告知

青秋部はすてき

葉桜の谷中霊園を通り抜け、カヤバ珈琲の横、言問通りを下る。下った先の不忍通りを右折し、何本目かの路地を左折する。近くの根津神社つつじ祭りのせいか、週末の谷根千はいつもこうなのか、道に溢れる老若男女をかき分けて、根津教会へと急ぐ。気持ちよく晴れた今日5月5日は、不忍ブックストリートの「秋も一箱古本市」を運営する青秋部のふたり、石井君と中村さんの結婚式だ。
12時からはじまる式の数分前に根津教会にたどり着く。受付にいる古書ほうろうさんたちと、参列する人たちの正装を見て、気軽な服装でお越しください、と書かれた招待状の言葉そのまま受け取った、ジーパンとサンダル履きのおのれの姿が恥ずかしい。受付を済ませひとりいじけていれば電話がなる。出てみればナンダロウさんからで、いつもと違う根津教会の入り口がわからないと、入っていく人たちがみなちゃんとした格好の人ばかりなのでここでいいのかと、朝から散々普段着で来いと言っていた同じ人間とは思えない、ミスター一箱古本市の小心ぶりに思わず笑う。その癖に、背中に白い洗剤の粉がこびりついたままの上着を羽織る姿を見た瞬間、同類が現われたとほっとする。
改装されたばかりだという根津教会の中をぐるりと見渡す。梁の部分のアーチ型の補強や照明、天井や階段が美しい。古い部分を活かしながら、新しく付け足された部分もよく馴染み、改装前を知らなければ、建設された大正8年からこの姿だったのではと思うほど、雰囲気を壊さない違和感のない仕上がりがうれしい。石井君と中村さんの式が、改装後初の根津教会での結婚式となる。
美しい花嫁は階段の上から父親に手をひかれて新郎のもとへ、そして隣りに並ぶ。聖書の言葉、賛美歌が印刷された小冊子を片手に、式がはじまる。歌う機会のない賛美歌を、楽譜が載っているとはいえ歌えるのかとの心配は、オルガンから流れ出した賛美歌を聞いた途端、子どものころクリスマスの歌だと、どこかの国の民謡だと思いながら、口ずさんでいた曲だとわかる。賛美歌を歌うというよりは、懐かしい童謡を久しぶりに歌うというこの気分。
結婚式場に併設された教会ではなく、きちんとした教会での式にはじめて参列する私は、何を見ても何を聞いても珍しく、そして楽しい。聖書朗読、祈祷、式辞、誓約、宣言、賛美、と見慣れない言葉に戸惑うが、三井物産を早期退職して牧師になったという人の言葉は思いのほか面白く、賛美歌は懐かしく、飽きる間もなく式は進む。
今から後、
幸いな時も災いに遭う時も
豊かな時も貧しい時も
健やかな時も病む時も
互いに愛し、敬い、仕えて、
共に生涯を送ることを約束しますか?
はい、そう信じて、約束します。
いつもの優しい石井君の口調とは違う、力強い発音にどきりとする。はい約束します、ではなく、そう信じて、と間に入るところも、何か人間くさくていい。指輪の交換をし、また賛美歌を歌い、式は終わる。
教会の中の半分が式の場所、残りの半分で食事会がおこなわれる。12時前にこれから行きますとメールのあったオヨヨさんはなぜか式には現われず、食事会から当然のような顔で参加している。テーブルの席順は、私の正面が牧師さん、牧師さんの右横がナンダロウさん、私の右横が往来堂書店の笈入さん。食事会のはじまる前、なんで俺が牧師さんの横なんだよ、ちょうどいいから三井物産やめた理由聞いてよ、無理だよ、お前が聞けよ、と牧師さんを囲む3人での醜い言い争いは、食事がはじまった途端、ワインも飲めばビールも飲み煙草も吸い、こっちのほうが楽だと思ったんだけど全然楽じゃなかったよ、と笑う牧師さんの明るい言葉であっけなく終わる。改装後にできた2階の仕事部屋、煙草の吸い過ぎで燻製室だとスタッフから言われるという牧師さんの部屋、改装前の天井の梁が見られる場所、と牧師さんはあちこち案内し見せてくださる。根津教会は一箱古本市の大家さんのひとつでもある。ひらかれた風通しのいい場所と人、そして大正8年に建てられたこの教会の重み、こういうものがもっと「わめぞ」にあればいいのにと思い、こういうものがここだけでなくいくつもあるからこそ谷根千に人が集まるのだと思う。
食事はめったに食べることのないフランス料理で、さらにめったに食べることのないフォアグラソテーが格別に美味しく、しかしめったに食べることがない故に、これ焼き鳥みたいでうめー、としか言えない自分が情けない。
食事会のテーブルに置かれた「せいしゅうぶっく」と題された冊子には、お世話になった方たち、としてこの結婚式に関わった人たちが紹介されている。会場を提供した根津教会、受付や司会の古書ほうろうさん、フランス料理のMOMOさん、これからライブをおこなう加藤千晶さん、招待状を印刷した活版つるぎ堂さん、そして谷根千の人たちに混じり、招待状の絵を描いた私の名前もここにある。
青秋部のふたりからメールが届いたのは今年の1月。ふたりが昨年入籍したこと、5月5日に根津教会で結婚式をすること、そして結婚式の招待状の絵を描いて欲しいこと、がそのメールには書かれていた。結婚式ではできるだけ知り合いや谷根千のお店にお仕事をお願いしたいのです、もらった人が額装してずっと大事にしてくれるような招待状を作りたいのです、という中村さんの言葉に惹かれ、私はふたりのために花の絵を描いた。そして今日のこの日、結婚式に招かれ、「せいしゅうぶっく」に自分の名前が載っていることが、とてもうれしい。
食事会が終わり、お茶会がはじまる。さらに来場者は倍に増える。人いきれの教会を抜け、教会の裏庭のベンチに座る。やはり抜け出してきた人たちが、手にお茶やお菓子を持ち、食べながら談笑している。横に座る女性をNEGIさんに紹介される。加藤千晶さんだと言われ驚く。今日のシークレットライブのゲストだ。教会の思い思いの場所にみな腰掛け、加藤千晶さんのライブを聴く。高い天井に加藤さんの歌声がよく響く。NHK「おかざさんといっしょ」で放映された「ほっとけーきはすてき」。ほっとけーきの部分を今日は石井君と中村さんの名前に変えて、今日のふたりはすてき、と歌い、すてき、とみなで唱和する。階段の少し高い場所に腰掛け、歌うみんなを見ながら歌う。好きな場所、好きな格好、好きな時間に来て、みなふたりを祝っている。今日のこの会は、ゆるくてそして暖かくてとても素敵だと思う。
19時からはじまる古書ほうろうでの飲み会の前に、一度酒を抜こうと銭湯に行く。谷中よみち通りの春木屋という古い中華屋の横の路地の先、銭湯「初音湯」に行く。銭湯に行くんだという私の我儘に、ナンダロウさんが付き合ってくれる。ちょうど5月5日の今日は菖蒲湯で、入り口ではさらにヤクルトもくれる。初音湯に来るのは2度目。4つある湯船の半分に菖蒲が浮き、半分がここの名物の白い硫黄の湯になっている。菖蒲湯のほうばかり人が入るのは、珍しいからではなく、たぶん硫黄の湯が滅法熱いからだ。足を突っ込むだけで、脛の毛穴がちりちりと焼ける。
19時、古書ほうろうへ行く。根津教会からとさらに新しく来た人たちで、ほうろうの中が人で溢れかえる。みな手に花びらを持ち、人力車でやってくるというふたりを待つ。ウェディングドレスから、白雪姫みたいなドレスに着替えた中村さんがかわいらしい。これでもかと花びらをぶつけ、ふたりを祝う。ほうろうの中には、どなたかの手作りだという料理が並び、寿司も並び、酒も並び、ふたりの前には本をかたどったケーキも置かれている。銭湯で酒を抜いた体に、全てが美味しく入っていく。ここでもみな、思い思いの場所で飲み話している。一箱古本市の助っ人に参加し、「秋も一箱古本市」を運営し、そこからどんどん縁が結ばれて、ふたりのこの町暮らしが豊かになりました、と書かれた「せいしゅうぶっく」の言葉そのまま、今日の結婚式でまた何かの縁が結ばれ広がっていく。谷根千の、青秋部の、底力と幸せを見せ付けられた気がする一日。石井君、中村さん、おめでとう。