断片日記

断片と告知

甲州屋

昼過ぎ、甲州屋酒店に行った。甲州屋の店先には、しばらく前から、3月いっぱいで閉店、と書かれた紙が貼られていた。昨晩そのことを思い出し、昼飯を食ったあと、慌てて鬼子母神通りにある甲州屋を目指した。
シャッターは閉まっていたが、勝手口を見ると、店番のおじさんの姿が見えた。もうおしまいですか、焼酎が欲しいんですが。声をかけてみた。おじさんは配達用のバイクに酒を積む手を止め、シャッターは開けず、そのまま勝手口からわたしを店に入れてくれた。棚はすでにがらがらだった。残った日本酒洋酒の酒瓶がいくつか、冷蔵庫に缶チューハイと飲料水が少しだけ見えた。閉店につき割引します、と書かれた紙が、棚のあちこちに貼られていた。残り少ない酒を見回し、いいちこを2本、氷結を6本、選んだ。
酒代はだいぶ安かった。おまけに販促用のビアグラスもくれた。会計をしながら、この店はいつからあるんですか、と聞くと、大正の頃から、とおじさんは答えた。100年近く鬼子母神通りで酒を売っていた店が、今日閉店した。
いいちこと氷結とグラスが入った袋を両手に提げ、雑司ヶ谷奥地の、新しいアトリエまで歩いた。酒の入った袋は、重いけれど、重くなかった。階段をのぼり、鍵を開け、明日から通うアトリエに入った。アトリエにはじめて運び込んだ荷物は、紙でも絵の具でもなく、甲州屋の酒とビアグラスだった。