断片日記

断片と告知

夏期講習

夏が終わる前に、思い出したことを書いておく。
私が通っていた高校には、出たい生徒が好きに参加できる夏期講習というものがあった。受験対策の夏期講習だとは思うのだけれど、本気で受験する人たちは予備校の夏期講習に通うわけで、この高校の夏期講習は、なんとなく受験、なゆるい生徒たちが、ゆるく勉強する場所だった。その、ゆるい生徒のうちの1人だった私も、なんとなく申し込み、なんとなくいくつかの講習を受けていた。そのうちのひとつが現国の講習だった。マンモス高校で、現国の先生が何人かいたため、はじめて教わる先生だった。教わるのははじめてでも、顔だけは知っていた。まだ若い、30歳前後の、幼さの残るかわいらしい顔にお洒落なメガネをかけ、女子だけのこの高校で、バレンタインデーに生徒からチョコを貰うような、なかなか人気のある先生だった。
この現国の夏期講習の最後の日、唐突に先生は言い放ったのだ。「山田詠美は、SMの女王様だとか、ホステスだとか、いろいろ言われていますが、僕は、彼女の書いた小説はとてもいいと思う。」と。週刊誌か何かで、そんなゴシップが騒がれていたのは、その頃だったか。ちょっと前だったか。この1週間、普通に現国の講習をし、なぜ最後にいきなりこんなことを言い出すのだ、と教壇を見ると、真面目な顔をした先生が、尚もとうとうとエイミー先生への愛を語っている。そして、前から回ってきたプリント用紙には、エイミー先生の経歴からその頃出版されていた作品の紹介、そして確か「蝶々の纏足」からの文章の引用が、長々と記されていた。この日の講習は、みんなでこの「蝶々の纏足」を読み、その作品に対する先生の愛を聞いて、終わった気がする。
この夏の講習で、何を勉強したかはいっさい覚えていないのに、この最後の日のことだけは、今でもたまに思い出す。あの、名前も顔ももうはっきりと覚えていない現国の先生。今でも唐突に、作家への愛を語り、そこにいる生徒全員から、はぁ?、っていう顔をされていますか。されているといいな。先生の、今のお薦めの作家は、誰ですか?