断片日記

断片と告知

ワタシんち

友人に誘われ、劇団マームとジプシーの公演「ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。」を観に行った。姉、兄、妹の三人兄弟が、幼いころ過ごした家が取り壊される。取り壊される日の朝、家族がまだ住んでいたころの家、古い家を同級生に見られるのが恥ずかしかったこと、それぞれが家から出て行った日の玄関、老朽化した家を取り壊すと決めた日。過去といまの情景が幾度も繰り返し演じられる。
「ワタシんちは、今日、取り壊される。取り壊されて、その上に道路が通る。ワタシはいつか、その道路を、行くのだろう。ワタシは、ワタシんちがあったその場所を通過する。そのときワタシは、なにを思い出すのだろうか。なにが、ワタシの頭の中を、ダイジェストするのかな。わからないなー。」
家の近くを走る都営荒川線の、線路の両脇が車道として開通したのは今年九月のこと。車道になる以前は、小さな家やアパート、商店や車の入れない細道が、線路に沿ってへばりついていた。新しくできた車道は、サンシャイン60のそば、東池袋のあたりから目白通りへ抜ける道で、東池袋周辺の工事がすべて終われば、静かな雑司ヶ谷の真ん中を、車の線が二本走る。
線路脇の家が少しずつ取り壊され、馴染みの景色が消えていくのを、ただ見ていた。幼いころからいくつもの景色が消えていくのを見るうちに、街の景色は消えるもの変わるものだと、どこかで諦める癖がついた。馴染みの景色は消えていったが、線路に沿って細長かった空が、両脇が空くにつれ、少しずつ広くなっていった。馴染みの景色の消えた寂しさと同じ分、広がっていく空を好きになった。
わたしはわたしが好きだった家や商店や細道の上にできた道路を歩く。いまでは東池袋のあたりから、目白通りを越え新宿の高層ビルまで続く空を見ながら。変わり続けていく雑司ヶ谷の、ある時わたしが懐かしく思い出すのは、いつ見た雑司ヶ谷の景色なのか。子どものころか、いまなのか。わからないなー。