断片日記

断片と告知

先走りじゃない仙台2日目

メグたんを起こす健一さんの優しい声と、ぐずってなかなか起きないメグたんの声で目が覚める。前野さんちのベランダから、目の前に広がる山並みと広瀬川を見る。このベランダは朝でも夜でも本当に気持ちがいい。
10時過ぎに前野さんの家を出て、仙台駅前に買い物に行く。買い物を済まし、駅前の大きな歩道橋の上を歩いていると、ジュンク堂仙台ロフト店の佐藤さんが向こうから歩いてくる。これから火星の庭に出勤ですか、と聞かれ、そうこれからみんなで鮪の中落ち御膳食べに行くの、と返す。いいなー、と言う佐藤さんと別れて火星の庭へ行く。昼過ぎ、車組み第一陣の立石書店ブルゴーニュ岡島さんと古書往来座の瀬戸さんが到着し、すでに午前中の新幹線で仙台入りしているハルミンさんと古書現世のパロパロ向井と仙台駅前で合流する。車組み、新幹線組み、先着組み、が揃ったところで前野さんお薦めの鮪の中落ち御膳を食べに行く。前回の先走り仙台ひとり旅でも食べたこの中落ち御膳。何度食べてもものすごく美味い。横に座る瀬戸さんは、ただ黙々と、わさびもつけず箸を動かしている。
店を出て5人とは一旦別れる。みんなは青葉城観光へ、海の見たい私は塩釜松島を目指す。仙台駅から仙石線に乗る。仙石線は、せんせきせん、と読む。電車に乗った瞬間に流れるアナウンス、お降りの方は開けるボタンを押してください、押さないとドアは開きません、自動では開きません、に緊張する。ドアを見る。「開ける」ボタンと「閉める」ボタンがついている。駅に着くとこのボタンが光だし、光っている間に押せばそのドアは開く、という仕組みらしい。本塩釜駅で降りる。慣れない仕組みに臆した私は、誰かの開けたドアから降りる。次こそは、と思う。
本塩釜駅を出ると、神社はこちら、と看板が出ている。神社とは塩竈神社のことで、前野さん、佐藤さんのどちらもが、あそこは気持ちがいいから、と薦めてくれた場所。駅前のロータリーを抜け、塩竈海道沿いを塩竈神社目指して歩く。仙台市内と違い、この街には古い建物が残っている。目立つのは酒造元の古い建物で、その内のひとつに、杉玉につられて店の中に入る。杉玉は、新酒ができました、という酒屋からのお知らせだ。ガラガラと重い木の引き戸を開け、棚に並ぶ酒瓶を眺める。まだ散歩の序盤、一升瓶を抱えて歩くのはシンドイだろうと、小さな瓶をひとつ選ぶ。酒造の名前入りのお猪口もあったので、これも買う。東京に帰ったら魚でも焼いて、この旅を思い出しながら飲もうと思う。
塩竈神社の表参道の大きな鳥居の前に立つ。ここか、と鳥居の後ろを見ると、ものすごい石段が山の上まで続いている。202段。文字にするとそうでもないが、目の前に一直線に連なる石段は、相当迫力がある。古い石段は歩幅もまちまちで、どれだけの人がここを歩いてきたのか、石も斜めに磨り減っている。一歩一歩、噛みしめるように登っていく。石段の両脇には太く真っ直ぐな杉の木が、どこまでも高く空に向かって伸びている。山頂にある塩竈神社へお参りし、また街に戻る。
塩釜駅そばにある、ふれあいエス塩竈、へ行く。この中には、雑誌「ガロ」の編集長だった、長井勝一漫画美術館、がある。入場料無料というのがうれしい。部屋に入るとすぐ、長井勝一氏を偲ぶ会における寄せ書き、がある。その横には、生前アラーキーが撮影した遺影が飾られている。生きているうちに遺影を撮ってもらいたい。その長井さんの顔を見る。頬杖をつき、静かに笑っているような、とても優しい顔をしている。
壁にある年表を見ながら、その下のショーケースも見る。ショーケースには、ガロ連載人の原画が作家別に並べられている。白土三平の「カムイ伝」を連載するために「ガロ」をはじめたというのはなんとなく知っていたが、「ガロ」という雑誌名も白土三平の作品「風魔のガロ」からとられたとは知らなかった。
昭和39年9月「ガロ」創刊。B5判、定価130円、部数8000部。それが2年後の41年暮れには、刷り部数80000部、返品率7パーセントになっている。「ガロ」が普通に売れていた時代、というのがあったのだ。
壁に並ぶ「ガロ」の表紙を見る。はじめの頃は白土三平一色。そこに水木しげるが混ざり、永島慎二滝田ゆう林静一、と時代の顔が並んでいく。赤色エレジーの頃の、林静一の描く花の絵の表紙が、一番好きだ。
漫画家から長井さん宛てに送られた年賀状を見る。赤瀬川原平の賀状はどれも面白く、その中でも、おそらく千円札事件の年、と思われるものが一番面白い。
長井勝一漫画美術館は大きめの一部屋だけで、部屋の中央に半円形の本棚がある。そこには、「ガロ」関係の漫画家の単行本、「ガロ」関係の資料、漫画関係の評論本、がずらりと並び、直接手に取って読むことが出来る。椅子もある。のに誰一人読んでいる人がいない。塩釜の人たちは、これがどれだけ凄いことか、恵まれているのか、わかっているのだろうか。こんなものが近所にあったら、弁当持参で開館時間から閉館時間まで居座る。私なら。旅先の、しかも塩釜という滅多に来られない場所にこれがあることが、本当に悔しい。
本塩釜駅に向かって、行きとは違う道、本町通り、を歩く。駅で貰った地図に、ノスタルジックな商店街、と紹介されていたからだ。行きに通った塩竈海道よりも、もっと庶民的な商店街が続いている。駅前そばの一画には魚屋がぎっしりと並ぶ狭い路地もあり雰囲気がある。
駅を越えて、マリンゲート塩釜、へ向かう。ここは松島まで行く遊覧船が出ている場所で、小さな島々の間を船で周りついでに松島まで行るのは素敵だな、と浮かれていたのだが、塩釜の街を歩きすぎ、港に着くとすでに最終の船は終わっていた。
仕方がないので、本塩釜駅まで戻り、再び仙石線で松島海岸駅へ行く。途中、電車の車窓から海と海の中に点在する島が見える。座席に座りながら正面の窓枠の中いっぱいに広がるそれはとても贅沢な景色なのだが、乗客の誰一人として見ようとしない。毎日この電車に乗っていれば、こんな景色も日常になってしまうのか。
松島海岸駅の改札を出ると、小さなロータリーがあり、その向こうに海沿いの公園がある。公園の向こうには松島の海が広がっている。小さな島がいくつもいくつも浮かんでいる。海を横目で見ながら公園の端まで歩く。小さな島の上にお堂が乗っているのが見える。この「五大堂」と呼ばれる小さなお堂に行くには、朱塗りの透かし橋を渡らなければならない。透かし橋は、足元の木の板が間を空けて並べられており、板の隙間からは下の海が見えている。子どもの足なら隙間から落ちるかもしれないが、大人のしかも登山靴を履いている私の足は落ちようがない。目の前を歩くカップルが、うれしそうにしがみ付きながら歩く姿を羨ましく眺め、しがみ付く相手のいない私はどかどかと橋を渡る。
伊達政宗が再建したという今の「五大堂」は、瓦屋根と木の素材そのままが美しく、小さいながらも凝った彫りがいくつも見える。「五大堂」の周りのベンチに座り、松島の海を見る。ハルミンさんに、俳句を詠んできてよ、と言われていたのだが、何の句も浮かばない。橋で渡れる近くの島もあれば、船でないと行けない遠くの島もある。人の住んでいる島も、いない島も、人より猫の数が多い島も、いろんな島がここには浮かんでいる。いつか周れたら、と思う。
松島海岸駅に戻り、ホームのベンチに座りながら電車を待つ。どこかから、ムトーさーん、と声がする。こんな場所に知り合いがいるはずもないだろうと無視していると、目の前に魚月の2人組みが立っていた。2人は松島で遊覧船に乗っていたそうで、まさかこんなところで会うとはね、と驚く。火星の庭の場所がわからないという2人を連れて、仙石線に乗り仙台駅から火星の庭を目指す。19時までに火星の庭に着かないと岡島さんに怒られる、と怯える2人を見るのが楽しい。
19時過ぎから明日の古本縁日のための設営に入る。いつもの古本市と同じ、棚を作り、本を並べ、出しやすいように店内に設置していく。メグたんは、本の運び出しも、棚入れも、みんなに混じり普通に手伝っている。縛ってある本をがしがしと運ぶ6歳児をみんなが眩しい目で見ている。メグたんは小さな本を見て、これ豆本でしょ、という。ひさうちみちお知ってる、とも言う。メグたん、君はどんな大人になるのだろう。
設営も終わり、前野さんお薦めの牛タン屋へ行く。牛タン屋のある国分町は、酒とエロスな店の密集地帯で、小さな場所での密集率は日本一だという。そんな街の中の雑居ビルの2階にお薦めの牛タン屋「近藤商店」はある。ビルにも、店の入り口にも、看板は一切出ていない。一見さんお断り、知る人ぞ知る店、それが近藤商店だ。外の素っ気無さとは裏腹に、店内は壁も天井もミュージシャンのポスターで埋め尽くされ、ポスターにも、空いている壁にも、サインがびっしりと書き込まれている。
大きなテーブルいくつかをわめぞ民と仙台民が囲む。テーブルの上には1人1本ずつラップに巻かれたトウモロコシがお通しのように置いてある。なぜモロコシが、と思うが食べてみると甘くてうまい。横に座るメグたんは、タコだかホヤだかの辛みそ和えを、からい、と言いながらもばくばく食べている。メグたん君はいったい、とまた思う。シーザーサラダ、海苔のぱりぱり揚げ、そして牛タンの串焼き、さらに牛タンのシチュー。どれもこれでもかというくらいの大皿に大盛りで胸がときめく。そして、前人未到の牛タンの分厚さと柔らかさ。今まで食べてきた薄っぺらく固い牛タンはいったいなんだったのかと。ニセモノだったのかと。コロンブスが新大陸を発見したときもこんな気持ちだったのかと。そしてシメのナポリタンの激うま加減。胸が熱い。
今夜からはわめぞ民と共に合宿所生活に入る。火星の庭から歩いて15分くらいのところにある1軒屋。下の部屋を男子部屋に、上の部屋を女子部屋にする。広い畳の部屋にみんなで布団を敷いてゴロゴロするのがとても楽しい。車の運転で疲れていたブルゴーニュ岡島さんが、一番乙女な部屋に1人で篭り、とっとと寝ているのが可笑しい。