断片日記

断片と告知

A

13時少し前、緑道を歩き、ギャラリーに行く。銀杏の木が、昨晩見た時よりも小さくなっている。午前中に作業をしたのか、細い枝も太い枝も、ほとんどの枝がはらわれて、幹だけの姿になっている。昨日と違って暖かい今日、ギャラリーの外にある小さなウッドデッキに胡座をしき、借りた本、古書Ⅱ、を読む。電ノコの、重い鈍い音がするたびに、ページをめくる手を止める。緑道に立ち、少しずつ短くなっていく銀杏の幹を見る。上の方の細い幹から切り取られ、切り取られた幹はロープで降ろされ、下にいる男たちにさらに小さく切られていく。のこぎりをあてられるたびに飛び散る木屑が、血しぶきのように見える。うちの近所では大きな木を切る時は神主を呼んでお祓いをするもんだけどな、エアコンの修理に来たおじさんがぽつりと言う。
何人かの友人や知人が訪れて、絵を見て、話し、また帰っていく。閉廊時間ぎりぎりに、20代の頃に通っていた絵の学校の恩師、星先生が訪ねてくださる。時間ぎりぎりになったのは、緑道で迷われ、何度も往復したからだ。絵の学校は、曙橋にあるセツ・モードセミナーという学校で、20歳から25歳までの5年間、私はここに通っていた。その頃のセツ・モードセミナーには、長沢節先生がいて、星先生がいて、初川先生がいた。水彩画の授業では、授業の終わりに描いた絵を教室の壁に張り出して、講評会がおこなわれる。細長い指示棒のようなものを片手に持ち、先生たちは絵を見ていく。良い絵は、指示棒でびしりと指され「A」と言い渡される。「A」は発音すると「エェー!」となり、ものすごく良く描けている絵だったりすると、その「エェー!」の迫力も増す。「A」をもらった日はうれしくて、もらわなかった日は悲しかった。
星先生に、ギャラリーに飾ってある、青い川と橋の絵を誉められる。この白の抜けがいいね、この絵はいいね。この絵は「A」ですか?「A」だよ。10数年ぶりにもらった「A」を、大事に抱えて家路に着く。