断片日記

断片と告知

ノラへ

毎月我が家には、月刊誌の「WiLL」が届く。右翼と左翼の違いもよくわからない私の元へなぜ届くかといえば、古書現世向井透史の連載「早稲田古本劇場」の題字を描いているからだ。連載「早稲田古本劇場」には古本屋とその周辺の日々のことが、淡々とした文章で綴られている。先月号と今月号には、古書現世の店番猫・ノラのことが前後編で書かれている。それを読み、私は私の中のノラのことを、書いてみようと思う。
早稲田の古書現世には店番猫がいる。名前はノラという。名前の由来は元野良猫だから、と店主から聞いた気がする。いろんな店でかわいがられ、かわいがる人や店によって違う名前で呼ばれていたが、10年くらい前から古書現世で飼われるようになった。元野良猫なので正確な年齢はわからず、たぶん20歳くらい、と店主はいつも答えていた。ほっそりとした小さなかわいらしい雌猫だった。
古書現世に遊びに行くと、必ずノラがいた。誰にでも愛想のいい、人に触られるのを嫌がらない、店番猫の鏡のような猫だった。人の手や指を舐めるのが好きで、ざらざらとした猫の舌で、皮膚が赤くなるまでよく舐められた。ノラの寝床はレジ机の横、在庫なんだか書タレなんだかわからない本の山の上だった。夏はタオルがぺろっと敷かれ、冬はカマクラ型の猫ベッドが置かれていた。カマクラ型の猫ベッドは本の山の上からずり落ちないように、やはり在庫なんだか廃棄待ちなんだかわからない百科事典の塊にビニール紐で結ばれていた。店主の優しさと雑さが混じるそのいい加減な紐を見るたびに、いつもなんだか可笑しかった。
よく店主に甘えていた。人の手を舐めるのにも飽きると、レジ机の上から突き出た店主の腹によじ登り、胸に寄りかかり、頭をごりごりと店主の顔に擦りつけていた。店主は嫌がりもせず、よしよしと、ノラの背中を叩いたり撫でたりしていた。その姿は、飼い主と猫というよりは、お父ちゃんと子供のように見えた。まだ店主と知り合ったばかりの、店に遊びに行ったはいいが何を話していいのかよくわからなかった頃、ノラは会話の隙間を埋めてくれた。ノラの背中を撫でていれば、ノラに手を舐められていれば、ノラが店主に甘える姿を見ていれば、余計なことは言わずにすんだ。そういう人はたぶん私だけではない。
毎年、夏と冬に1度は死にかけるんだよ、と店主はよく言っていた。老齢な体には、暑さと寒さが身に応えるのだ。それでも、去年も一昨年も大丈夫だった、だから今年も大丈夫だと、ノラの具合の悪さを聞いてはいたが、なんとなくそう思っていた。
8月のある日、古書現世に遊びに行った。やっぱりノラは店にいて、あぁよかったとノラの顔見ると、目が見えていないようだった。ノラ、と名前を呼んでも、聞こえていないようだった。本の山の上のノラの寝床は、いつの間にか、レジ横の床に移されていた。床に敷かれたタオルのそばに、ノラの水飲みも置かれていた。高いところに飛び上がるのはもう無理なようだった。体を撫でるとやっと誰かがそばにいるのに気づいたようで、こちらのほうをついと見たが、目がどこを見ているのかがわからなかった。手も指も、もう舐めることさえしてくれなかった。それでもノラなら大丈夫、とまだなんとなく思っていた。
9月だか10月だか忘れたが、また古書現世に遊びに行った。ノラの姿も見えず、ノラの寝床もなくなっていた。あれノラは、と聞く私に、言ってなかったっけ?旅立ったよ、と店主は答えた。ずっとよぼよぼだったけど、最後はすくっと立ち上がって出て行ったよ。今まで具合が悪かったのが嘘みたいに。それ以来帰ってこない。
戸を開けたら戻ってこないことを知りながら、それでもこの人は戸を開けたのかと思うと、もう何も言えなくなった。