断片日記

断片と告知

廃業と絶筆

地元のよく行く銭湯でない限り、いつ銭湯が廃業するかを事前に知るのは難しい。ある日突然どこかで廃業の知らせを見るか聞くかし、慌てふためき、どうして行かなかったのかと悔いる。
谷中の銭湯「世界湯」の廃業の知らせを事前に知ることができたのは、そこが「志ん生」が通っていた銭湯だからだ。東京新聞WEB版の「志ん生の銭湯 10日お開き 老朽化進み 落語家ら惜しむ声 東京・谷中『世界湯』」と書かれた記事を2月6日に読み、2月10日の廃業のその日に、世界湯に行った。
夕方から降りだした、傘をさすかささないか迷うような弱い雨の中、上着を濡らしながら、谷中の銭湯「世界湯」へ行く。日暮里駅から夕焼けだんだんへ、谷中銀座を通り抜け、突き当たりを右折。1本目の路地をまた右折すると右側に、銭湯「世界湯」はある。屋号は出ていない。左手にコインランドリー。正面に、銭湯浪漫、と描かれた暖簾がひらりとさがる。暖簾をくぐると右手に傘入れ、左手に下足箱、正面に自動ドアの引き戸の入り口。自動ドアの奥にはフロント、フロントの両脇に男湯と女湯の暖簾がさがり、右手にソファーセットの置かれたロビーがある。
フロント右手が女湯。脱衣所は格天井。籐製のベビーベッド1台、髪を乾かす椅子1台、ハイテク体重計1台、洗濯機2台、とロッカーが、真ん中に置かれた縁台を囲むように壁に沿ってバラバラとある。壁に貼ってある閉店のお知らせには、昭和25年7月の開店、とあるが、あちこち改装され、あまり古さを感じさせない。
洗い場に入る。島カランは真ん中に1列。正面奥に湯船。深くて小さいものと、浅くて広いもののふたつ。広いほうの湯船は洗い場に向かって少しだけ湾曲しせり出している。お湯は熱く、壁の温度計は48度をさしている。そして湯船の上、正面の壁には、男湯と女湯をまたぐようにしてある大きな富士山の、圧巻のペンキ絵がある。今までいろんな富士山のペンキ絵を見てきたが、この富士山、色といい形といい雲の入りかたといい周りの景色といい空の抜けといい、何もかも素晴らしい。富士山の裾野の下には海と松林が広がり、水平線近くには小さな島がふたつと白い帆のヨットの影が無数にあり、世界丸と船体に名前の入った漁船も1艘、そして薄紫色の砂浜には櫓のついた木の船が2艘ある。ペンキ絵の左下には、美保海岸、と白ペンキで描かれている。
湯から上がり、フロントで銭湯遍路の判子をもらいながら、ペンキ絵について訊ねる。ここ世界湯のペンキ絵を描いたのは、東京に3人しかいないペンキ絵師のひとり、早川利光さん。早川さんは2年ごとに新しい絵を描き、いまの富士山の絵を描いたのが2008年の6月。そして翌2009年4月に早川さんは亡くなり、この美保海岸の富士山が最後の作品なのだと、フロントに座る女将さんに教えていただく。廃業する銭湯で、廃業するその日に、ペンキ絵師絶筆の富士山を眺める、という稀有の経験。
ロビーのソファに座り、ぼんやりと最後の日の銭湯を眺める。入れ替わり立ち代りやってくる近所の人たち。寂しくなるね、今日は内風呂たかなかったわよ、長い間ありがとね、と女将さんと言葉を交わしていく。廃業の日にぽっとやってきて、やめるのは寂しいよ、とは口が裂けても言えないが、それでも、もうあの富士山が見られないのか、明日来ても暖簾がさがっていないのかと思うと、寂しくてたまらない。
東京新聞WEB版より転載。

志ん生の銭湯 10日お開き 老朽化進み 落語家ら惜しむ声 東京・谷中『世界湯』
2010年2月6日 13時53分
「ここが志ん生さんの“指定席”でした」と話す綾部幸子さん
 戦後から高度経済成長期にかけ、自由奔放な高座で聴衆を魅了した落語家、古今亭志ん生(一八九〇〜一九七三)が愛した銭湯「世界湯」(東京都台東区谷中)が十日、閉店する。昭和の大看板の面影を求めて落語ファンが訪れる下町の隠れた“名湯”は、惜しまれながら六十年の歴史に幕を下ろす。(社会部・井上幸一)
 世界湯は、一九五〇年開業。翌年、歩いて数分の荒川区西日暮里に志ん生が引っ越してきた。
 「息子の(金原亭)馬生さん、(古今亭)志ん朝さん、まだ小さかった孫の池波志乃さんとも来ました。志ん朝さんは気さくで、幼かった私の息子に、自動車の絵などを描いてくれました」。六〇年に世界湯の跡取りへ嫁ぎ、番台に座った綾部幸子さん(75)はそう懐かしがる。
 翌六一年、志ん生脳出血で倒れて体が不自由になったが、以前にも増して常連に。家の風呂は狭くて入りづらいと、弟子に背負われ、開店と同時に一番風呂を浴びに来た。
 「洗い場に入って左側の奥が“指定席”。うちは熱い湯で有名なのに、頭にタオルを乗せ、気持ちよさそうにつかっていた」と幸子さん。「『今の若い連中は、節約しないから困るねえ』なんて言っていた。くつろいでほしかったので、さりげなく接した。写真も撮っておらず、足跡は何も残っていない」
 それでも志ん生の死後、評伝などに世界湯でのエピソードが記されると、中高年の落語ファンらが訪れるように。番台は、平成になりカウンターに変わったが、洗い場、湯船は昔のまま。“指定席”を教えると、とても喜ばれた。
 「ボイラーや配管が老朽化し、建て直すとお金がかかる。夫も八十歳。お客さまには申し訳ないが、ゆっくりしたい」と幸子さんは閉店の理由を話す。
 落語家の間でも閉店が話題になり、「残念だ」との声がしきり。若手のころ、志ん生を背負って世界湯に通った古今亭円菊さん(81)は「師匠の全身を洗わせていただいた、思い出深い銭湯。志ん生ファンだけでなく、地元の方々もがっかりされているのではないか。本当にさみしい思いです」と語っている。
東京新聞

世界湯
(銭湯マップ番号 1)
清潔をモットー、駐輪場10〜15台完備
東京都台東区谷中3−13−14
03-3823-4932
営業時間 15:15〜24:15
定休日 木曜
世界湯
※2010年2月10日、廃業