断片日記

断片と告知

入谷コピー文庫「さかえ湯」

入谷コピー文庫」ある塵シリーズ第3回銭湯に書いた文章を、堀内さんの許可をいただきこちらに転載いたします。街から消えていくものとの付き合い方を考えているときに出会った「さかえ湯」は、消えていくものの多い渋谷という街のなかで、特異な残り方をした銭湯でした。

 JR渋谷駅東口を出て駅沿いを右手に進む。東口交差点にかかる歩道橋を渡り、渋谷川とJRの線路と沿うように走る明治通りを恵比寿方面に向かってしばらく歩く。回転寿司、ラーメン屋、チェーンの喫茶店など、駅前のざわめきが途切れるころ、並木橋交差点が現れる。渋谷駅方面を背に交差点の右手を見ると、渋谷川にかかる小さな並木橋と、渋谷川とJRの線路をまたぐ大きな陸橋、新並木橋が並んで見える。交差点を渡り、大きな新並木橋を代官山方面に進む。渋谷川を越え、橋げただけ残る東横線高架跡の横に、十階建ての大きなマンションが建っている。陸橋の新並木橋に面した二階部分にマンションの入り口があるが、一階にある銭湯「さかえ湯」の入り口に向かって陸橋からも階段が伸びている。
 新並木橋を歩く人にも見えるよう、営業時間の書かれた「さかえ湯」の看板が陸橋に突き出るように立っている。看板は一昔前の喫茶店で見るような、半分が赤いコカコーラの宣伝入りだ。代官山での展示や打ち合わせのあと、渋谷までの帰り道にこの看板を見かけたことが、ここに銭湯があることを知ったきっかけだった。渋谷と代官山という派手な街のあいだの、渋谷川東横線、JRの線路に囲まれた三角州のような場所に残る、古くも新しくもない小さな銭湯の姿が、頭の隅にずっと引っかかっていた。
 新並木橋から「さかえ湯」を目指して階段をおりる。「さかえ湯」の暖簾のさがるマンション一階部分は、新並木橋のしたを垂直にくぐりながら走る細い道に面している。試しに「さかえ湯」の前を通り過ぎ、新並木橋のしたの薄暗いトンネルを抜けてみると、渋谷川にかかる小さな並木橋の先に出る。
 すぐ横に開いたトンネルの暗い口、マンションの外壁に黒のスプレー缶で描かれたやんちゃな落書き、暖簾の向こうすぐに停まっているグレーの小型トラック、その奥、マンションの半地下に続く先のわからない暗闇が、「さかえ湯」に入ることを一瞬ためらわせる。銭湯の入り口というよりも、マンションの駐車場の入り口に暖簾がさがっているように見えるからだ。
 年配の女性がひとり、風呂桶を片手に暖簾をくぐるのを見て、わたしも後に続くことにする。暖簾をくぐりトラックの横を抜けると、右手にコイン式の洗濯機が並び、左手に銭湯の入り口がある。ロッカー式の傘入れを真ん中に、右手が女湯、左手に男湯の引き戸がある。引き戸を開けるとすぐ左手に石鹸や髭剃りなどに囲まれた番台があり、女将さんがものに埋もれるように座っている。入浴料460円を払い、脱衣所に入る。親戚や友人の家を訪ねたときのような、自分の家とは違う生活の匂いがどことなくする。脱衣所も家の居間くらい小さく、天井も167センチのわたしが跳びあがれば手が届きそうなくらい低い。
 脱衣所は、入ってすぐ左手の番台、男湯との境の鏡の張られた壁、鏡の前から「く」の字型にロッカーが並ぶ。茶色のビニールのソファーがふたつ、向かい合うように置かれている。洗い場の入り口の丸テーブルには、籠に入ったシャンプーセットがいくつか置かれ、どうやら手ぶらで入浴する人用のサービスのようだ。
 洗い場もとても小さく天井も低い。が湯船は大きい。洗い場の半分近くが湯船で占められているようにも見える。島カランが真ん中に一列。ペンキ絵などの装飾も一切ない。湯船とカランしかないようなさっぱりした内装だが、カランとカランの間がゆったりしているせいか、窮屈さはない。湯船は右手に浅めの風呂、左手に深めの泡風呂のふたつ。どちらも体を伸ばしても反対の壁につかないくらい奥行きがある。湯の温度は浅め深めどちらとも温度計によると43度。外から来た冷えた体には熱く感じるが、つかっているとじきに慣れた。
 脱衣所で髪をふきながら周りを見渡す。男湯との境いの壁のうえにある薄型テレビでは、ドラマ「相棒」の再放送が流れている。銀行のカレンダーの裏を再利用したような、つるつるの白い紙に書かれた手書きの告知が、脱衣所の壁を賑やかに彩る。ロッカーとソファのあいだにある10センチもないくらいの隙間には、紫色の家庭用ドライヤーがぶら下がり、おひとり様(3分くらい)使ったら20円払うよう、持ち込んだドライヤーも同様に払うよう、手書きの文字が躍っている。番台横の冷蔵庫には、おのおのの飲み物の値段が書かれているが、手書きの味で判然とせず、缶ビールが1本150円と読める。試しにサッポロ黒ラベルを買ってみると350ml缶250円と、いたって普通の値段だった。
 番台の女将さんに銭湯遍路の判子を押してもらう。
 あちこち周っているの?うちは小さいでしょ。都内で一番小さいんじゃないかしら。もともと銭湯にするつもりはなかったから。変わったつくりでしょ。 
 「さかえ湯」ができて38年、それ以前にここにあった銭湯「高砂湯」の歴史を足すと、90年近く、この場所に銭湯があるという。あのおじいちゃんももう亡くなってしまったけれど、「高砂湯」はほら昔ながらの、と、唐破風の屋根の形を両手でつくりながら女将さんは説明してくれる。「高砂湯」が廃業し、建てなおしてマンションにするつもりが、近隣住民の、銭湯をつくらなければマンションの建設を許可しない、という反対運動にあい、急遽つくることになったという。マンションの半地下の駐車場に無理やり押し込んだような銭湯のつくりは、ここからきているらしい。
 「さかえ湯」の名前の由来を聞くと、弟が品川でやっていた銭湯の名前をそのままもらったという。
 親戚みんな銭湯なのよ。弟がやっていた品川の「さかえ湯」、川崎の「日の出湯」、仙川の「日の出湯」、みーんな親戚。いまはもう全部なくなってしまったけど。
 出身を聞くと予想通り石川県と答える。銭湯は石川、古本屋は新潟、と、職業ごとに、東京で商売をはじめた人たちの出身地が偏るのはどうしてだろう。
 この場所に「さかえ湯」が出来た38年前は、西暦1976年、昭和51年だ。調べてみると、渋谷公園通りの入り口に丸井ファッション館ができたのが1971年、PARCOパート1ができたのが1973年のこと。そんな時代、渋谷のような場所でも、反対運動をしてまで、日々の生活に切実に銭湯を必要とする人たちがまだいたのだ。
 代官山のも、恵比寿にあった銭湯も、みんななくなってしまって。近くで残っているのは表参道にあるとこくらいかしら。ここはいま渋谷駅から一番近い銭湯なの。だからかしら外人さんも来るのよ。グループにひとりは日本語ぺらぺらの人がいるの。だから大丈夫。
 缶ビール片手に表に出ると、「さかえ湯」の前、細い道の向こう、以前反対運動をした人たちが住んでいたという場所に、いまは巨大な渋谷清掃工場が建っている。工場が建つにあたり反対運動もあったというが、もう決まったことだからと、東京都から工場の青写真を見せられた。四十数戸あった家は少しずつ空き地になり、散り散りに越して行った先から、女将さんに年賀状が届くこともあるという。若い人たちはいいけど、年取ってから知らない街で暮らすのは辛かったみたい。この場所に切実に銭湯を望んでいた人たちの家は跡形もなく、しかし「さかえ湯」は、マンションの半地下の窮屈な場所で、いまも湯を沸かし続けている。
 渋谷駅までの帰り道、新並木橋のしたのトンネルを抜け、渋谷川と、その横に沿うフェンスで囲まれた東横線の高架跡を見ながら歩く。渋谷川を暗渠にし、東横線の跡地とともに遊歩道にする計画があると、女将さんは教えてくれた。いつになることやら、と付け足しながら。
 夕方の渋谷川沿いの空気のなかに、ふと懐かしいような焚き火の匂いをかいだ。来た道を振り返ると、「さかえ湯」の煙突と、巨大な清掃工場の煙突が並んで見えた。
 なにを思いながら、女将さんは暖簾の向こうに増えていく空き地を見ていたんだろう。

さかえ湯 
住所:東京都渋谷区東1-31-19
営業時間:15時30分から24時45分まで(女湯は30分まで)
定休日:金曜日(銭湯の日、しょうぶ湯、ゆず湯は営業)