断片日記

断片と告知

酒屋の猫、夕方の酒

確定申告の升目を埋め終えて浮かれていた。冷蔵庫の豚バラと白菜と、あと一品、もやしでも買って鍋にしよう、とアトリエを出た。面倒を片付け終えた夕方、スーパーまで手ぶらで歩くのは寂しかった。近くのコンビニは重宝だが、缶ビールがいつもぬるいのが腹が立つ。スーパーへは少し遠回りになるが、なので缶の酒はなるべく酒屋で買うようにしている。
酒屋にはキティという名の看板猫がいる。入り口そばの塩のビニールが積まれた棚でよく寝ている。人見知りをしない猫で、酒を買うついでにいつも頭を撫ぜさせてくれる。名前の由来を聞くと、子どものころキティちゃんに似ていたからだというが、酒屋のキティは黒と茶の毛が入り混じるサビ猫だ。店の前の銀杏の街路樹は猫の身長分、キティの爪とぎで幹の肌がちりちりしている。
よく冷えた缶ビールを飲みながらスーパーまで歩く。途中、目白台音羽のお屋敷町が近いからか、寂しい町なのにワインの似合う小さな飯屋がいくつかある。ガラス窓の向こうには仕込みをする姿、店の前には今日のおすすめを書いた黒板が立つ。鶏白レバーのムースをやりながらワインが飲みたい、と缶ビールを飲みながらおすすめの文字をなめるように読む。
おいしそう。ふいに声をかけられた。
黒板の文字のことかと声のほうを見ると、彼女の目はわたしの手の缶ビールを見ている。寂しい町ではあまり見かけない、派手めな化粧と服の、キャリアウーマンという言葉が似合いそうな女が立っていた。
さっきから後ろを歩いてておいしそーだなーって見てたの。わたしも買おうかなーと思ったけど、もう駅だし、電車乗るし、でもやっぱりそこのスーパーで買うことにする。
女はわたしの目と缶ビールを交互に見ながら、独り言のように言うだけ言って追い越していく。
女と並んで歩くのも、跡をつけるように歩くのも窮屈で、わざと遠回りをして歩いたが、スーパーの入り口で買い物をし終えた彼女とすれ違う。会釈をすると、はじめての顔を見るようにわたしの顔をしばらく眺め、夕飯の買い物なのか、ふくらんだポリ袋を手に駅とは反対の町へと消えていった。