断片日記

断片と告知

ブックカフェのある街

前野さんは、ある日突然仙台に来たわたしを、家に泊め、飯を食わせ、話しを聞いてくれた人だ。前野さんは、仙台にある「火星の庭」というブックカフェを、旦那さんの健一さんとふたりで経営している。突然行ったあの日。ほら、ケンあれどこだっけ。「火星の庭」の厨房の奥、棚に仕舞ってあったファイルをひっくり返し、仙台の地図、美術館や博物館のパンフレット、古本屋や銭湯の場所を、何も知らずに来たわたしに、惜しげもなく教えてくれた。ガハハハハ、細く小さい体でよく笑う人だと、まだよく知らない目の前の人を見て思った。
1日仙台を歩き回り、夜には仙台の人たちと飲み、その後前野さんの家に泊めてもらった。朝起きると、健一さんと娘さんのメグたんの姿はなく、飲み過ぎてゆっくり起きたわたしに、前野さんが美味しいお茶を煎れてくれた。その後、朝の広瀬川沿いの遊歩道を、ふたりで歩いた。川の向こうの切り立った崖、崖の上に建つ旅館、広瀬川沿いの小さな神社。前日までの不安はどこかに消えていた。仙台に来たことが、「火星の庭」に来たことが、いつの間にか楽しくて仕方がなかった。
先日会ったSさんに、「火星の庭」の話を聞いた。学生時代を仙台で過ごしたSさんは、ベニーランドや八木山の話のほかに、よく通っていた「火星の庭」の話をうれしそうにしてくれた。学生が買うにしては少し高い全集を、思い切って買ったこと。仙台を離れ、東京で働くいまも、Sさんの頭の中には、頑張って買った全集と、「火星の庭」に通った日々が流れている。
早稲田大学の正門で古本市を開催していた古書現世のパロパロ向井に、明日仙台に行ってくる、と唐突に告げたとき、前野さんなら大丈夫だよ、と笑って言ってくれた言葉は、不安そうなわたしへの励ましだと思っていたが、そうではなかった。
「ヨーロッパのブックカフェ体験は、芯のようなものになった。気持ちや体が不安定になったとき、ブックカフェに行ったときの気分を思い出すと、すっと目の前が明るくなる。」前野さんが書いた「ブックカフェのある街」という本の中の、外国でのブックカフェ紹介の最後に書かれている言葉だ。
火星の庭」の話をするとき、前野さんや健一さんの話をするとき、話してくれる誰かの顔はいつも明るい。わたしが仙台での出来事を、誰かに話すときの顔も、きっと明るく笑っている。仙台で暮らす人たち、仙台に行ったことのある人たちにとって、「火星の庭」は、前野さんにとってのヨーロッパのカフェと同じ、思い出すだけで、すっと目の前が明るくなる場所。
「私にとってブックカフェをやることは人を好きになること、と思う」読んでいると、前野さんに会いに、いますぐ新幹線に飛び乗りたくなる。
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