断片日記

断片と告知

月の湯でした

朝8時半、目白台の銭湯「月の湯」へ行く。脱衣所と洗い場が本と雑貨で埋まる空間を見て、前日の搬入を手伝えなかったことを悔やむ。外は重たい曇り空だが、洗い場の天井はいつも高くて水色で、見上げると黒と朱の鯉のぼりが2匹、気持ちよさげに泳いでいる。女湯と脱衣所は古本と雑貨、そして男湯は富士山のペンキ絵を眺めながらお酒が飲める喫茶スペースとして、今日1日使われる。その喫茶スペースを取り仕切るスナック生意気の豆子ママが、男湯の鏡を前にして開店前の化粧なおしに忙しい。スナック生意気のイメージどおりの、怪しくチープな水色のイヤリングを耳につけ、目の周りを薄墨色で縁取り、80年代風のまっすぐな紅を頬にさす。豆子ママの回りでは、スナック生意気の女の子たちが、ママの化粧についてのあれこれでかしましい。私はママの隣りに座り、人差し指の腹でママの頬にのる紅をぼかす。学校や会社の女子便所で、いつまでも鏡の前から離れない女たちを鬱陶しく思っていたが、こうしてその輪の中に入ってしまえば、一生懸命な女たちを愛しく思う。
10時、「月の湯古本まつり」開店。開店直後は古本好きのお客さんたちが、昼近くからゆっくりと一般のお客さんたちが増えていく。脱衣所の男湯と女湯を仕切る壁が可動式になり空間が広く使えるようになったお陰で、前回よりもゆったりと古本を見ることができる。雑誌「HB」を編集している橋本君が遊びに来る。「月の湯」のあちこちにカメラを向ける橋本君をつかまえて、富士山の前で写真を撮るよう強要する。普段入れない男湯の富士山のペンキ絵の前に立つ自分の写真が、どうしても1枚欲しかった。
スナック生意気の豆子ママは、お酒を出したり、お菓子を売ったり、テレビの取材を受けたりと忙しい。豆子ママの決め台詞、あんた生意気よ!を取材しているテレビ局に向けて言って欲しかったが、さすがにそれは適わず。豆子ママのファンたちが、ママ来たよー、とうれしそうに話かけている姿がかわいらしかった。
2年前の高円寺・コクテイルでの石田千さんと魚雷さんのトークショーのとき、あの9900円飲み食いした夜、たまたまカウンターの隣りに座っていたというIさんが遊びに来てくださる。2年前のコクテイルで初対面のIさんをつかまえ、たまたま隣りに座っていたからという理由だけで、私は酔っ払って適当なことを話したらしい。それを覚えていてくださり、こうして遊びにも来てくださる。Iさんは大学生の頃、1976年から80年までの4年間、雑司ヶ谷2丁目に下宿をしていた。その頃撮ったという写真を、わざわざスキャンし、紙にプリントして持ってきてくださった。懐かしい、私が子どもの頃見ていた、都電の脇の道と、商店街が、写真の中に残っている。今も雑司ヶ谷2丁目にある銭湯「高砂湯」の、建て替える前の姿を見られたことが一番うれしかった。湯上りの若者らが近くの公衆電話から故郷や恋人に電話をしている光景があった、と写真の横に書かれたIさんのコメントが切なくていい。早稲田大学に通われていたというIさんと、「メルシー」と「熊ぼっこ」で飲む約束をして別れる。近いうちに、学生時代に高田馬場に通っていた人たちを集めて、「メルシー」のラーメンを食べ、「熊ぼっこ」で飲み明かしたい。
夕方、4時「月の湯古本まつり」閉店。5時半から銭湯の営業がはじまるため、迅速な撤収作業がおこなわれる。すばやく動く人たちを尻目に、こういう場所で動けない人たちと目が合い苦笑いする。前日の搬入に立ち会えなかったから勝手がわからないというのもあるが、立ち会えなくても動ける人は動けるもので、塩山さん、魚雷さん、私と、こういう場面でいつもは隠されている社会への不適応さが露出する。すばやく動ける人たちのお陰で、1時間もかからずに「月の湯」は元の銭湯に戻る。がらんとした銭湯を眺めると、さっきまでの古本まつりが嘘のように思える。
月の湯古本まつり」へご来場のみなさま、ありがとうございました。普段入れない女湯へ、もしくは男湯へ入れた気分はどうでしたか。古本まつり以外でも、「月の湯」へ、そして近くの銭湯へ通っていただけると、銭湯好きの私としてはとてもうれしいです。みなさんが、わめぞのイベントを通して、普段行かない場所へ行く機会が、懐かしい場所へ再び訪れる機会が増えますように。