断片日記

断片と告知

生活の底

いくつかあった絵の連載がふいになくなり金に困った。何年続こうといつか終わりはくるのだとわかってはいたが、その日が重なるところまでは頭がいたらなかった。どうしたことか単発の仕事さえもぴたりと止んだ。振込みのなくなった口座から金は減る一方で、このまま過ごせば再来月あたりに底をつく。いまにも抜けそうな生活の底が目の端っこに見えるのが怖い。金の入らない日々は怖い。
生活の底が抜け落ちるまえに金の入る当てを探さなければいけない。最後に仕事を探したときからどれくらい経つのか。あのころはまだ求人誌をめくっていたが、いまでは小さな画面に言葉を打ち込むだけで仕事にありつける。食べることが好きなので飲食を、家からそう遠くもなく、できれば時給もそれなりだとありがたい。近くの大学の食堂の求人がひっかかり、面接に行くとあっさり受かった。これで再来月の家賃の支払いのめどが付く。まだ目の前にない金の入る当てができただけでここ数ヶ月のはっていた気が抜ける。
夕方から四時間、食堂の夜の仕事は、腹を空かせた学生たちにラーメンやカレーをよそい皿を洗いながら、昼の人たちが広げた鍋や釜を洗いまた次の日に使えるよう畳んでいく仕事だ。はじめたころは悲鳴をあげていた身体がしばらくすると慣れ、湯のはった寸胴鍋を持ち上げられたときは嬉しかった。周りの人たちの仕事を見ながら効率よく動きたい。ラーメンもカレーも定食もなるべく早くうまそうによそいたい。教わったことを繰り返しのなかで覚えやり切れたときは嬉しかった。言われたことをこなしていくわかりやすい達成感は、白い紙と向き合う底なし沼のような時間よりも気が楽だった。四時間仕事に向き合えば四時間分の時給が入る健全さがありがたかった。
平日四時間の仕事は絵を描くのにも都合がよかった。仕事をしていると仕事を呼ぶのか単発の仕事がぽつぽつ入るようになった。絵を描きながら食堂へ通うことにも慣れ続きそうだと思えたころ、友人知人に新しい職場の話をした。たいていは金のないことへの同情と食堂への好奇心だったが、ごくまれにこう言われることもあった。
えー学食のおばちゃんかよ。
学食も、おばちゃんも、その通りなのだが言葉の端に侮蔑があった。もしも仕事先が本屋やレコード屋や美術館のような場所だったら、えー本屋のおばちゃんかよ、と彼らは言わないだろうと思うと可笑しかったと。ただ少しだけその分野の事情にたけるだけで、扱っているものが文化的なら自分が文化的になれるわけではないことは、本屋やギャラリーで働いたことのあるわたし自身が一番身にしみていた。
食堂に一度も行ったことのない人なのかと彼らに問うとどうもそうではないらしい。笑い話で聞く、風俗で一発抜いたあとそこで働く人たちに説教をするという人間の顔はこんな顔なのかと、そう言われるたびに見返している。