断片日記

断片と告知

○△□なTシャツ展

盛岡ひめくりさんでのTシャツ展に今年も参加いたします。今年のテーマは、○△□。今回わたしがご用意したTシャツは、丸三角四角の描き文字から模様に流れるデザインです。シルクスクリーンの印刷は秋田の6jumbopinsさん。Tシャツのサイズはもちろん、Tシャツの色、インクの色も選べ、オリジナルの一枚が作れます。写真のサンプルカラーは、Tシャツがオリーブ、インクが白です。今年は会期スタートと同時に、6jumbopinsさんのWEBショップでも通販がはじまります。盛岡はちょっと遠いという方は、そちらをご利用ください。

***◯△□なTシャツ展***
いろんな◯△□のTシャツが並びます。
お気に入りのイラストを見つけたら、この夏の一枚をぜひオーダーしてください!
Tシャツとインクの色が選べます。お渡しまで10日ほどお時間をいただきます。
■会期
2018年6月1日(金)〜19日(火)
10:30〜18:30 ※最終日は16:00まで
会期中の休み:6/6(水)・7(木)・14(木)
■会場
shop+spaceひめくり
〒020-0885 盛岡市紺屋町4-8
電話&FAX 019-681-7475
営業時間 10:30〜18:30
http://himekuri-morioka.com/
■参加作家
オガサワラユウダイ/紙町銅版画工房/6jumbopins・京野誠/工藤陽之/黒丸健一/さいとうゆきこ/坂本千明/zoetrope/天間苑佳★/のそ子★/おるがん社・にしおゆき★/樋口佳絵/ますこえり/武藤良子
★=初参加

■秋田のTシャツ屋6jumbopinsのプリント実演販売
6/9(土)10:30〜
6/10(日)12:00〜
展示されているデザインの版を、Tシャツやインクの色を選んでその場でプリントいたします。
混み具合によりますが、少々お時間をいただきます。
Tシャツの在庫がない場合は後日お渡しとなります。ご了承ください。
https://6jumbopins.stores.jp/

観覧車

仙台駅前の高層ビルの最上階には展望台がある。青葉城から仙台市内を眺めたことは何度かあるが、街中から郊外を見る機会はいままでなかったし、あえて見ようと思うこともなかった。それが昨夜の飲み会でいい展望台があると聞いてきたSが、どこの展望台だったかは忘れたが、近くにもあるならのぼってみようかと言い出した。駅中で立ち食い寿司を食べてすぐのことだ。無料だし、駅前の便利な場所で、友人たちとの待ち合わせまでの半端な時間をつぶすのにもちょうどよかった。
エレベーターで最上階にのぼると、展望台はあちらとこちらの二箇所に別れ、こちらからは山側が、あちらからは海側が望めるようだ。山側の展望台に立つと、まずアーケード街の屋根が大きな配管のように街を走るのが見え、その先の山並みからぽこんと突き出た三角形が太白山、その下の丘のあたりが青葉城とフロアに置かれた地図にある。
海側の展望台からは、仙台と塩釜を結ぶ太い道、仙塩街道が遠くまで伸びているのが見えるが、その先にあるはずの海はぼんやりした空ととけてよくわからない。仙台港、と地図にはある。
塩釜や松島の海には何度も訪れたが、仙台駅から一番近い海には行ったことがなかった。古本市の手伝いと会いたい顔に会ってしまえば、あとはこれといってすることもなかった。明日は仙台港に行ってみようか、そうしようか、とSと決めた。
翌日、同じくすることもなさそうなMを誘い、三人で仙石線に乗った。仙台駅から六駅目、地図を見て仙台港に一番近そうな中野栄駅で降りた。駅前は小さなロータリーとブックオフとチェーンの焼き肉屋といった、いかにも郊外の寂れた駅だったが、それにしては若い人たちが固まりで降りていく。なんでだろうね、と固まりの歩く先を見ると、三井アウトレットパークの案内板が見えた。以前この辺りを歩いたことのあるMが、そういえば観覧車がありますよ、と案内板を見ながら言った。
駅から二十分くらいだろうか。高速の高架をくぐると右手にニトリ、正面にカインズ、左手に三井アウトレットパークの入り口が見えた。観覧車はアウトレットパークの向こうに半円形に顔を出している。半円形を見上げながら、乗らないんですか、とMが言い、乗ろっか、とSがうなづいた。観覧車の乗り場を探し、アウトレットパークの中に入る。寂れた駅前の景色と違い、巨大な駐車場も建物のなかも、車と人でみっしり埋まっている。ここには買い物を楽しむ人たちと、休日を人ごみで過ごす人たちの倦怠感の入り混じる、子どものころ親に連れて行かれた日曜日のデパートと似た、疲れた華やかさがあった。
観覧車は建物の奥、デパートの屋上にあるような小さな遊園地のなかに建っていた。コーヒーカップ機関車トーマスドラえもんの乗り物が、子どもたちをのせて揺れていた。券売機でチケットを買おうと一万円札を財布から出すと、面倒だからみんなの分も一緒に買ってよ、とSが言った。ほら六〇〇円払うからさ、とSとMから六〇〇円ずつもらい、わたしは一万円札を入れ、大人三枚分のボタンを押した。
気がついたのは、観覧車乗り場のゴンドラへ向う階段の途中だった。あ、わたしお釣り取ったっけ?声に出しながら財布を開くと、あるはずの釣り銭がなかった。取り忘れたと慌てて振り返ると、すでに階段には何組かの客が並び、真後ろは父親と、小学四五年生くらいの男の子と、低学年の女の子の三人連れだった。
あの、すみません、お釣りありませんでしたか。父親は黙ったままかすかに笑った顔で、束ねて真ん中で折られた千円札を差し出した。ありがとうございます。礼を言いつつ折られた千円札を開き、数えてみると七枚だった。えーと、大人六〇〇円が三枚だから、えーと、お釣りは。口ごもるわたしのかわりに、あと千二百円ですね、とMが答えた。
わたしは父親を見つめたが、父親はもうこちらを見なかった。その横で、小さな女の子はうつむいたままだ。
なにも言わない父親のかわりに、口を開いたのは男の子だった。
これだけしかなかったよね。
からしぼり出すような声だった。
いいんです。七千円返ってきただけでもラッキーです。すみませんでした。
そもそも釣り銭を取り忘れたわたしが悪いのだ。休日の遊園地で、これから観覧車に乗る小さな子どもの前で、こんなやり取りは早く終わらせたかった。面倒に巻き込んだことに頭を下げ、そのまま後ろを振り向かなかった。
周ってきたゴンドラに三人で乗り込んだ。正面に見えると思い込んでいた仙台港は、観覧車がのぼるにつれ、左手にすぅっと現れた。周りを工場とコンクリートで囲まれた、長方形の茶色い海だった。
海、あっちじゃん。あのまままっすぐ歩いていたら、永遠に海に着かなかったね。
観覧車から降り、アウトレットパークのなかの寿司屋で折り詰めを買い、観覧車の上から見えた海沿いの公園に行った。丘のうえの芝生に座り、海を見ながら折り詰めを広げた。公園の下の岸壁には、釣り人たちが等間隔で並び、海に糸をたらしているのが見えた。
食べ終わったらバケツの中を見に行こうよ。釣り人のバケツの中を見るのって、なんであんなに楽しいんだろうね。
丘をくだって、バケツの中を端から見ていく。空のバケツ、空のバケツ、アジ、シャコ、空のバケツ。バケツの中をのぞきながらも、戻ってこなかった千二百円が頭にあった。なくなるにしてもいやに中途半端な金額ではないか。あのとき、観覧車の券売機はどんなだったっけ。大人が六〇〇円で、子どもはたしか三〇〇円か。
あのさぁ、観覧車のチケット、大人一枚と子ども二枚でちょうど千二百円なんだよね。
パズルがはまった気がして声に出た。
あぁ、そういうこと。
バケツをのぞきながら、どうでもよさそうにSが答えた。

新緑

サンシャイン通りユニクロに靴下を買いに行った帰り道。人ごみを避けグリーン大通りに出ようと、ひと昔前まで人生横丁があった裏道を抜けた。巣鴨プリズンの時代からあった人生横丁は、長屋のような二階建ての飲み屋が並ぶ味のある横丁だったが、いまは小さな碑をのこし、跡地には巨大なオフィスビルが建っている。
オフィスビルの周りにはぐるっと木が植えられ、ビルの裏手には人生横丁の碑とちょっとした広場があり、昼時に通ると近くのサラリーマンたちが、木陰で煙草を吸ったり珈琲を飲んだりしている。
その日は風の強い日で、そこにビル風も加わり、茂りだした新緑がぱらぱらぱらぱらとビルの周りに散っていた。がこん、さっさ、がこん、さっさ。音のするほうを見ると、清掃員がふたつきのちり取りを片手に、もう片手にほうきを持ち、ビルの周りに散る葉を掃いているところだった。
秋の落ち葉と違い、芽吹いたばかりの新緑は、まだ果てしないほど枝に茂り、春の落ち葉の清掃はまったく終わる気がしない。がこん、さっさ、がこん、さっさ。その終わらない葉を追いかけて、清掃員が一歩一歩、ゆっくり前に進んでいく。
永遠って、こういうものかしら。わたしは唐突に思いはじめる。終わらないもの、無限にあるもの、が永遠ではなく、果てしないほどあるように見えて、それでもいつか必ず終わりがくるものを、永遠と言うのじゃないかしら。果てしなく見えて、いつか終わりがくるのが永遠なら、わたしは死ぬまで永遠のなかで生きている。永遠のなかで一枚一枚葉を掃いて、一歩ずつ前に進むあの人は、あれはわたしではないかしら。

いづれ、無かったことになる

マンションの一階の真ん中に、手製の富士山柄がアップリケされた暖簾がさがる。暖簾をはらうと、縫い合わされた布の厚みで手が重い。階段数段おりて半地下の入り口へ。手前左手に傘入れ、自動ドアの引き戸、入ると左手に下足箱、フロントがあり、右手に小さなロビーがある。文京区の銭湯の催しの日らしく、入浴料460円を払うと、どうぞー、とこの銭湯「白山浴場」の名と外観のイラストが入ったタオルをもらう。
正面左手が女湯の入り口。壁沿いにロッカーと洗面台が並ぶ小さな脱衣所。催しの日だからか、下足箱はほぼ埋まり、脱衣所のロッカーも空きを探すのにしばらくかかる。こじんまりした脱衣所だが天井はそこそこ高く、フロントに面した壁の天井近くに、大きな書の横断幕のような作品が飾られている。
洗い場。右手に立ちシャワーのブースがふたつ、丁寧に入り口にシャワーカーテンがぶら下がる。壁の両脇にカラン、真ん中に島カランが一列。湯船は正面左手から、浅めぬるめの薬湯、深めの泡風呂、左手に座ジェットのあるほどよい深さ、の三つ。正面の壁にはよれよれの長方形のモザイクタイルのような物体で、孔雀の羽の模様が一面に描かれている。最近の銭湯にはめずらしく、若い母親と小さな子どもたちが何組か、ぬるめの薬湯とカランの前とを行ったり来たりで賑やかだ。
ロビーで汗がひくのを待つつもりが、テレビの前に置かれたふたり掛けソファは満席で、テレビの横に置かれた小さな冷蔵庫に缶ビールも見当たらない。居場所もないのでフロントで銭湯遍路の判子をもらう。ここは古いんですか、と聞くと、古いですよ、わたしが子どものころにはすでにあったので、50年か60年か、とまだ年若い彼女が言う。男湯も孔雀の羽なんですか、とさらに聞くと、わたし、あんまり、と語尾を濁しながら笑ったままの目が逃げる。
少しの風ではびくともしない重い暖簾をまたくぐる。暖簾の裏面は洗い場と似た孔雀の羽のアップリケで、はじに小さく「白山浴場」とオレンジ色で描かれている。そういえば表のどこにも銭湯の表記もなにもなかった。ただ道にうっすら焚き火のような匂いが漂い、マンションの裏手に四角い白い煙突が見え、桶をもった人たちが暖簾の先に吸い込まれていく後ろを追った。
東大横の弥生美術館で滝田ゆうを観た帰りだ。観たあとすぐに帰る気にもなれず、絵のなかの男のように町をぶらつき、ついでに銭湯に入りたかった。銭湯から一本先の大通りに出ると、共同印刷の赤いネオンが明かりの少ない町の空に浮かぶ。セブンイレブンで缶ビールを買い、桜が咲きはじめた播磨坂を飲みながらのぼる。
家を出るとき降っていた雪は、日が暮れたいま小雨に変わった。坂の途中、満開に近い一枝のしたで、立ち止まってビールを飲む。同じように植えられた桜並木でも、花の開きかたが違うのはどうしてだろう。さてこれからどうするか。坂をのぼって茗荷谷から丸の内線で帰ろうか。それともここからそう遠くない場所に引越した友人を飲みに誘おうか。
数年前に読んだ、林哲夫さんのブログに引用されていた、写真集『われ、決起せず』の写真家のことばがいまでもときどき頭をめぐる。
「全国に13ヶ所あるハンセン病国立療養所も、高齢化した入所者が次々と世を去っていくにつれ、あと10年乃至20年のうちにすべて消滅する。らい予防法が廃止された現在にあって、『絶対隔離・絶対断種』の時代は過去のものとなり、いま撮影したところで、見るからに苛酷な生活実態は写ろうはずがない。それでも、この世から消滅する直前にある療養所の静寂が支配する空気感は、それはそれで撮り残しておく必要があるのではないか。記録されなかったことは、いづれ、無かったことになる。」
東京大空襲で跡形も無く焼けた町・玉の井を、クソババアとまで書く厳しかった育ての母を、滝田ゆうは漫画のなかによみがえらせた。たぐいまれな記憶で描かれた幼い少年の眼から見えていた町と人々は、忘れられない日々として漫画に残されたが、あれが記録かと言われればどこか違う。
わたしが写真に撮れない銭湯のなかを覚えで書き残すのも、記録かと言われればやはり違う。ただ、わたしが見聞きしたものがいづれ、無かったことになる前に、滝田ゆうにははるかに及ばないまでも、留めておけない断片をつなげて書いて残しておきたい。
今日は2018年3月21日祝日で、桜が咲きはじめたのに雪が降り、滝田ゆうの展示を見て「白山浴場」に行きました。そして小雨の播磨坂で缶ビールを飲みながら、ひとりで桜を見上げました。
白山浴場:〒112-0001文京区白山2−7−1

端から端まで

山手線で目白から品川まで、京浜東北線に乗り換えて川崎で降りる。駅の西口からそのまま続く巨大なショッピングセンター、ラゾーナ川崎プラザの二階を抜ける。抜けた先はバルコニーのような場所で、駅前の景色から一転する、ショッピングセンターの裏手に広がるのっぺりと低い住宅地を見渡せる。そのなかに今日の銭湯「富士見湯」の煙突を見つける。
煙突を目印に、ビニール製の万国旗が空を飾るニコニコ通りを歩く。商店街の端と端に肉屋が二軒、一軒は軒先にベーゴマの台とコマと紐が用意され、もう一軒は軒先で焼き鳥を焼いている。八百屋、花屋があり、飲み屋がぱらぱら並び、なかほど右手に銭湯「富士見湯」が現れる。昔ながらの大きな煙突を背負った宮造りの外観、入り口右手にコインランドリーがある。
牛乳石鹸の暖簾をくぐる。正面に傘入れ、左右に下足箱。左手が女湯の入り口で、自動ドアの引き戸になっている。番台で入浴料470円を払う。番台の前にはぺらっと一枚暖簾が下げてあり、女湯へのゆるい目隠しになっている。格天井、真ん中に島ロッカー、左右の壁にもロッカーと名前入りの常連用ロッカー、マッサージチェアが二台、赤いお釜型の髪乾燥機が一台。洗い場への入り口右手に体重計、左手に仕切りのない三人分くらいのベビーベッドがある。
洗い場。入ってすぐ左手に立ちシャワーのブース、右手には介護用椅子の置かれたシャワーブース。両壁にカランと、真ん中に島カランが一列と半面。湯船は正面左手から、薬湯、浅く広い、深く小さい、の三つ。薬湯は壁に、天然鉱石、カルシウム、と書かれた琺瑯の看板が貼られ、あせもや神経痛に効くらしい。湯の特徴は、乳白、無味無臭と並んで、下によどまぬ、とあり、水を多めで作った薄めのカルピスのような色をしている。浅く広い湯船には仕切りがなく、左手に電気風呂、右手にジェットが二列ついている。
圧巻は、女湯の端から男湯の端まで、銭湯の横幅いっぱいある富士山のペンキ絵だ。男湯との仕切りの壁のうえに水色の富士山がどーんと、その裾野が空の水色にとけ、そのしたの海の青にとけていく。海には所々に松の生えた小さな島々、そのあいだを赤と白の帆のヨットが走る。右下に白いペンキで「ナカジマ」「2018.11.7」のサイン。左端の乳白色の薬湯につかりながら見上げると、水色の景色が横へ横へどこまでも続いて見える。ペンキ絵以外の壁や天井は真っ白、桟が水色、巨大な湯気抜きと合わさり、白と水色で彩られた教会のようにも天国のようにも思えてくる。
体を拭き汗がひいたところで、冷蔵庫から缶ビールを取り出し番台へ。入ったときは女将さんだったがいまは旦那さんが座っている。ここはいつからですか、と会計しながらたずねる。この建物になったのは昭和二十六年。それより前は別の人がやっていたけど、戦火で焼けちゃってね。その後うちがバラックで三年やって、それで二十六年からいまの。女湯のペンキ絵の場所はどこかとたずねると、男湯は石川の見附島だけど、女湯はうーん、暖簾で見えないからなぁ、と言いながら、もしかしたら空想の場所なのかもしれないね、と茶目っ気のある笑顔をこちらに向ける。
またニコニコ通りを抜け、線路下をくぐり東口に出る。線路際のラブホテル街、車の入れないアーケード街や小路、道に飛び出す飲み屋やキャバクラの看板、その隙間に神社仏閣の入り口もあり、西口の昼間の似合う景色とは違う、東口は人と夜の匂いのする、年季の入った景色が広がっている。
地図を見ると銭湯の数も東口のほうが数倍多い。それでも少なくなった、と東口のマンションの十一階に住むTさんが言う。まえうちのお風呂が壊れたとき、探したんだけど近くになくて。幼馴染がやってた銭湯も二軒つぶれたし。でも隣りのブロックに見つけてね。入りに行ったら、なかで胡瓜を食べるなとか、サウナでヨーグルトを食べるなとか、いろんな国のことばで注意書きがあって。ほら、この町は外国の人が多いから。
西と東で町の景色が変われば銭湯の景色も変わるのか。今度来たときは東口の銭湯へ。訪ねる楽しみが増えた。
富士見湯:〒212-0011川崎市幸区幸町4-2

鏡には映らない

新宿から京王線で幡ヶ谷まで。ゆるいBGMがかかる商店街を北へ抜け、この辺だろうと見当をつけたところを左に曲がる。住宅街のなかに目当ての銭湯「観音湯」を見つけるがシャッターが降りている。入り口横に店主入院のためしばらく休業の貼り紙。仕方なく、今日お邪魔する代田橋の友人宅に向かって二駅分、なるべく細い道を西へ西へとつないで歩く。まだ雪の残る巨大な駐車場の横、振り返ると新宿西口の高層ビル群がひらけた空の向こうにわっと迫る。
笹塚近くの路地の奥を歩いていると、マンションの一階に銭湯「栄湯」の看板を見つける。暖簾をくぐると正面に自動ドアの入り口、右手に下足箱がある。自動ドアの向こう、すぐ左手にフロント、右手にロビー、正面に男湯と女湯の入り口。入り口からゆるい段差が二段ほどで脱衣所へ。まん中に畳敷きの腰掛け。周りをぐるっとロッカーが囲む。洗い場への入り口右手に洗面台、左手に体重計、壁掛けの鏡、月極の有料ロッカーが並ぶ。
洗い場。入って左手に水風呂、通路を挟み、マンションの柱を囲むようにつくられた変形風呂があり、通路の奥には右手に露天風呂、左手に別料金のサウナがある。露天風呂は天井がよしずでおおわれ空は見えないが外の冷たい空気がやんわり感じられる。本日の湯は赤ワイン配合と壁にあり、カキ氷のイチゴシロップのような色をしている。変形風呂には湯が噴出すジェットがふたつ。奥がハイパーで背中に強力な、手前がマッサージで両脇からと、それぞれ湯が噴出す場所と威力が違う。ジェット系はどちらも人気で、空いたそばから次の人が埋めていき、ジェットのあたる位置にあわせて体を上下させている。
右手の壁と、変形風呂にくっつく壁に沿ってカランが並ぶ。カランの前には桶と椅子がセットで置かれ、シャンプーとボディソープのボトルも備え付けられている。脱衣所も洗い場も小さめだが、新しい設備と暗めの照明が、銭湯というよりどこかいい旅館の大浴場にいるような気分にさせる。
今日第一日曜日は入浴代が無料になる渋谷区の高齢者入浴デーのようで、脱衣所ではロッカーを、洗い場ではカランの空きを、次から次に来る人たちが待っている。早めにあがり体を拭いていると、洗面台の鏡に背を向けている老女がいる。白く垂れた尻を鏡に映しながら、あちこちさすっている。寝ると痛いのよ寝ると、と誰に言うでもなく尻をさする訳を言う。つられて尻を見、見た感じはなんともないですけどね、とつい出たことばをさえぎるように、鏡に向けられていた目がこちらを見つめる。いろいろあるのよ。いろいろね。
ロビーのソファに腰掛け汗がひくのを待つ。変形風呂と同じく、ロビーもマンションの柱の周りにぐるっとある。奥に有料のマッサージチェアが二台と、飲料水の冷蔵庫ではなく自動販売機が置かれている。柱には温泉の成分の貼り紙があり、銭湯遍路の判子を押してもらいながらフロントの女性にたずねると、くみ上げて沸かしている温泉なんですよ、と教えてくれた。外に出ると下足箱の前でも人が待っている。空くのを待ちきれない客がフロントに声をかけ、もらったポリ袋に靴を入れて入店していく。
また細い道を西へ歩く。沖縄料理の店が集まる沖縄タウンを抜けて代田橋の友人宅へ。今日は仙台から来た友人がセリ鍋をご馳走してくれる日だ。ボウルにはった水のなかにセリを沈め、歯ブラシと指先で根っこについた土を丁寧にとっていく。具はセリと鶏肉だけ。醤油の濃い目のだし汁に、セリの葉と根っこをしゃぶしゃぶして食べる。鍋に葉物を入れるとつい煮込み過ぎてしまいがちだが、こうして食べるとセリの苦味と歯ごたえを隅々まで味わえる。
アイルランドの映像と、ドライブイン特集のテレビと、「帰ってきたウルトラマン」の問題作をつまみに、セリ鍋と代田橋の友人の手料理を楽しむ。酒がすすむにつれ、親の理不尽さ、やっかいな隣人、体の不調、とそれぞれのいろいろあるがぽつぽつこぼれる。酒でこぼせるいろいろあるのそのうしろに、鏡にも映らないいろいろあるがどれだけあるのか。向けられたまなざしを、思い出すと息が苦しくなっていく。
渋谷笹塚温泉栄湯:〒151-0073東京都渋谷区笹塚2-9-5

うらわ稲荷湯

浦和駅西口に降り、日が落ちて灯る飲み屋の明かりを追いかけて小さな路地をぬって歩く。昼間の町の賑わいもいいが、夜の賑わいのなかを歩くのは格別に楽しい。道の向こうの歩道を歩く女に、こちらの歩道の女がこっちこっちと手を振っている。どちらも着飾った年配の女たち。横断歩道を渡ってこちらに来た女に、手を振る女が肩に手をおき声をかける。今日もきれい。オーラがきれい。
旧中仙道を北浦和方面に歩く。新刊本屋の須原屋本店の裏手、セブンイレブンのある路地裏に、銭湯「稲荷湯」がある。細い路地に囲まれた、昔ながらの大きな銭湯。瓦屋根のしたの懸魚は羽ばたく鶴が一羽。外の壁に「ランステ登録店」の貼り紙。公衆浴場と彫られた刷りガラスのしたを抜けると、右手と正面に下足箱。どちらも鍵は桜錠だが右手が黒色、正面が赤色のペンキで数字が記されている。左手にガラス戸の入り口、入ると正面奥にロビー、右手に手前から女湯の入り口、フロント、男湯の入り口と並んでいる。
入浴料430円。東京よりも30円安い。女湯の暖簾をくぐる。格天井。ロッカーも桜錠。壁沿いのロッカーとロッカーのあいだに便所の入り口。洗い場への入り口の右横に、乗るとガチャンと音のなる昔ながらの体重計。体重計の横に、3人分くらいの仕切りのないベビーベッドがある。
洗い場。入ってすぐ左手に立ちシャワー。真ん中に島カランがひとつ。右手に水風呂。正面左手から、座ジェットのある深め小さめの泡風呂、か細いジェットが二本噴出す浅め広め、サンルームのようなガラスに囲まれたヒノキ風呂が並んでいる。ヒノキ風呂だけやけに厳重な、とガラス戸を引くとわっと木のいい香りが漂う。一畳ほどのヒノキ風呂と、浅め広めの湯がここでは人気のようだ。
正面、湯船のうえの壁は、下半分が味のある青系のごつごつしたタイル、ところどころに鳥と魚のタイルがはまる。そこからうえはなぜかミッキーマウスの半立体のプラスチック壁掛けが貼られている。真ん中の大きなミッキーマウス、右手のドナルドダック、左手のミニーマウスが、薬師如来像の脇の日光月光のように並んでいる。男湯と女湯を分ける壁は紺色のプラスチック仕様で、奥から親子のパンダの図と、扇で舞う女と鼓を打つ女、ふたりの間にピンクの花びらが散っている図で、正面のミッキーともども見たことのない取り合わせだ。
湯につかりながら天井を見る。古い銭湯特有の巨大な湯気抜き。ここの銭湯はとくに大きく天井が高い。関東の銭湯特有の贅沢な空間だと見上げるたびに思う。
ロビーのソファで汗がひくのを待つ。テーブルのうえには外の壁に貼ってあった「ランステ」のパンフレットが置かれている。「ランステ」は銭湯ランニングステーションの略で、入浴代430円を払うとロッカーに荷物を預けられ、そのままランニングなど外で体を動かしたあと銭湯に戻り、入浴も着替えも出来るという、運動する人たちにはとてもありがたいサービスだ。パンフレットには見開き片面に銭湯の情報と、もう片面にその銭湯から行けるランニングコースを地図入りで紹介している。
稲荷湯には缶ビールが売っておらず、そばのセブンイレブンで今日の一本目を買う。飲みながらなかまち商店街を駅に向って歩く。以前、宮本くんに連れてきてもらった立ち飲み屋の前を抜け高架下に出る。さてどこだろうと見渡すとすぐ目の前に目指す店があった。
店に入ると満席で、四人ほど椅子に座り待っている。横に腰掛け店内を見渡していると、ユニフォームを着た宮本くんがフロアを行ったり来たり、こちらに気がつき驚いている。しばらくすると席が空き、大き目の相席テーブルに案内される。注文を取りに来た宮本くんに瓶ビールを頼むと、いま生が安いですよ、と教えてもらい、生ビールとつまみにネギチャーシューをお願いする。夜8時過ぎ、客は仕事帰りのサラリーマンがほとんどで、ラーメンや定食をつまみにひとりまたは固まりで飲んでいる。
こちらを気にかけてくれる宮本くんが、たびたび注文を取りに来てくれる。餃子を、とお願いすると、ぎょーざー、広東麺をお願いすると、かんとーん、と厨房に向って大きな声を通してくれる。生ビール2杯、ネギチャーシュー、餃子、広東麺、しめて1880円。レジを打つ宮本くんに会計を払う。どうしてだか浦和や桶川で会うとき、ふだん小さな宮本くんの声が隅々までよく聞こえる。
稲荷湯:〒330-0062埼玉県さいたま市浦和区仲町2-18-2
http://www.city.saitama.jp/004/006/002/p050360.html