断片日記

断片と告知

私史

家の前の通りは、弦巻通り、という名前で、だいぶ昔、弦巻川という川だった。川だった名残か、大雨が降ると、雨水は枝分かれした小道から弦巻通りに流れ込み、道はにわかに川になる。川になった道に、外に出しておいたサンダルや、植木鉢が浮き、よく流される。マンホールの穴や下水溝から、行き場のなくなった雨水が溢れ、ぼこぼこと噴き出す。床下浸水は当たり前で、玄関の前に、白い厚手のビニールで包まれた土嚢を積む。わたしが子どもの頃に見た景色。下水道が発達したいま、大きな台風がきても、サンダルが流されることもない。
弦巻通りを進むと、都電の線路にぶつかる。家から線路まで数百メートル離れているので、普段、都電の走る音や遮断機の音は聞こえない。ただどうしたことか、真冬の、きん、と冷えた夜、布団の中で都電の音を聞くことがある。都電が線路を走るがたたんという音、ちんちんと警笛を鳴らす音。聞こえた夜はなんだがうれしい。不思議と、一番うるさい遮断機の音は聞いた覚えがない。中学の頃、家を建て直し、ぴちりと閉まるサッシの窓のせいか、いま都電の音を聞く夜もない。
都電の線路の手前には、右手に大鳥神社、左手に古い酒屋、酒屋の裏には染物屋がある。染物屋には、家屋と作業場に囲まれた広い中庭のようなものがあり、お日様の下、中庭の端から端まで、のびた反物が細い竹でぴんと張られ、風にさらされている。弦巻川があったころは、川で洗った染物を、中庭で干していたのかもしれない。祖母に連れられ、見た景色。都電の線路の両脇を道路にしようと工事しているいま、酒屋も染物屋もなく、大鳥神社だけ、敷地を少し削られて残っている。
風鈴売り、風車売り、金魚売り、羅宇屋、が家の前を通る。小さな屋台に風鈴が、いくつも揺れていてきれい。小さな屋台にビニール製の明るい色の風車が、いくつも回っていてきれい。大きなリヤカーに、たくさんの水槽が並び、中に赤い金魚が泳ぐ。大きいのと、小さいのと、丸いのと、細いの。酸素がぶくぶくと出る機械もなく、夏の暑い日に、覆いのない水槽の中で、金魚がどうにかならないか、いつも心配。池袋の親戚の家に行くと、そこのおばあちゃんが、長火鉢を前にして、細くて長いキセルを吸っている。テレビの時代劇の花魁が吸うようなキセルを、目の前のおばあちゃんが吸っていて不思議。わたしが子どものころ、まだこういう人たちがいたから、羅宇屋の屋台が家の前を通ったのか。風車売りも金魚売りも見ないけれど、風鈴売りは、いまでもときたま新宿がどこかの駅前で、夏の夜に見る。羅宇屋も浅草かどこかの縁日でいまも見る。
小さなころ、見ていた景色。郷土史というほど大げさでなく、でも確かにあって、いま見ないもの。書かないと忘れそうなことを、たまに書いて思い出し、残しておく。