断片日記

断片と告知

コンビニの彼女

清澄白河で演劇を観た帰り、駅前の居酒屋で、同じく演劇を観に来ていた顔見知り数人と飲むことになった。どうしてその話題になったのかは覚えていないが、ひとりの男が、チェーン店やコンビニで働く人たちはみんな同じに見える、マニュアル通りにしか話さない、動けない、となじっていた。飲んだのは何年か前の話だが、レコードについた傷のように、なじっていた男の言葉がたびたびよみがえる。
家のそば、アトリエに行く途中、いくつかのコンビニがある。つまみを買うならここ、缶チューハイの品揃えならここ、野菜も売っているのはあそこ、と、それぞれの店を使い分けている。一番よく行くのはアトリエそばのコンビニで、缶ビールはぬるいが、宅急便、コピー機、ATM、が便利でよく使っている。
アトリエそばのコンビニの宅急便の翌日配達の締め切りは夕方の4時で、昼過ぎに宅急便を出しにいくと、たいていレジには同じ顔が並んでいる。仕事の絵を描き終わるたび、伝票の余白に、原画、と書いた梱包した絵をコンビニに持って行く。
何度目かのとき、レジの女性に声をかけられた。
絵を描いてるんですね。すごい。
彼女ももしかしたら絵を描くのか、描いていたのか。それ以来、コンビニで彼女の姿を見かけると嬉しくなる。
彼女を見るたび嬉しくなる理由がもうひとつある。彼女は、顔も体型も雰囲気もどことなく、元書肆アクセスのハタナカさんに似ているのだ。ハタナカさんをひとまわり若く小さくしたような彼女を見るたび、絵を描くかもしれない彼女にハタナカさんの愉快さが足されて嬉しくなる。
ある日、彼女の名札が目に入った。
「タナカ」
ひとまわりの差が、名前にも表れているようで可笑しかった。
マニュアルを読んで同じ制服を着ていても、どうしてもにじみあふれ出てしまうその人を見るのが好きだ。アニメ声のあの子も、宅急便を嫌がるおばさんも、若いのにきっちりと七三に髪を固めたあいつも。同じ学校、同じ制服、同じ生徒手帳を持っていても、ひとりとして同じ人にはならないように。